三眼の龍は狼の背を泳ぐ  2


政宗の様子がおかしい、と気づいたのはここ三日くらいのことだろうか。

小十郎はその日何度目かのため息をつきながら考えた。上田城から帰ってからたしかに政宗はおかしかったけれど、本当にお かしくなったのはそれから十日ほど経ってからだった。きらきらと目を輝かせて小十郎の寝所へと入ってきた政宗は突然服を 脱ぎだしたのだ。

「So Hotだぜ!」

嬉しそうにそう言った政宗の肌はたしかに汗で濡れていたが、それなら自分の座敷で脱げばいいだけの話で、城の中でも特に 風通りのいい主の座敷ならば熱帯夜でも快適に過ごせるはずなのだ。
じんわりと熱気が肌にまとわりつくような夜だった。
じぃじぃと鳴く蝉の騒音を耳で聞きながら小十郎は静かに言う。

「湯でも浴びられたらいかがです?」
「おお、一緒に入るか!?」
「・・・・・・・は?」

なぜそうなるのだろう。
暑さに頭をやられたのだろうかと思った小十郎は慌てて主の額に手を当てた。するとぽぽぽぽ、と水が沸騰するような音をた てて政宗の顔はまたたくまに赤くなり、よくわからないがいつでも来い!と長い手を広げだす。
これは相当熱があると判断し た小十郎はすぐに女房を呼び、政宗を侍医のもとへと連れて行かせた。 その間にももしものことがあっては城下で一番の医者 への手配を小十郎はし始めていたので、Why!?と叫ぶ政宗の声は聞こえなかった。

それは始まりに過ぎなかったわけで、この三日のうちに何度そのようなことが起こったか解らない。
畑に居るところにいきな り現れて俺は外だって全然Okだぜ!と言い出したり、いつものことなのに政務を片づけている途中に二人きりだな、と突然顔 を赤らめたりほんとうに何がしたいのかさっぱり解らない。初陣の前で緊張しているのかと思えば軍隊の演習のときには鬼神 のごとき姿を見せつけるし、小十郎以外の前では普段と変わらぬ態度だ。

「俺がなにかしたか?」

と思ったが覚えがない。伊達成実などにも聞いてみたが首を傾げられた。
そんな事態なので、戦の前だというのに奥州きっての鬼家老はまったく関係ないことでうんうん唸っていたのだが、理由は思 わぬところから発覚し、けれどそれは苦労性のこの軍師をますます悩ませることになるのだった。









遡ること三日。

政宗は愛妻の閨で寝転がっていた。愛姫という名前のとおり男に愛されるべく生まれてきたような妻は政宗がまだ十二のとき に嫁いできた。荒武者ばかりの伊達家のなかにおいても、生粋の姫君という体を崩さぬ妻を政宗はそれなりにあいしている。 お互い幼くして結びつけられたのでどこかままごとめいた夫婦であったし、実際二人が並ぶとまるで対の雛人形のようであっ た。

「もうすぐ初陣でございますね」

そう言う妻の膝を枕にして、天井を見上げていた政宗の顔はかすかに曇った。
思い出すのは十日前の上田城での小十郎との会話だった。なにに苛ついているのかは自分でも解らない。けれどあの言葉は政 宗の焦燥感をますます悪化させて、夏のわずらわしい暑さと相まってこのうえなく政宗を不愉快にさせる。小十郎は幾度も幾 度も、飽きもせずおのれの全ては政宗のものだと言い続ける。

(そんなことは解ってるさ、おまえは俺のもんだろうよ。べつにそれがいやなわけじゃねぇ)

小十郎は政宗に命を捧げたからといって、おのれの命を軽く見ているわけではない。いつだって隙のない策を考え、確認のう えに確認を重ね、無謀な戦などせぬ男だ。だから、それがいやなわけでもない。
愛姫が首を傾げて、さらさらと政宗の髪をすく。

「どうしましたの、おまえさま」
「あぁ、なんでもねぇ」

心配そうな妻に政宗はちいさく笑った。
ちいさくて柔らかい女の体は、心をやわらげるにはこれ以上ないほどにふさわしい。起きあがって抱き込むと、甘えるように 愛姫は身をよじる。ふわりと香のかおりがして、それは沈丁花のあまいかおりだったのになぜだか土の匂いを思い出してしま って笑えた。
睦言のついでに、心配か、と問うといいえ、と微笑まれたので理由を聞いてみた。愛姫はふわふわと笑ったまま、だってわた くし、のろいをかけておりますものと言う。

「のろい?」

物騒だな、と言うと愛姫はますます楽しそうに笑う。

「こうやって、おまえさまに抱かれますたびに」

閨のかすかな灯りに浮かび上がる愛姫の肌は磁器のようにしろい。手を触れるとそこから溶けていきそうにもろくて、政宗 は強く抱きしめることをいつも躊躇ってしまう。 着物を剥かれた雛人形は、夫の首に手をかけて耳許にちいさくささやいた。

「おまえさまの一部がわたくしの中に残りますでしょう?」
「ああ」
「古来よりのろいはその者の一部を使っておこないますものですわ」

かけておりますの、おまえさまがわたくしから離れられぬのろいを。
そう笑う愛姫は娼婦のようでいて仏の顔にも似ていて、しかし神の子の顔とは異なっている。おのれの肉体を捧げることで、 かすかな糧を相手から奪い取るこの生き物の名前は女でしかありえないだろうか。怖い女だと言ってやれば嬉しそうに愛姫は 鳴いた。

(神の子はなにも求めずにおのれを捧げ、女はおのれを捧げることで相手を縛り付ける)

眠ってしまった妻に羽織をかけ、政宗は煙管を口にする。
時折小十郎がつけているのを見て、火はつけぬがなんとなく銜え始めたのはちょうど愛姫が嫁いできた頃だっただろうか。
煙管の色はふかい青で、政宗が煙管を銜え始めたころに小十郎が職人に特別に作らせたものだった。口に銜えるとひやりと冷 たい。

政宗の持ち物にも、記憶にも、小十郎が染みついている。

そして政宗は欲深いおのれを自覚していた。それでは、足りないのだ。持ち物は朽ち果てる。記憶は薄れる。政宗の体はなぜ だか小十郎がいなくても機能するようになっていて、あの男が側に居ないからといって心臓が止まるようには出来ていない。
それがいやだ。
小十郎はきっと死ぬまで政宗のために生き、そして死ぬときも政宗のために死ぬだろう。
けれど政宗にはそれが許されない。小十郎も許さないだろう。政宗のすべては小十郎ではないのだ。そんなことは自分が一番 よく知っている。

(縛らずともあいつは俺のもんだ)

神の子のように小十郎は与えるだろうすべてを。
そして神の子は消える。それを弟子たちは止められぬのだ。神の子は全ての人間の物であっただろうけれど、同時に神の子は なにも持たないから、自由に消えてしまう。いつか小十郎が消えるとして、それを止める術を政宗が持たないように。
煙のあがらない煙管を握りしめながら、政宗は立てた膝に顔を埋めた。
ユダになりたい、と思う。
神の子を裏切った男、あの男はきっと幸せだったのではないかと思うのだ。罪の意識を延々と持ち続け、罪人として糾弾され つづけ、永遠に神の子をおのれのうちに止め続ける。そして神の子はおのれの行為によって永遠に消えぬ傷を受けて、この世 から去る。
そこまで考えて、思わずああと政宗はちいさくうめいた。
そうだ。

(俺は)

小十郎を縛るのではなく、おのれを。
無責任にあの男が消えぬように、小十郎の一部に政宗がなってしまえば、そうすれば、 小十郎は消えないだろう。消える時ははっきりと政宗の一部分をえぐり取って消えていくだろう。その痕は消えぬ。なぞれば はっきりとあの男の形を描くことが出来よう。女がおのれを与えることで男を止めることを欲するならば、政宗はおのれを与 えることで消えない痕を欲するだけの話だ。
政宗は煙管を懐へと戻し、閨を出た。足は真っ直ぐに家老の寝所へと向かっている。

そして冒頭の小十郎の回想へと至るのだった。












ところで小十郎がことの次第を知ったのはもちろん愛姫からだった。
ある日愛姫に呼ばれた小十郎が座敷へと赴くと、楽しそうに笑う若い姫君はさらりと爆弾を放り投げた。

「それで、政宗様との床入りは済んだのかしら」

小十郎は最初何を言われているか解らず、愛らしい姫君の顔を眺め、それから彼女の来ている着物の柄を眺め(季節に相応し い新緑の生地だった)最後におのれの手許を眺めた。もう一度愛姫の顔を見る。相変わらずやわらかく微笑む姫君の顔はまさ に雛人形で、

「あらまだなのね」

そのちいさな唇から零れた言葉はどうやら聞き間違えではなかったらしい。

「・・・・・意味がわからないのですが」
「殿は大変はりきってらっしゃるのよ。昨日も小姓たちに聞いて廻ってらしたわ、男同士での閨での作法を」
「あの」
「それで城下に手配をさせて必要なものも手に入れたって昨日おっしゃって、わたくしは何が必要なのか知らないのだけれど 、きっと色々大変なのでしょうね殿方同士だと」

何の話だろう。
思わず聞かなかったことにしようと思ったが、それは立場が許さない。楚々とした顔でとんでもないことを話し続ける主の奥 方を前に半刻ほど居続けた結果、座敷を下がる頃には恐ろしい事実が小十郎の前に立ちはだかっていた。

(政宗様が俺と床を共にしたがってるってことか?)

すくなくとも愛姫はそう思っているらしい。
奥方の勘違いだと思いたいが、そう考えるとなんとなくここ三日ほどの奇行の意味もわかるような気がする。ではあれは病な どではなかったわけで、それは小十郎を単純に安堵させた。政宗が原因不明の病にかかっているくらいならば、よく考えれば 今回のような結果になったことはむしろ喜ぶべきだ。それに衆道は武士のあいだでは珍しいことではないし、小十郎もだいぶ 前になるが政宗の父輝宗の小姓であったときにはそのような行為を勤めたこともある。小十郎はうつくしい少年であったし、 そのときは輝宗が敬愛すべき主であったから特に嫌悪を感じることもなかった。

(まあ政宗様がしたいというなら)

しても構わないかな、と思う。
しかしきれいどころも多いのに、政宗も物好きだなと小十郎は思った。たしかに荒武者揃いの奥州軍だが。顔立ちの整った少 年武者も多い。なにも十以上年が上の大男でなくてもいいだろうに。主がそういう趣味だとすればすこし心配になるが、正室 の愛姫とはおしどり夫婦であるし、衆道の相手も自分がつとめるならば安全だろうという結論を下す。
三日間の謎が解けて小十郎は清々しい気持ちだった。政務も終わっていたので軍団の訓練まで畑仕事でもしようかと自分の 部屋で正装から着替える途中に、おのれの傷だらけの肌を見て小十郎は顔をしかめる。

しかたのないことだが、肌は戦場の傷でいっぱいだ。政宗の期待を裏切ってしまうことになってしまうかもしれないが、どう することもできないと首を振る。
















小十郎は自分はもちろん女役だと思っている。
















「違うぜ小十郎・・・」

完全にすれ違った主従が閨にてお互い頭を抱えるまであと数刻。




 


筆頭だって色々考えてるんです。発露がアホなだけで(えー
この時点で既にこじゅ受けの影がひたりひたりと忍び寄っていますね。

空天


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