三眼の龍は狼の背を泳ぐ  3



「駄目です」
「why!?いいじゃねぇか命令だぜ!?」
「駄目なものは駄目です!」

丑三つ時だ。 夏の虫の奏でる音さえかすかにしか響かない政宗の閨は、行灯のかすかな光でうっすらと赤く染まっている。座敷にしかれた 寝具はお誂え向きに赤く(政宗が用意させた)枕はふたつで(もちろん政宗が用意させた)枕元にはごちゃごちゃといろいろ な薬やら道具やらが置かれている(当然政宗が(以下略))。
そしてなぜだか主従は寝具の上で正座しているのだった。
政宗は頬をふくらませて、ぎろりと小十郎をにらみつける。折角乱してきた襦袢もきっちりと胸元まで整えられて、色気もな にもあったものではない。それでも政宗はまだ諦めていなかった。ば、と両腕を広げて大きく叫ぶ。

「Hold on me!!」
「駄目です」

きっぱりと小十郎は言った。
正座をして、腕を組んだ小十郎の顔にはあきらかな疲れが滲んでいる。当然だった。なにしろ閨に呼ばれたのは二刻は前のこ とで、それからずっとこの押し問答だ。最初閨に呼ばれたとき、たしかに小十郎はちいさく覚悟を決めたが決めた覚悟はこう いう事態のためのものではなかった。
ため息をつきながら、何度目かの提案をする。

「私が抱かれればいいでしょう」
「ちがっ・・・それじゃ意味がねぇんだよ!」
「意味とはどういうことですかな」

政宗は先ほどからなにか言っているのだが小十郎にはよくわからない。
閨に入ったとき、この身あなた様のお好きになさいませと言ったら政宗は固まった。よく見てみるとなぜか政宗は白ではな く赤い襦袢を着ていて、しかも着崩れている。Nooo!!と叫びだした主を見てようやく小十郎は事態を把握したのだが冗談で はなかった。家臣が主君を抱くなど聞いたことがない。挙げ句の果てには政宗は俺に男を抱く趣味はねぇ!と言い出した。生 憎と小十郎にもなかった。女のいない戦場ならともかく平時に男を性の対象にしようとは小十郎はつゆほども思わない。
ましてそれが政宗ならなおのこと。

「政宗様」
「なんだようやく抱く気になったか!」
「いえ、そうではなくて」

なんともし難いので小十郎はすこし攻め手を変えてみることにした。

「抱かれる抱かれると申しますが」
「おう」
「男同士で床を共にする場合、どれだけ受け入れる方が辛いかご存じか」
「え」
「まず・・・どこで受け入れるかをご存じですか」
「・・・菊門だろ」

すこし頬を赤らめながら言う政宗に、小十郎は遠い目になる。なぜおのれはこんなところでこんな時間に主に性教育をしてい るんだろうか。だが、と首を振る。乱心した主を正しい道に導くのも家臣の役目だろう。小十郎は腕を組んだまま続ける。

「当然ですが彼処は本来そのような行為の為に使われるところではない。よほど慣らさねば傷がつき血が出るうえに、男同士 の場合受け入れる側は快感を得ることは難しい。そのうえに、終わった後は腹の調子も悪くなるしなにもいいことはござい ませんぞ」
「・・・小十郎」
「なんです」

真っ青な顔をしている主に、ようやく諦めたかとすこし明るい声で問うた軍師に返ってきた言葉はすこし予想からはずれる物 だったが、

「なんでおまえそんなに詳しいんだ・・・?」
「ああ。まあ私も小姓でしたので」
「・・・・・・されたことあるのか?」
「政宗様にお仕えするまえのことですが」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

なぜかそのまま政宗は寝具をひっかぶって引きこもってしまったので、小十郎は諦めたのだと思って安心して政宗の閨を後に した。















ぎゃはははははは、と大声で笑いすぎて佐助は思わず木から落ちそうになった。
それを見た政宗がげしげしとその木を蹴ったが大木なのでぴくりとも揺れない。ただ忍者がぶらぶらと笑いの反動で揺れるだ けだ。
佐助はよほど暇なのかよく米沢に来る。あるいは密偵かもしれなかったが、武田と兵を構える気のない政宗は放っている。
それより政宗は幸村もそのお抱え忍者のこともすきだったので、そちらの感情を優先することにしていた。

「ひーひー・・・ほんと笑かしてくれるね、伊達の旦那はぁ」
「笑うな!真剣に聞け!」
「だって・・・くっくくく。片倉の旦那もおもしろい人だ。あんたらお似合いだよ」

涙を拭いながら佐助はまだ笑う。顔には木々から漏れる木漏れ日がうつりこんでいる。太陽は空の真ん中を陣取って、そして 政宗は相変わらず政務から逃亡中だった。

「Sit!いいじゃねぇか堅いこと言うなっつーの。突っ込む方が楽なんだったら大人しく突っ込んでりゃあいいじゃねぇかよ!」 「だからそれがイヤなんでしょ、片倉の旦那は。あんたが蚊に刺されただけで大騒ぎするひとだぜ?じぶんのもん突っ込むな んて考えられないでしょーよでかそうだし」

ぴくりと政宗の肩が揺れる。

「・・・やっぱでかいか」
「あの体でそれだけちっさかったらそっちのが驚くし」
「・・・・とにかく!俺はいいっつってんだよ!だったらNo Problemじゃねぇか!」
「うーん擦れ違ってるねぇ」

ていうかそろそろ戦なのに大丈夫なの?と問う佐助に政宗は鼻で笑う。いくら必死でも個人的な問題と国の問題を一緒くたに するようなことはしない。戦の準備は万端だった。小十郎も、だから怒れない。文句と小言は言うけれど。

そして戦が近いからこそ、政宗ははやくこの焦燥感をどうにかしたいのだ。

「死ぬと思ってるの、片倉の旦那が」
「思うかよ。小十郎はそんなへましねぇ」
「じゃ、なんでそんなに急ぐの」
「だってわかんねえだろ」
「なにが」
「へましなくたって死ぬかもしれねぇし、俺がいくら死なねぇって信じてたって死ぬときは死ぬだろうよ」

政宗はそう言って木に寄りかかる。佐助は真横に来た年若い奥州筆頭の顔を見た。失われた片目はもはや奥州では代名詞のよ うになっていて、いささかも彼の価値を下げる物ではないけれど、片目の子どもが独眼龍と呼ばれるまでにどんな歴史があっ たのかを佐助は知らない。その歴史のどこを捲ってもおそらくは片倉小十郎が存在するのだろう。けれどそれでは足りぬと言 う。
強欲なのか、臆病なのか、それとも。

「怖い」

政宗はちいさく言う。

「怖ぇよ。だって俺は小十郎が死んでも生きていかなきゃいけねぇんだ。小十郎はきっと俺が死んだら後追いするだろうが  、あいつが生きていて俺が死ぬなんてことは万に一つもありゃしねぇし、逆は許されねぇだろうが。後追いなんかしてみろ  、地獄の縁で小十郎に追い返されるぜ。  
 だがよ、あいつが死んだ後どんどんあいつが俺の中から消えていくのを我慢しろってのは、そりゃ無理な相談だろ?いやな  んだよ。曖昧な記憶とか、思い出とか、そんなもんじゃ足りなねぇよ。いくら今あいつが俺にすべてを与えたって、消えた  ら全部チャラじゃねぇか」

政宗は自分の右目の部分に手を当てた。時折今でも眼を繰り出した時の激痛がよみがえってくる。一生忘れることはないだろ う痛みだ。手を下ろす。

「俺は痛みが欲しい」

永遠に消えない傷が欲しい。
佐助は黙った。ちりちりと焼け付くような夏の太陽のひかりが眼を刺したが、それ以上に目の前の男の熱情に焦がされるよう な気がして、目を閉じる。死んだ後までも家臣を束縛しようとする強欲さも、湯水のような家臣からの愛情を信じ切れぬ臆病 さも、しかしそれは政宗の弱さではあり得ない。

「伊達の旦那は強いな」

奥州の龍は翼の代わりに傷で空を飛ぶと言う。
政宗はぽつりとこぼされた佐助の言葉にしばらく黙って、それから大きく笑った。当たり前じゃねぇか、俺には小十郎が居る んだ。佐助はその言葉に笑いながら、すこし泣きたい気持ちになった。












「気をつけなよ。本当の戦は訓練とは違うから」

佐助はそう言ったが、政宗は初陣だからといってそんなことを知らぬほど愚かではなかった。負けるつもりはないが、戦が時 の運でどう変わるかわからぬ物だということもよく知っている。ならば楽しむだけだと不遜な龍は笑い、家臣たちはそんな主 を見ては志気を上げた。

戦の前日、小十郎と政宗は政宗の寝所でふたり酒を飲み交わすことにした。開け放たれた障子からは庭が見渡せ、闇のなかに もかすかに城下からのひかりが星のようにちらついている。
二人の持つ漆塗りの杯には金箔で龍が描かれている。

「とうとう明日ですな」

小十郎は主の杯に琥珀色の液体を注ぎながら言った。政宗は口角を上げる。

「背中は任せたぜ、小十郎」
「元より承知の上でございます」

小十郎も笑った。
政宗は注がれた酒をぐい、と一口で飲み干す。つう、と零れた酒が首筋をつたった。それを拭いながら、政宗はじ、と小十郎 を眺める。ひたりと主従の目があった。

「なあ」

政宗が口を開いた。

「なんです」
「まだ俺を抱く気になんねぇ?」
「・・・・・政宗様」

呆れたように小十郎は首を振る。つまんねーのと政宗は笑う。その様子に小十郎は首を傾げた。いつもならここでがばりと襲 いかかって来るはずだが、今日は政宗は動こうとしなかった。ただ、笑っている。飽きたか、と小十郎はちいさく安堵する。
政宗の寝所には、明日の戦のための甲と具足が置かれていた。それを眺めていたら、ふいに小十郎の口から大きくなられまし たな、という言葉がこぼれ落ちた。政宗がそれを拾って笑う。

「老け込むにはちと早いんじゃねぇか?」
「いえ・・・初めてお会いした時には、あの具足ほどの大きさでありましたのにと思ったら、つい」

政宗は、ちいさい子どもだった。 太陽に当たらず、人の愛情に触れず、おのれが飢えていることすら自覚することができな い欠食児童のような眼をした、ちいさな子どもだった。小十郎のあとばかり追ってきて、小十郎の一挙一動に逐一左右される 子どもだった。主は龍であるけれど、龍は未だ飛べぬ龍だった。
今なら小十郎の腕の中から、政宗はたったひとりで大空だって昇っていけよう。
その想像はいつだって甘美で、それでいて小十郎の芯をひやりと冷たくさせてきた。出会った瞬間、政宗の世が小十郎で満ち たのを小十郎は感じ取った。小十郎は今日まで、その狭い世界から主を飛び立たせるために仕えてきたと言っていい。
それが今叶おうとしている。

「・・・・・・ご立派に」

小十郎は笑おうとした。

「ご立派に、なられましたな。政宗様」

政宗は開かれた障子から見える庭を眺めていたので、いつもと変わらぬ家老の声に、おう、と応える。小十郎は笑うことに失 敗して歪んだ口元を杯で隠した。透明な液体にうつりこんだおのれの顔がひどくみにくく見えて、一口で飲み干す。
飲み過ぎるなよ、と笑う政宗を小十郎は静かに見つめた。
あの日、はじめて主が見せた笑顔を見たときから小十郎は政宗の笑顔がとてもすきだった。百年の孤独に耐えてきたようなあ の笑顔を見てしまったからこそ、はじめて屈託なく笑ってくれたときには泣きそうになった。
否。
笑いも怒りも悲しみも、すべて、政宗のもらす感情の全部が全部あまりにきらきらと輝いていて、だから時折小十郎はわから なくなる。自分はなんのためにこの主に仕えているのだろう。

政宗が大きい器の持ち主だからか。
それとも敬愛していた輝宗の下知だったからか。
政宗を狭い世界から解き放つためか。

だが、それは。













(俺から、政宗様が離れていくってことだ)













相馬へと攻め込む為に磐城へと差し掛かる峠で、政宗は馬を止めた。
行軍が唐突に停止し、兵に動揺が走るが政宗はうっすらと笑みを浮かべ、言う。

「楽しいPartyになりそーじゃねぇか!?  
 おまえら!楽しめっ!  
 Winnerはもうとっくに決まっちまってんだからよおお!!!」

政宗の声は峠一帯に響き渡り、一瞬後に割れるほどの歓声があがる。
政宗様!という兵士たちの声に応えるように政宗は進め、と馬に鞭を打った。大きな嘶きをあげた馬は大きな歓声を切り裂く ように走り抜ける。青い政宗の具足が風でひらめき、天翔ける彗星のように見えた。

「おいてめぇら!政宗様に遅れをとるんじゃねぇっ、進めっ!」

続けられた小十郎の怒号に伊達軍は彗星を追うように、地響きをたてながら進み出した。小十郎はそれを確認し、馬の手綱を 握りしめようと一瞬掌から力を抜く。

瞬間。

(あ)

ぽろり、と。
なにかが確かにこぼれ落ちたが、それを確認する前に進軍によって立ち上った砂煙のせいでなにも見えなくなったので、小十 郎は諦めて前を向いた。前を行く政宗に遅れを取らぬよう馬を走らせる。
乾ききった夏の大地は、まるで霧のように砂煙を巻き上げ続け、小十郎はこぼれ落ちたものどころか政宗の後ろ姿さえ見失い そうだった。




 


筆頭があまりにアホすぎて退かれてやしないかとどきどき。
こんな子が可愛いんですけど ね。受け入れてもらえるかどうかは後で考えます。

空天


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