その日は昼から祭りがあった。 倒れた成実に政務はすべて任せて、政宗は城を抜け出した。 昼間なのでまだ人はまばらだ。 政宗はきょろきょろと見回しながら夜店をひやかす。小十郎がそのすぐ後ろに付いている。たまに政宗は確認するよ うに振り返って小十郎を見る。そのたび、小十郎は目を細めてちいさく笑うのだ。 永遠に別れる為に君に今夜会いに行く 第二夜 幽霊の小十郎は、当然のように翌日も現れた。 倒れた成実を介抱していたところ、愛姫が座敷を訪れたのでついに正室までもがそれを知ることになった。愛姫はそ のおおきな目を二回、まばたいてから、 「お久しゅう、小十郎様」 と笑った。 小十郎は苦く笑い返し、舞い戻ってきましたと頭を下げた。 政宗はそれを見ながら、ああほんとうに小十郎が帰ってきたのだと思いかけて、その思考を止めるべきか否かですこ し悩んだ。だがどうしたってしあわせなことには違いがなくて、気まずそうにほおの傷を引っ掻いている小十郎の姿 に政宗はほんとうに久しぶりに腹の底から笑ったのだ。 「では政宗様、俺はちっとこの馬鹿を侍医のとこへ押しつけてきます」 「おぅ、頼むぜ」 ぎゃあ小十郎様が生き返った!と騒ぐ家臣たちに成実を抱えさせて、てきぱきと指示をしながら座敷を退いた小十郎 の背中を見る政宗に、愛姫はぽつり、と呟く。 「おまえさまの」 振り返った政宗に、愛姫はにこりと微笑んだ。 「そんな楽しげなお顔、久しゅう見ません」 「ああ」 政宗はすこし笑って、それから愛姫の頭にぽんぽんと手を置いた。 妻にも多くの苦労をかけたのだろう。愛姫は楚々とした女で、嫁いできてからこのかたひとことだって政宗になにか 不満や恨み言を言ったことなどない。いとしい、あいすべき女だ。 ただ政宗を癒すためだけに存在するかのような、やさしい感触がする。 「ほんに、ようございました」 笑みを貼り付けたまま政宗を見上げていた愛姫は、だが、その目からひとつぶ涙をこぼした。 「めご?」 妻の急な変貌ぶりに戸惑う政宗に、愛姫ははらはらと涙を流しながら、それでも笑みは消さぬままに、 「敵いませぬ」 と言う。 敵わない。どれだけ待ってもどれだけ想っても。 「愛は永劫小十郎様には敵わぬままなのですね」 愛姫はそう言って、ひとつ頭を下げ、それから涙を隠さぬままに退いた。 残された政宗は呆然としたまま消えた妻の背中をただ見つめることしかできない。 この時期の祭はそれほど大きなものではない。 奥州には君主の趣味も影響してだろうが、祭が多い。なかには異国の祭もあり、そういうものはえてして派手で華美 だが、そればかりではやはり政宗も辟易するのだろう、古来からの祭は、その形態を変えずにこじんまりとしたまま にしてある。 収穫祭にはもう遅い、奥州の冬におこなわれるその祭を政宗は雪降りの祭、と呼んでいる。ちょうど初雪のこぼれて くる時期におこなわれるからそう呼んでいるだけで、ほんとうの名は知らぬ。 騒げればいい、と今も昔もそう思う。 夜を彩る提灯のあかりは、冷たい空気のなかでふわふわと不自然にあたたかなひかりを放っている。 政宗は人と、そのひかりを縫いながらゆっくりと進む。 かたわらには小十郎が居る。時折政宗がなにかに気を取られると、笑いながら歩みを止める。だが常のようには政宗 も出店でなにかを買うことはしなかった。買ったらそれを持たなくてはいけない。小十郎はものに触れぬ。 「幽霊もたまにはよろしいですな」 小十郎はそう言って笑う。 荷物もちにしたことを恨んでの言葉に、政宗は唇をとがらせた。 「おまえが持つって言うんじゃねーかよ」 「小十郎がそう言うとわかっていて政宗様は買うのでありましょうや」 「そーだけどよ」 「ほら、やはり荷物もちにさせるおつもりではありませんか」 にやにやと笑いながら言う小十郎に政宗はなにも言わずに膨れる。昔から口ではこの家老にどうしても勝てぬ。年の 功だな、とはき捨てればなんとでも、と涼しい顔で受け流された。 「あ」 ふいに。 小十郎が歩みを止めた。政宗も振り返る。 小十郎は出店のひとつに目を引き付けられているようで、いっぽも動かないで一点をじいと見つめていた。その視線 をたどって、政宗はああ、とこぼす。その出店は、面を売っている店だった。 色とりどりの、さまざまな形の面が並べられている。 「欲しいのか?」 問えば、小十郎ははじかれるように顔を政宗に向け、それから困ったように笑う。そして首を振った。 「まさか」 「But、あんなに見てたじゃねーか」 「いえ、珍しいものだと思いましてな」 指で示される。それを目で追う。 面のなかに、いっそう目を引く赤い面があった。 「鬼?」 問うと小十郎はこくりと頷く。 並べられた面のなかで、異彩をはなっているそれはおそらくは鬼の面だった。出店で売っているにしてはあまりに精 巧なそれは禍々しいほどに鮮やかな赤で、おそらくは明で作られたものであろう。たしかに、あまり見ないものでは ある。 政宗はしばらくそれを見つめて、それからたたっと駆け出し、その出店へ向かった。うしろで小十郎が慌てているの が分かったが、無視をする。出店の翁に金を払い、真っ赤なそれを手にする。手元においてみると、やはり薄っぺら くて大したものではないが、政宗は口角を上げて小十郎のほうへとそれを見せ付ける。小十郎はすこし遠くからそれ を、困ったように笑って見ていた。 「やる」 小十郎のもとに戻った政宗はその面を押し付ける。 小十郎は眉を下げて首を振った。 「触れませぬ」 「わかんねーだろ。ちょっと、つけてみろ」 無理やりに小十郎の顔にそれを押し付ける。 すると、不思議なことに政宗の手の力はそこで押しとどめられ、その面はきっちりと小十郎の顔の部分に留まった。 驚いてほかの部分も触ってみようとするがそれはやはり通り抜けてしまう。 面だけが、小十郎をうつつと繋げることができるようだった。 「Wonderful!!すっげぇ、小十郎このMaskとんだ代物だぜ!」 政宗が騒ぐ。小十郎も驚いているようだった。 抱きつければいいのに、と政宗は思った。それはかなわないので、しかたなくその面をぐいぐいと小十郎の顔に押し 付ける。小十郎は慌てていっぽひいた。 それを見て政宗は笑う。 困った小十郎の顔を久しぶりに見た。 (ああ、本当に居るじゃねぇか) 愛姫のなみだがちらりと浮かんできた、が。 それを頭の奥底のほうへと押しやって、政宗はまた笑いながら祭のなかへとかけていった。押しやっても押しやって も、それが消えていかないことに多少の迷いを感じるのが、いやだった。 後ろを振り返る。 小十郎が居る。 (それだけでいいのじゃねぇか) 「政宗!」 しばらく出店をひやかしていたら、後ろから声をかけられた。 げ、と政宗が身を竦める。小十郎は苦笑いをしながら振り返り、しげざね、とその男の名前を呼んだ。政宗も振り返 る。 伊達成実が肩で息をしながらそこには立っていた。 「ま〜さ〜む〜ね〜・・・・・!!!」 普段は温厚な顔が怒りに歪んでいる。 政宗は顔を引きつらせながら小十郎のうしろへひょいと隠れた。すると小十郎はす、とそこから動く。そのせいで成 実と政宗はちょうど正面で対峙するかたちになった。 「Shit!!小十郎、てめぇっ!!」 「ご自分で撒いた種はご自分でお刈りなされ」 涼しい顔で切り捨てられる。 目の前には成実が戦場でしか見たことがないような形相でじわりじわりと近寄ってきている。じりじりと政宗は後ず さりながら、とっさに小十郎を見た。家老は切れ長の目を細め、では、とつぶやく。 「小十郎はあちらの舞のほうへでも行っておりますゆえ、政宗様は成実と心行くまでごゆっくりなされよ」 そのまま背中を向けて去っていく小十郎に鬼の面を投げつける。 背中になにか当たった感覚に振り返った小十郎は、地面に落ちたそれを拾い上げて顔に当て、 「ごゆるりと」 とかすかに笑いながら言った。 政宗は小十郎の背中に恨み言をなげかけながらも、笑い、そして成実に向き直る。小十郎と政宗のこういうじゃれあ いを、いつも成実は楽しげに見ていたから、政宗はそこに存在する伊達成実の顔が笑顔であることをかけらも疑わな かった。 だから。 「・・・・・・しげざね?」 政宗は戸惑った。 成実は政宗の問いかけにも応えず、ただ黙りこくっている。だがその大きなふたつの目はなによりも雄弁に成実の内 情を吐露していた。 未だかつて、政宗はこんな目をする従兄弟を見たことがない。 あきらかにそこには、非難と、拒絶とが含まれていた。 「なぁ、梵」 成実が口を開く。 もはや呼ばれなくなって久しい幼名に政宗は顔をしかめる。成実はそれにゆるく笑みながら、ひどくつらそうな声で 続けた。 「俺たちは、おまえにとってなんなんだろうな」 「・・・What do you mean?」 「生きていてもまだ俺たちは小十郎さんより、下か」 成実の言うことが、政宗にはわからない。 なぜ従兄弟も妻もおなじことを言っておのれを責め立てるのだろうか。 困惑する政宗の顔を、成実はあきらめきったような顔で見る。 「わからねぇか」 わからねぇよな。 その声はあんまり悲壮で、常の成実のものと違いすぎて政宗はこの男はおのれの知っている伊達成実ではないのでは ないかと思う。 では今朝の妻ももしやして違う誰かなのだろうか。 だって政宗の知っている成実は、小十郎をひどく慕っていたし、愛姫とて小十郎のことを気に入っていた。あのふた りが、小十郎を否定するような言葉を吐くわけがない。 政宗は成実をにらみつける。 成実は困ったように笑った。 「俺だって小十郎さんのこと、すげぇすきだよ」 当たり前だと政宗は思う。 小十郎は政宗の右眼だ。小十郎を厭うことはそのまま政宗をも厭うことになる。が、成実は続ける。 「でもおまえのほうがもっとすきなんだよ」 たぶん愛姫も、と成実は言う。 政宗はただ成実を見る。なにか言いたかったがなにを言えばいいのか皆目見当もつかぬ。なあ梵。成実はひどくやさ しげに言う。 「おまえが一番つらかった時も、悲しい時も、どんな時もそばに小十郎さんが居たのは俺がいちばんよく知ってるよ。 俺だって誰だって、おまえらふたりが一緒に居ないことなんて考えられないくらいおまえらはふたりでひとつだっ たし、お互いだってそう思ってただろうって思う。 嫉妬したことがないって言えば嘘になる。 どっちに対してかなんてわかんねーけどさ。俺は小十郎さんもだいすきだったから小十郎さんを独占するおまえを 憎たらしいと思ったこともあるし、逆にどれだけ強くなっても戦場でおまえの背中持つのは小十郎さんだけだった ことを悔しいと思ったこともあるさ。 でもそれでも、おまえらはあんまり、ふたりだとしあわせそうだったから」 いいと思ったんだ、と成実は言う。 多少の歯がゆさを抱えながらも、それが主と家老の最高の形なのだと、そう思えた。 でも、と成実は続ける。 「なあ梵。 小十郎さんは、もう、死んだんだぜ」 その言葉は、ひどく空虚にひびいた。 政宗は黙ってそれを聞く。聞いてから首を傾げた。だって小十郎は居る。居るじゃないかたしかに。 「死んだんだよ」 畳み掛けるように成実は言った。 聞きたくない、と政宗は思った。そんなことをどうして成実は言えるのか。政宗は小十郎が息を引き取る瞬間を見て いない。小十郎のあの切れ長の目が閉じて、そしてもう二度と開かなくなったそのいっしゅんを知らぬ。政宗には髪 の束ところころとした白い塊だけが渡されて、それで。 それで小十郎は死んだと言う。 (うそだ) と。 言おうと思ったのに、言えなかった。 黙り込む政宗に成実はやはりやさしく、 「分かってるんだろ、おまえも」 と言った。 「なあ梵。さっき鬼の面を小十郎さんが触れてたな」 「・・・ああ、なんでか知らねぇけどあれだけ、触れる」 「俺にはわかるよ」 「え」 「たぶん小十郎さんもわかってるんじゃないか」 成実は急に座り込んだ。 そして足元の地面にがりがりと木の枝でなにか書き出す。「隠」と「鬼」というふたつの文字がそこに記されていた。 「鬼の語源って知ってるか」 「・・・知るか、そんなもん」 「おに、の語源はおぬ。 つまり「隠」。 この世ならぬものって意味さ」 なあ梵。また成実は言う。 政宗はもう、それを聞きたくなかったからその場を駆け出した。 駆けて駆けて、気づいたら祭のまんなかに政宗は木偶の坊のように突っ立っていた。まわりは祭のまさに終盤で、み なでひとつの炎を廻って舞をしている。この祭は面をして踊るのが決まりごとのようになっていて、だから政宗はま るで急にどこか別の世界にでも紛れ込んだかのような錯覚に陥った。 面を被った男女がふわりふわりと笛の音にあわせて舞っている。 政宗はその円の中心で、探した。 小十郎を探した。 (鬼、おに、隠) あんなもの買わなければよかったと政宗は思う。 鬼の面を被った人間が多すぎて、どれが小十郎なのか分からぬ。きっとおのれの姿はひどく滑稽にちがいない。いい 年をした男が血相を変えて走りながらひとびとの顔をのぞき込み、落胆し、また走る。 走りながら政宗はひたすらに小十郎の名を胸のうちで呼んだ。 (こじゅうろう、こじゅうろう、こじゅうろう) 叫べばもしかしたら小十郎は応えるのかもしれなかった。 だが、いや、だからこそ、政宗はそれをすることを決しておのれに許せぬ。小十郎は死んだ、と成実はいくどもいく どもまるで呪うように言った。この世ならぬものだと。それよりじぶんたちを見ろと。 ここでおのれ自身で小十郎を探すことができぬのなら、そのことばを認めなくてはならぬような気がした。 走りすぎて息が切れ始めた頃に、政宗はようやっとひときわ赤い小十郎の面を見つけた。 いっしゅんの躊躇もなくそこへ飛び込み、面をはぎ取る。 「如何いたしました」 不思議そうに首をかしげる小十郎に政宗は泣きたいような気持ちになった。 居るのだ。此処に居るのだ。確かに居るのだ。 抱きしめることも腕を握りしめることもその顔のかたちを確かめることも出来ぬけれど、居るのだ。 そう思ったらほんとうに涙が出そうになって政宗は顔を伏せ、 見てしまった。 「・・・え」 小十郎の手元を、見てしまった。 政宗は小十郎の手がだいすきだった。長い指もおおきなてのひらも骨張った節も、すべて政宗のために誂えたように 強くうつくしくこれ以上などないほどに完璧だった。 それが欠けている。 両の手の指は、あわせて六本しかなかった。 親指と小指が左右ともに欠けている。政宗は顔をあげ、おのが家老の顔を見た。小十郎はすこし困ったように眉をひ そめながら、ああ、と息を吐いた。 「見られてしまいましたな」 かすかに笑んだ顔が、ゆらりとうすらぐ。 そして昨夜とおなじようにふわりと消えた。 面だけが政宗の手の中に残されて、政宗はただ立ちつくす。 愛姫の涙と成実の言葉と手元に残された面がくるくると政宗のなかを駆けめぐる。 それでも政宗は、明日の朝も小十郎が現れることを願わずにはいられなかった。 次 |