三眼の龍は狼の背を泳ぐ 4
「Let's show time!!」
それが合図だった。
政宗の雄叫びとともに相馬軍と伊達軍は同時に走り出し、そのまま混戦となった。一兵卒のなかに混じって政宗が六爪をふる
う度に血が吹き出し肉が飛んだ。政宗の白い頬には赤い血が塗りつけられ、鬼神のような姿となる。滝を昇る龍のように戦場
を駆ける主君の姿を、軍神を崇めるように兵士たちは目に焼き付けた。
「政宗様!」
混戦のなか、小十郎は政宗の背後に襲いかかる兵士を突き殺し、振り返った。主はひどく楽しそうな顔で笑いながら、行くぜ
、と叫ぶ。
「背中は預けた!しっかり守れよ!」
政宗の言葉に、小十郎は首を振って刀を持ち直した。止めても聞かぬ主だということは元より承知の上だ。家臣に止められる
ような主ならば、ひとは政宗を独眼龍とは呼ばぬだろう。 ならばおのれはそれを守り通すのみ。 敵の真ん中へと突き進んで
いく政宗の背に、蟻のようにわいてくる敵兵たちが一斉に飛びかかろうとしている。小十郎はとん、と土を蹴って四人を撫で
切りにし、政宗の首筋まで槍を向けていた敵兵の首を一閃で宙に飛ばした。政宗はそれに気づかずそのまま突き進んでいる。
小十郎はくるりと振り返り、
「政宗様の相手してぇ奴は、この片倉小十郎を屍にしてからお相手してもらいな」
静かに笑った。 心の迷いは置いていこう、と小十郎は決めた。
凝り固まったしこりのような感情にせき止められるほど忠義の激流は弱くはなく、よどんだ霧のような迷いを振り払うには余
りある程度には目の前の主の姿は圧倒的だった。政宗の走ったところには瞬く間に敵兵の死体の山が築かれた。
小十郎はその背中を、ひたすらに追う。
平野になっている戦場からすこし離れた林に、相馬兵のひとりが逃げ込んできた。
満身創痍の兵は、あらゆる場所から血を流しながら草をかき分け獣道もない林を突き進む。兵には妻が居た。祝言をあげてま
だ間もない妻だ。うつくしくはないけれど、笑うと普段はつり上がり気味の眦がさがって、ひどくかわいらしくなった。
おのれの息づかいだけが耳の奥で反響して、他になんの音も聞こえない。
戦場からの逃亡は、そのまま死を意味していた。男とてそれを知らぬではない。ただ流れ出る血と一緒に理性もこぼれていっ
たのだろうか、男はただ妻を思った。妻が自分を待っている。なら、帰らねば。 胸元をつよく握りしめる。
ばさり と音が聞こえて、男はその音の出所を知ろうと思い首を動かす。しゅん、と耳許で風音がして、次の瞬間男の頭と胴
体は別の物になった。どさり、と胴体が前のめりに倒れ、背の高い草の群れに人型の後をつくる。
さく、さく、と足音がふたつに分かれた男の死体に近寄っていき、止まった。
「ばかだねー」
呆れたような声が、林の緑をさらさらと揺らす。
声の主は死体の胸元をごそごそと探った。死体が未だ握り続けていた部分に、ちいさな守り袋が握られている。ちらりとそれ
を一瞥し、それから放り投げた。これじゃない。
「ぉ、おお?おーあったあった」
死体の懐には一通の書状。
試しに開いてみると、中には援軍の要求が書き連ねられている。今は伊達軍が勢いに乗っているが、もしこの書状が相馬の本
城に届いていれば援軍が駆けつけ、戦況は一挙に覆される。しかし兵は生命が惜しくなったのか、まったく本城とは逆の方向
へと進んでいた。
放っておいても書状が相馬へと届くことはおそらくは無かっただろう。
「でも、ま」
飄々とした声がひびく。ふわり、と書状は投げ捨てられ、
「お仕事ですから、ね?」
すい、という風音の直後、いくつもの紙片となって夏空の下雪のように散った。
死体のまわりに散った紙片は、餞の花にも似てあざやかだ。こきこきと首を鳴らし、伸びをする。
武田のしのび、猿飛佐助はひょい、と木の枝に飛び乗った。
其処からは未だ激しく戦いあう両軍の光景がよく見える。
「やってるねえ」
佐助は眼を細めて、ふう、とため息をつく。一仕事終えた、という安堵のため息だ。
伊達軍の勝利を助けよ。
それは武田信玄の下知だった。もちろん善意ではない。古くからの大名であり、人材も多い相馬より、家督争いもあり主が幼
い伊達のほうが御しやすいという信玄の判断だった。佐助はいささかそれには思うところがあったが、何も言わずに承知した
。元より一介のしのびに主への発言権などない。幸村へならともかく御館様へはなおない。それに仕事をこなすことは政宗や
小十郎を助けることに繋がる。善意で戦場に出るほどお人好しではないが、機会があるならもちろん佐助だって友人を助けた
い気持ちくらいある。
「んー、でも」
助け、いらなかったかね。
佐助は苦く笑った。戦場では政宗が死体の山をどんどん積み上げ、その後ろを追いかけている小十郎も決してひけを取ってい
ない。他の兵士たちも志気が高く、軍団がひとつの生き物のように機能している。両軍の差はあまりにはっきりしていた。
帰ろうかな、と佐助は思った。援軍は断ち切った。白兵戦も早々に伊達に軍配が上がりそうだ。独眼龍の初陣としてまさに相
応しい結果と終わりそうで、そうするとまた政宗との喧嘩(佐助から言うと)に情熱を燃やすだろう主を思うと多少佐助は憂
鬱になる。
でもまあ終わるまで、と視線を戦場に移した。
「あ、れ」
思わず口から声がこぼれる。
先ほどまで鮮やかな青を翻させていた政宗の姿が、どこにも見えなくなっていた。
しまった、と思ったときには既に遅かった。 政宗は敵陣に深く食い込みすぎて、気づいたときには幾重にも囲まれていた。
あまりに速い政宗の攻撃に伊達軍の兵士たちは着いていくことができず、彼らもまた主の背を見失い動揺していた。
「Sit!!」
小さく吐き捨てて政宗は武器を構え直す。じりじりと近づいてくる敵兵たちはしかし、先ほどまでの鬼神のごときこの総大将
の姿を見ているので無闇に斬りかかってこない。焼け付くような夏の太陽とは無関係に政宗の頬を汗がつたった。一度に斬り
かかられるなら兎も角、ばらばらにすべての方向から攻撃を受ければ六つの爪でも防ぎきれない。
死ぬかもな、と政宗は思った。
それと同時に、ああまた小十郎に小言言われちまう、と思った。
(死ぬときまで浮かんでくるなんて、どれだけ俺はあの男に執着してやがる)
でもしかたない。小十郎は、政宗の兄であり師であり軍師であり友であり家老でありそしてなによりあのきれいな両の眼は政
宗のものなのだ。政宗の目にひかりが見えるのは小十郎のふたつの眼があるからで、死に損ないのおのれの眼ではひかりどこ
ろか物の輪郭すら掴めぬ。
小十郎はそんな片目にしっかりとその姿をうつし、そして自身のふたつの眼にうつる世界のひかりを政宗に浴びせてきた。
今ならこの片目でも世界の輪郭は掴めるかもしれないが それでもできうるなら、小十郎を通して世界を見たかった。
「・・・Oh,my god。くっだらねえぜ」
小言とて死んでは聞けまい。あの軍師なら小言を言うためだけに地獄まで追ってきそうだが。
阿呆なことを考えているうちにもどんどん状況は抜き差しならないことになっている。目と鼻の先まで敵兵たちは迫ってきて
いた。政宗は、覚悟を決めた。
ひとりでも多く道連れにして、地獄で小十郎が追いかけてきたら盾にしよう。政宗は笑う。どれだけ居たって多いということ
はあるまい。
「・・・・・・さあ、て」
俺の首を取るのは誰だ? と。
「奥州筆頭伊達政宗!」
言おうとしたのだ。口だって開いた。
戦場に響き渡った雄叫びは、しかし政宗の声ではなく、
「是に在り!逃げはせぬ!」
敵兵たちの視線はすべて声のしたほうへと注がれる。よく通る低い声は、あまりに自信に満ちあふれていた。聞かずにはいら
れぬ声だ。そしてその主を捜さずにはいられない。敵兵たちはすぐに声の主を見つけた。肉食動物の雄叫びをあげるにふさわ
しい鋭い目は、孤独な狼のそれに似ていて、しかし王者のようにその男は高らかに笑い、
「・・・黄泉路の覚悟、ある者より参れ!」
左右の敵兵を一閃のうちに切り倒した。
一瞬、戦場に沈黙が訪れる。が、それを合図のように敵兵たちは一斉に男へと襲いかかる。男はうすく笑いながらそれを切り
伏せる。舞うように刀がきらめき、それを彩るために赤が踊った。
「ちがうっ」
政宗は叫んだ。
しかし敵兵の勢いは衰えない。地響きのうねりに政宗の声は一瞬にして掻き消されて、響きさえしなかった。それでも政宗は
叫んだ。
ちがう、ちがうそれは。
「伊達政宗は俺だァアアアア!!!」
何百もの兵の怒号のなかで、政宗の叫びはかなしいほどに小さく。
立ち上る砂煙で、あっという間に男の姿は見えなくなった。それでも敵兵はその砂塵のなかへと吸い込まれるように流れ込ん
でいく。政宗は思わず六爪を振り回し、周りの敵兵を何人か吹き飛ばした。喉が焼け付くように渇いて、声が出ない。
「こ」
ようやく出た声はかすれていて、まるで泣いているようだ。
ひりひりと痛む喉を、引きちぎるように政宗は大きく叫んだ。
「こじゅうろうおおっ!!」
敵兵をすべてただの肉塊にしたあと政宗は必死に小十郎を探した。
だが、忠実な家臣の姿は戦場のどこからも探し出すことは出来なかった。
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小十郎の傷、もえるのはこれかなぁと。もう一個考えてはいるんですか基本はこれです。
空天
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