三眼の龍は狼の背を泳ぐ 1
「ガッデム!もうやってられっか!」
ばしん、と文机を叩いて政宗は立ち上がった。否、正確には立ち上がろうとした。
一瞬後に、ぎゃふ、という猫がつぶれたような音をたてて政宗は元の体制に戻った。というか、戻された。後ろの家老に。
「まだ半分も済んでおりません。政務が済んでからお出かけ下さい」
「堅いこと言うなよ小十郎。大体早く行かねぇとメリケンの宣教師が帰っちまうだろ!」
「駄目です」
「・・・うぅー」
政宗は唸りながら文机に向き直った。うしろで仁王立ちする家老が怖くて振り返ることも出来ない。
政務は好きではない。そんなことをする間に兵を育てたいというのが政宗の正直なところだ。奥州は天下を狙う群雄たちの闊歩す
る中央から離れているために、標的にはなりにくい。そして天下を狙うことも難しい。だからこそ油断を引き締め、遠方からでも
天下を狙える軍団が必要だ。
「だからGive Me Some Break」
「駄目です」
家老に英語は通じない。
それでも大抵のことは通じる。不思議だ。べったりと文机にへばりつきながらちらりと小十郎を見た。切れ長の目は軍の編制表へ
と落とされている。存外長い睫は細くて、それでも頬に影を作っていた。
政宗の目は二つから一つに減って、その直後に三つになった。
あのきれいな目がじぶんのもの、と思うと政宗は叫びだしたくなる。世界中に自慢をしたくなる勿体ないからしないけれど。
「政宗様」
「・・・なに?」
「進んでおりませんが」
「・・・Sorry」
ようやく政務が終わった頃には太陽は真上に来ていた。
近従を何人か従えて領地のなかにある教会へと行く。政宗はキリシタンではないけれど、彼らの持っている知識と
価値観とそれから言葉がすきだった。
「今日はなんの話をしてくれる?」
聖書を片手に持った宣教師はほほえみながらあるページを開く。
すこしかすんだ色でそこには絵が描かれていた。
「こじゅーろー!!!」
すぱーん、と音をたてて障子が開いた。
仁王立ちしているおのれの主を眺めながら、すこしも動揺せずに小十郎は言う。
「どうかしましたか」
「望みを言え!」
「・・・・は?」
ずんずんとあっという間に至近距離まで寄った政宗は小十郎の肩を掴み、ゆさぶる。がくがくと揺れながら小十郎は首をかしげた
。政宗の目は真剣そのものだ。
「望み、とは」
「おまえの望みだ!なんでもいいぜ、Everything all ok!!」
「はあ」
小十郎はまた首をかしげる。政宗の顔をちらり、と見てそれから下を向いて考えた。政宗はひとつしかない目をきらきらと輝かせ
ている。犬だったら尻尾を振っていただろう。政宗本人がすでにそんな気持ちだった。
「では」
「おう、なんでも言え!」
「政務をさぼって真田殿の元へ行くのを一月我慢してください」
「のおおおお!そうじゃねぇ小十郎!!!」
政宗は頭を抱えて叫んだ。小十郎は慣れているのかどうしましたか、と何食わぬ顔で聞いている。
意思疎通とは難しい。
要するに政宗は宣教師のもとでイエスキリストの絵を見せられたのだった。おのれの肉をパンに、血をワインに、弟子たちにおの
れの肉体を分け与える神の子の話だ。それを見て政宗は、まるでこの神の子は小十郎のようだと思った。
片倉小十郎はあの日、右目になると言ってから政宗の隣にずっと居続けている。 時折なにかの用事で居なくなることもあるが、そ
んなときは政宗より小十郎のほうが辛いんじゃないかというほどに苦しそうな顔ですみませんと謝られる。もう元服も済ませたい
い大人の政宗に対しても、まるで初めて会った時と変わらぬ扱いを小十郎は続けている。
それがどれだけしあわせか!
子ども扱いはすきではない。しかし小十郎にされると気持ちよかった。あの日儀式のように誓われて、それ以来かの家老は一度た
りともその言葉を違える行動をしたことはない。溢れるように政宗に与え続ける。おのれの全てをかけて、小十郎はひたすら政宗
に与え続ける。わき出る水のように。
「でも俺はなんも返してねぇと思ったわけ」
政宗はため息をついた。
「・・・某にはのろけにしか聞こえぬのですが」
その正面で真田幸村もため息をついている。政宗はおのれの意思に沿わなかった小十郎の言葉を聞かぬことにした。ということで
甲斐は上田城である。堂々と忍び込んだ政宗は城主の前で寝っ転がってだだをこねている。しゅるん、と天井から猿飛佐助が顔を
出した。
「いいんじゃないのー?だって片倉の旦那だってそれで幸せなんでしょー?」
「そうじゃねぇ!俺が!俺がイヤなんだよもらってばっかは!Give and takeが俺の信条なんだ」
「うっそお。伊達の旦那はどー見てもおまえのものは俺のもの、俺のものも俺のものタイプじゃないの?」
「佐助。それは片倉殿を除いた場合だ」
政宗のなかで人間は四つに括られる。強いやつ、弱いやつ、奥州の兵士たち、小十郎。
「たんじゅんー」
佐助は笑ったが、政宗は聞いていない。
真剣に悩んでいるというのに、なんとこの主従は役に立たぬのだろうか!挙げ句幸村は途中で抜けてしまった。武田信玄からの下
知だという。政宗の愚痴から逃げられる以上に嬉々として立ち上がり、軽くスキップしながら出ていった。佐助はにやにやしなが
ら見送る。
「ほんとに旦那は御館様のこととなると、しあわせそーだね」
「んー」
興味なさそうに政宗はうめく。
「いんじゃないの、あれで」
「あぁ?」
「うちの旦那はねぇ、なんも貰えなくても御館様とおんなじ空気吸ってるだけでしあわせだって言ってたよ」
「そらあいつが変態だからだ。小十郎は変態じゃねぇ」
「うーん、まあ否定はしないけどー」
けらけらと笑いながら佐助はたん、と畳に降りてきた。はいお茶ーと空になっていた湯飲みに緑の液体が注がれる。まめな忍者だ。
「そういや」
「んー」
「おめぇらって出来てんじゃねぇの」
政宗の言葉に佐助はぱちくりと目を瞬かせる。それからできてるよーと言う。軽い。
「いいのかよ」
「何が?」
「Stadyが他の男あんだけ追っかけてよ」
「んーそれはそれ?」
「はぁ?」
「優先順位だと思うわけ、結局のとこ、ね」
大事なのは旦那がしあわせかどうかでしょ、と笑う佐助はしあわせそうだった。言っている本人のほうが。続けて佐助はきっと片倉の旦那もそうだよ
、と言った。そうだろうさ、と政宗はおのれの中で吐き捨てた。
そうではない。
小十郎がしあわせだとか、そういうことをおのれ
は望んでいるのではないのだと思う。ただ与えられるだけというのが、怖いのだ。なにが怖いのかは解らない。あの聖書を見てか
ら、じりじりと焼かれるような焦燥感が心臓のあたりをぐるぐると渦巻いて離れていかないだけで。
奥州よりはるかに夏を感じさせる上月城の中庭は、照りつける太陽の力でゆらゆらと陽炎がちらついている。濃い緑が歪んで、幼
い頃に泣きはらした目で見た米沢城の風景を思い出した。
「政宗様がお邪魔してんだろ。寄越せ」
太陽が橙に空を染め上げている。上月城に現れた来客の顔も、空と同じいろに染まって
いた。 戸惑う兵士たちの間を縫うようにして、佐助がひょこりと顔を出した。仏頂面の家老に向かってひらひらと手を振る。
「おひさー」
「政宗様はどこだ」
「愚痴り疲れでねてる」
幸村はまだ帰ってきていない。主の不在時に他国の重鎮がふたりも尋ねてくるという異常事態だが、案外日常なので下っ端はとも
かく上田城の重臣たちはあまり戸惑っては居なかった。佐助も軽く、もう遅いから泊まっていきなよ、と提案する。
「・・・っち、しかたねぇな」
「あり得ないその態度。ひとんちに泊まらせてもらうってのに」
「うるせぇ。それで、政宗様は?」
「はいはーい」
来てから五分も経っていないのに、一体この家老はなんど主の名前を呼べば気が済むのだろうと佐助は思う。が、彼は賢いのでな
にも言わなかった。
佐助に誘われて踏み込んだ座敷では、政宗が体を丸めて小動物のように眠っていた。普段は獰猛な獣のような主は、けれど眠る時
だけはおさなかった頃と変わらぬ姿勢で眠ることを小十郎はよく知っている。ちいさくため息をついて、それからおのれの羽織を
かけてやる。政宗がかすかに身じろぎをして、それからまた動かなくなる。
「猫みたい」
佐助がちいさく笑う。膳はここに?と聞かれたので小十郎は頷いた。佐助の居なくなった座敷で、かすかな寝息だけが響いて、小
十郎はただ政宗を見た。ちいさく丸まった主のその眠るときの癖は、おなさないころについたものだろう。出会ってから十年の間
に政宗は驚くほど変わったが、それでもまだ残るそういう仕草に小十郎は時折叫びたいような衝動を感じる。
出会えなかったその年月さえ罪だ。
「政宗様」
ちいさく呼びかけた。政宗がぴくりと揺れて、それからうっすらと目を開く。
「・・・あー」
「おはようございます」
「こじゅ、ろー?」
「はい」
「なんでいんだ?」
「お迎えに参りました」
「そ、か」
まだ半分夢のなかを除いているうつろな目が一度閉じられ、また開いた。小十郎の羽織を一度剥いで、それからそれが誰のものか
を認識したのかまたかぶった。
「今日は仕方ありませんから、此処に泊まることにしましょう。明日はすぐに城に戻りますぞ」
「Ok。逆らわねぇよ」
どうせ幸村もいねぇしと政宗はまだ眠そうな目でつぶやく。そのぼんやりとした顔がおかしくて小十郎はちいさく笑みをこぼした
。運ばれてきた膳を囲むころ、ようやく政宗はしっかりと覚醒したようですこし気まずそうな顔をして小十郎をにらむ。
「起こすならもっとClearに起こせよ」
「承知しました」
笑いながらそう言うと、絶対聞いてねぇなとますます政宗はむくれた。
むくれたままの顔で政宗は小十郎になぁ、と呼びかける。なんですか、と返すともうすぐ戦だな、と政宗は笑った。政宗の初陣と
なる相馬氏との戦はすでにあと一月まで迫っている。
「俺のParty Debutだ。盛り上げるぜ」
「・・・くれぐれも油断めされることなきよぅ、政宗様」
「Take It Easy!」
笑う主に家老は大きくため息をついた。それでも初陣だというのに怯えるでもなく熱しすぎるでもなくまるで楽しむような政宗
の姿は、まさに王者たるもののそれで震えるほどに誇らしい。
奥州の龍は今度の戦で名実ともにこのちいさな島国へと解き放たれる。目を閉じれば政宗がすべての民のうえに君臨する絵が、瞼
のうしろにあざやかに描かれた。
政宗様。
口を開くとすぐに主の目は小十郎へと向いた。まっすぐに向けられる視線は、おそらくはもうすぐ自分だけのものではな
くなるだろう。喜ぶべきそれを、かすかに邪魔するものがあるとすれば何処かにある感情の固まりで、小十郎はそれに名前をつけ
ることを頑なに拒む。ひろい城の片隅で蹲っていたちいさな子どもが、ようやく龍へと姿を変えて飛び立てるのだ。
かすかな迷い
を断ち切るように、小十郎のこの命、どうぞご自分のものと思ってお使い下さいと何度言ったか知れぬ言葉を口にした。政宗はそ
れにいつも、解ってる任せろと言うのが常であったけれど、この日だけはなぜか黙って下を向いた。
不思議に思って顔をのぞき込もうとするとこじゅうろう、と主の声がひどく小さくささやいた。どうしましたか、と返すとなんで
もねぇ、と政宗は首を振ってしまう。
そのまま食事は終わった。
寝所に下がるまで、政宗はいつもどおりで小十郎も食事時のそんなやりとりはほとんど忘れてしまっていたのだけれど、
「明日もおまえはいるのか」
それでは、と小十郎が自分の客間のほうへ下がろうとすると政宗は突然そう言った。
勿論ですと答えても政宗は納得するような様子がなく、なにか尋ねようとするといい下がれと断ち切られた。いつもの気まぐれで
あると片づけてしまえば、その言葉とてそれからはずれるものではないけれど、何故だか床に入った後も小十郎はその言葉をくる
くると繰り返してしまって、結局ほんとうに眠ったのはすこし白々と夜が明けかけた頃だった。
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こじゅの育て方が悪かったのかこんなふうに育ちました(え
もうこじゅがいつ家老になったんだとか史実関連は、スルーで。ほらBASARAだから(魔法の言葉)
空天
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