Our love is more difficult than Hungarian Rhapsodies
























片倉小十郎は苛立たしげにベッドに腰掛けて、爪先をかつかつと動かした。
実際のところはホテルの床はカーペットが敷いてあるので、その動きは「かつかつ」ではなくて「ぱふぱふ」と
いう間抜けた音だった。ぱふぱふぱふぱふと音を立てて、小十郎はベッドの先鏡台の上、アンティック調の厳め
しい時計を睨み付けて眉を寄せ、それから自分の腕についた時計を見て更に眉間を狭くした。本来あるべき場所
を追われた眉間の皮膚は、ぐぐぐ、と寄せられて深い皺になっている。
あと数分で、深夜の一時になろうとしている。

「―――――――遅ェ」

小十郎はつぶやいた。
立ち上がり腕を組んで、開こうという意志が一切見えないドアに視線をやる。鏡台の上の携帯はまるで死んだよ
うにそこに鎮座している。一応開いて着信履歴を確認してみるが、やはりそこには何の着信もない。
テーブルの上にある今日の―――――――いや、もう昨日の―――――――分の薬と栄養ドリンクは放置されて
三時間ほど前に小十郎が用意したグラスの水にはほこりが浮いている。小十郎はそのグラスを洗面台まで持って
いって排水溝に流した。くるくると排水溝に旋回しながら吸い込まれていく水を見ながら、ほうと息を吐く。
髪を掻き上げて乱暴に後頭部を掻いているところで、かちゃりとカードキイが差し込まれる音がした。
小十郎は目を丸めて、すぐにでも開いて怒りを発しようとする口を急いで押さえた。

「猿飛」

出来るだけ静かに、声を出す。
洗面所の外で、どさりとなにかが落ちる音がした。
洗面所を出ると、仏頂面をアルコールで赤らめた男が教師に悪戯を咎められた小学生のようにこそこそとベッド
ルームへと姿を消すのが見えた。小十郎は首を振って、今度はすこし声の調子を強くして言う。
さるとびさすけ。

「明日、いやもう今日がコンサートだと解っててやってんなら良い度胸だな」
「知ってますよ」

くぐもった声が返ってくる。
多分佐助はベッドにもう潜り込んでいる。
小十郎は舌打ちをしてベッドルームに大股で進み、毛布を被って丸くなっている芋虫をばさりとベッドの下に落
とした。うひゃあ、と間抜けた声があがる。
腰を打ち付けて痛みに呻く佐助に、小十郎はふんと鼻を鳴らす。

「夜遊びをしていい時としちゃいけねェ時があることくれェ、いい年してんだから解るだろうが」

毛布を引っ剥がすと、ふわりと佐助のにおいが鼻先を掠める。
それはワインと、それからコロンの匂いと佐助が使っている整髪料の匂いが複雑に絡み合っていて――――――
―要するにひどく、不快なものだった。小十郎は思い切り顔をしかめて、臭ェ、と吐き捨てる。
風呂に入れと佐助の腕を掴むと、思ったよりも強く振り払われる。

「触ンないで」

ひやりと低い声がそれに続く。
小十郎はすこし驚いて、体を退いた。
佐助は髪を掻いてうんざりと息を吐くと、小十郎の顔にちらと視線をひとつやることもなくのろのろと起き上が
って洗面所に向かっていった。小十郎はしばらくぼうと立ち尽くして、それから毛布を思い切りベッドに叩きつ
ける。なんなんだ、とつぶやく。

なんなんだあの野郎、最近。

佐助と一緒に演奏旅行に出かけてから、一ヶ月が経った。
最初は特に問題はなかった。佐助は相変わらずへらへらふらふらして、小十郎を弄って遊ぶのがこの上ない喜び
だとでも言うような顔をして、女遊びも酒浸りもまったく変わらず健在で、小十郎はそれに引き回され付き合わ
されうんざりと佐助を殴ったり蹴ったりして宥めていた。酔っ払って嘔吐いて顔を青くしていても、佐助は翌日
にはすっかりと元どおりになってきちんとタクトを振る。それが、また誰も何も言えなくなるような演奏で、小
十郎は頭を抱えてこの男は音楽が無かったら一体どうなっていただろうと何度も思った。それでも時々調子が悪
そうな顔をして、呆れて薬を差し出せばへらりとひとつ、いつものように笑う。

「片倉君はやさしいね」

多分まったく反省はしていない。
二十歳やそこらの餓鬼でもこんな馬鹿な飲み方はしない。
小十郎はそう思うのだけれども、どうにも佐助は笑うと餓鬼臭いのにはっとするほどに十の年の差を感じさせて
くる。笑われると小十郎は何か言うのも阿呆らしくなって、薬だけ押しつけてそのままにしてしまう。出来るだ
け無理はさせないように、演奏の邪魔にならないようにとそう思って一ヶ月一緒に生活をしてきた。

そうしたら、38歳の指揮者に反抗期が訪れた。

「俺にもいい加減我慢の限界がある」
『あら、これはお仕事でございまするよ』

携帯電話の向こうから、松の軽やかな声が返ってくる。
小十郎は苛立たしげにとん、とテーブルを叩いてそういう問題じゃあないと吐き捨てる。

「あの阿呆の面倒を見るのはまァ百歩譲って良いとしよう。
 だが、ああも理不尽に不愉快な顔されちゃァ俺のほうが不愉快だ。他を寄越せ。俺はフランスに帰る」
『片倉殿』
「なんだ」
『あなたさまには、そんな権利はございませぬよ』

松が笑う。
小十郎は眉を寄せた。

『あなたさまは我が社と契約をなさったのでございまする。
 最初に言ったように、馬車馬のように働いて頂かなければこちらとしても困りますの』

松は、佐助が所属する音楽事務所の女社長をしている。
小十郎はヨーロッパに来て早々松に捕まって、強制的にそこに所属させられた。そして直後に佐助の演奏旅行の
お目付役として駆り出されたので、一緒にフランスに来た真田幸村と別れる暇も無く、おかげで同居人のピアニ
ストはすっかり拗ねてしまってこの間電話をしたら「この番号は現在使われていないでござる」と通話を切られた。
小十郎は何も悪いことはしていない。
佐助は後ろで腹を抱えて笑っていた。
ひいひい。振られてやんの。ざまあみろ。

「だが、あの男も俺じゃァご不満なんじゃねェのか」

最近、佐助はおかしい。
小十郎と目を合わせようともしない。
朝は寝坊の常習犯が小十郎よりも早く起きて、夜は小十郎が寝てから帰ってこようとする。つまり徹底して小十
郎を避けている。避けているばかりならまだ良いけれども、目も合わせず触れることもさせず、はっきり言って
同じホテルの同じ部屋で生活をして同じ飛行機の隣の席に座るのが、ひどく苦痛だ。苛々して、公衆の面前であ
ることを忘れてあの赤い髪を引きずり回してやりたくなる。
自分でも解っているが、小十郎の沸点はひどく、低い。
松はすこし間を置いて、なにか、と言った。

『片倉殿、何か猿飛殿にしたのではございませぬか』
「俺があの野郎に何するってんだ。何もしちゃいねェよ」
『いつからおかしくなったのでございますか』
「確か、そうだな」

小十郎はふと顎に手をやって考える。
二週間前に、オランダで演奏会を終えた後に、昔一緒にオーケストラをやったことがあると言うオーボエ奏者に
誘われていつものように前後不覚で帰ってきた佐助に、小十郎は心底うんざりしてもう怒ってやる気も失せてい
た。顔は真っ赤でゆるんでいて、きっちりと出発前に整えてやった筈の服はネクタイがどこかに行ってしまって
いる。安いコロンと濃い化粧の匂い。せめて店は選らんでいいところに行けという小十郎の言葉がすっかり無視
されていることをそれはこれ以上ないくらいに示していた。
何も言わずに目を閉じている小十郎に、佐助もすこしまずいと思ったらしい。
水を飲んですこし落ち着いた後に、決まり悪そうにごめんとつぶやき、

「怒ってる?」

と小十郎を覗き込んで聞いた。
小十郎は目を開いて、ソファに手を掛けて自分を覗き込んでいる年上の男の情けない顔に深く息を吐いて、怒っ
ちゃいねェが、と口を開いた。
怒っちゃいねェが、

「いい加減にしろよ」
「―――――――怒ってンじゃん」
「心配してんだろうが」
「は、あ」
「いい加減にしてくれ」

佐助はそんなに丈夫な体ではない。
なにか特別な病気を持っているわけではないけれども、体力は無い。だからほんとうだったら、演奏だけで手一
杯の筈で、こんなふうに遊び歩いていては保たない。ときどき倒れるのを佐助はへらへらと笑いながらまたやっ
ちまったなぁと軽い調子で流すけれども、

「見てるこっちは、たまったもんじゃねェ」

いい加減にしろ。
不摂生は止せ、こっちの心臓に悪ィ。
小十郎がうんざりと言うと、佐助は目を何度か瞬かせてから、困ったように眉を寄せた。それから無理矢理笑い
声をあげて、いやぁ片倉君はやさしいねぇといつもの調子で小十郎の肩を叩いて、素敵な弟子のかわいらしい言
葉に、師匠が今度なにか奢ってあげましょうと言った。
小十郎はそれにやはり呆れて、いらん、と返した。

「なんだよ、かわいくない」
「俺がかわいい必要がどこにある。いらねェからとっとと着替えて寝ろ」
「俺様がこんなこと言うなんて、滅多にないんだぜ。損な性格してるよなあ、なんか頼んでおきゃあいいじゃん」

なんでもするのに。
佐助は目を細めてそう言った。
小十郎はふうん、と鼻を鳴らしてすこし黙る。

「そうか」

その日確か、小十郎はほんとうにうんざりしていた。
そのすこし前に佐助は熱を出したばかりで、その時はいい加減にしろよと言ったらもうしませんと確かに小十郎
に誓ったというのに直後にまたすぐ約束を破ってくる男に心底呆れ果てていた。ただの付き合いであるなら、と
っくにこんな男とは縁を切っている。そうでなくても師弟の縁だって切ってやりたいくらいだけれども、佐助の
演奏を聴くとそんなことは結局自分は絶対にしないだろうと思って、それがほんとうにうんざりだ。
結局のところ、小十郎が佐助を放っておくことが出来ない。
そう考えると心の奥底から佐助に対しての苛立ちがマグマのようにぐつぐつと沸き上がってきて、ただその苛立
ちの一部は確かに自分のせいなのだと思うと、もういろんなことがどうでもいい、やってられるか、そういうふ
うに思った。小十郎はそんなに多くを佐助に求めているわけではない。
ただ、

「俺は、おまえが健康で居て欲しいだけなんだが」

それだけのことだ。
この阿呆はそんなことも出来ねェのか、阿呆。
いっそ死んでしまえ、ジジィ。
その言葉は口には出さず、小十郎は苛立たしげに髪を掻き上げて腹の底のマグマを鎮火させて、佐助を放ってベ
ッドに潜り込んだ。小十郎は寝付きが良い。
すぐに寝た。
二分もかからなかった。
その翌朝から佐助は小十郎の顔を見なくなった。

「俺は何かしたか」
『何も、しておりませぬな』

電波越しの松の声も、すこし戸惑っている。
小十郎は頼むんだが、と続けた。

「帰らせてくれねェか」
『それは駄目でござりまする』
「じゃァ、あの阿呆はどうすりゃァいいんだ」
『それを』

なんとかするのが、片倉殿の役目。

『頑張ってくださいませ。松めも、ドイツの空の下応援しておりまする』

ぷつ
通話が途切れた。
小十郎はしばらく死んだ携帯を眺めて、それをベッドに投げつけた。










































松さんと話してたの、という声が背中にかかる。
小十郎はそれには答えず、ベッドにさっき沈み込んだ携帯を持ち上げてそのまま靴を脱いだ。佐助は鏡台の横
に突っ立って、濡れた髪をタオルで拭いながら黙り込んでいる。毛布を捲ってそのまま寝てやろうとすると、
待てよとすこし上擦った声が降ってきた。

「ちょっと話があンだけど」
「俺はねェ」
「あんたに無くても俺にあるんだよ。起きて。つか、起きろ」

理不尽な言葉に小十郎は体を起こして、舌打ちをした。
佐助はタオルを被って顔を隠してソファに座り込んでいる。舌打ちとかしないでよ怖いじゃんと言う。何言っ
てんだこの男は一体いくつだ。小十郎は頭を抱えたくなった。膝を抱えてふてくされる38というのは、一体
社会的に許されるのだろうか。
なんだ、と低く聞く。
佐助の顔がすこし上がった。

「聞いてやらんこともねェよ」

そう言うと、ちいさな笑い声があがる。
横柄な弟子だと言いながら佐助はするりとタオルを落とす。薄暗いホテルの室内で、佐助の赤い目がちらりと
ひかった。なんだかひどく久し振りに見たもののような気がして、小十郎はしばらくぼうとそれに見入った。
佐助はすぐに目を逸らして、タオルを引き絞るように弄りながら提案なんだけど、と言う。

「部屋」
「部屋がどうした」
「別にしてくれるように、松さんに頼もうと思ってンだけど」

いいよね、べつに。
小十郎は黙って眉を寄せる。

「あの節約の鬼が、そんなこと許すか」
「許させるよ。なんたって俺様は事務所の稼ぎ頭だし、なんとかなるでしょ」
「そんな面倒なことしねェで、他のマネージャーでもなんでも呼んだらどうだ」

小十郎は苛立たしげに吐き捨てる。
佐助の肩がひくりと揺れた。小十郎はそれを鼻で笑って、それが一番簡単だろうお互いにと言ってやる。部屋
を別にする。沸々と沸き上がるものの八割は怒りだが、一割は戸惑いで、そうして残りの一割について考える
のはあんまり癪なので小十郎はそれを考えないようにした。部屋を別にする。そこまでするなら帰ってやろう
じゃねェか、この野郎と思った。
思ったが、小十郎はそれを口に出すのを失敗した。
佐助が驚いた顔をしている。
のろのろと首を振る。

「そこまで言ってないだろ。たださ、俺はこんなだから片倉君も待つの面倒でしょ。
 ていうかさ、寝てて良いンだぜ。俺のこと律儀に待ってる必要なんざどこにもねえじゃん」
「薬飲まねェだろう、おまえ」
「―――――飲むようにするよ」
「嘘吐け。すぐ忘れる癖に」
「飲みます。だから、いいじゃん」
「だから」

小十郎はベッドから立ち上がって、佐助の座るソファの前に立った。
これ以上は出来ないというところまで顔をしかめて、だから嫌なら俺を追い出せっつってんだろうがと言う。
佐助がまたのろのろと首を振ってそうは言ってないと言う。
小十郎は耳の辺りが怒りで熱くなるのを感じた。

「じゃァ何が言いたい」

低く聞く。
困ったような顔を佐助はする。
なんだかそれはひどく被害者めいている。小十郎は益々苛立った。
あんまり苛立ったので、つい手が伸びて佐助の寝間着の襟を掴み上げてしまった。佐助の丸い目が更にくるり
と丸くなる。何なんだおまえは、と言うとそれがくしゃりと細くなる。
さわんなよと佐助は掠れた声で言った。

「ちょっと、離せって」
「その前に俺が何をしたか言いやがれ。
 あからさまに避けやがって、気色悪くてたまったもんじゃねェ。言いたいことがあるなら言え」
「なんもしてねえよ。べつに避けてるわけじゃないだろ」
「あれが避けてねェんなら日本のいじめ統計は半減だ、阿呆師匠」
「意味分かんない、離せよ―――――――離せっつってんだろ馬鹿弟子ッ」

どん、と体を押される。
小十郎は目を見開いた。そんなに力がこもっているわけではなかったけれども、つい手が離れる。
佐助も驚いたような顔をしている。荒い息を吐いて、眉を寄せて、それからやはりさっきの被害者めいた困
ったような顔を引き攣らせて笑みらしきものを作り、ごめん、と言う。

「ごめん、べつに片倉君は悪くないんだけどねぇ、あの、うん」

ちょっとのあいだ。
たぶん、ちょっとのあいだでいいんだよ。

「離れてれば、なんとかなるんだよ。俺もあんたと一緒の演奏旅行が嫌なわけじゃないんだぜ。
 ほんとうならもっと楽しみたいんだけど、その、なんと言いますか、大人の事情っていうのが世の中には
 ありまして、俺にも如何ともし難いというか、ね、そういうわけですよ」

佐助がなにか言っている。
けれども、小十郎にはもうそれは聞こえない。


その代わりに、ぷちり、と何かが切れた音が鼓膜の奥のほうで聞こえた。


振り払われた手を、振る。
それから髪を掻き上げて、解った、と小十郎は言った。

「解った」
「あ、そう。そっか、そりゃいいや、じゃぁ早速松さんに」
「帰る」
「は」
「帰る、俺は帰る」

フランスに帰る。
真田も待ってるし、部屋の掃除もしてねェんだ。
クローゼットの中から翌日着るつもりだったワイシャツとズボンを取り出して、寝間着を脱いでそれを着る。
それからその上にコートを羽織って、ベッドの横に置いてあったスーツケースに手をかけた。
ぼうと呆けている佐助に向かって、小十郎は笑う。

「酒と女に塗れて、好きなように野垂れ死ね」

じゃァな。
死んだら線香くれェはあげてやる。
そのままごろごろとスーツケースを転がして出て行こうとしたら、腰に佐助が抱きついてきた。思い切り抱
きつかれたので、小十郎はあやうくそのまま床に顔をぶつけそうになった。スーツケースのおかげでそれは
免れたけれども、代わりに腹にスーツケースの取っ手が食い込んで夕食が逆流しかけた。
小十郎の腰にしがみついた佐助は、ふるふると首を振っている。

「ちょ、待って、なんでそうなんのッ」
「離しやがれ、ここまで虚仮にされて黙ってられるか阿呆ッ」
「虚仮になんかしてねえよッ」
「してんだろうが、ここまで無視して挙げ句部屋替えだ。ふざけろ。
 そこまで言われてのこのこ残ってられるか。俺は帰る。帰るから離せっつってんだよイモリかてめェはッ」
「違うって言ってンでしょうが、ちったぁ俺の話も聞けよ」
「話を聞けだと」

小十郎は腰にしがみついている佐助の髪を掴み上げた。

「聞こうにも、ここ二週間俺と目も合わせようとしなかったのは、誰だ」

言ってからしまったなと小十郎は思った。
これではまるで、泣き言を言っているようだ。
舌打ちをして佐助を引き離そうとする。が、佐助は磁石かなにかのようにひたりとくっついて離れない。離
せ阿呆と言うと、返事の代わりに深い溜め息が返ってきた。
ああもう、とうんざりと佐助が言う。

「これだから若いって」

いやになっちゃう。
よくそんなはずかしいこといえるな。

「俺様が折角、我慢してあげようと思ったのに―――――――まるきり水の泡じゃん」

ぎゅうぎゅうと小十郎の腰にしがみつきながら言う。
小十郎は眉を寄せて、なんだそりゃ何の話だと言った。
佐助は顔を上げて、不愉快げに眉を寄せて、それから小十郎の襟を掴み上げ、

「片倉君のそういうところ、マジで勃つから止めてくれませんかね」

と言った。
小十郎は黙った。
かなり長い間、黙り込んだ。

「はぁ」

それから風船が縮むような間抜けた声を出した。
佐助が舌打ちをして、馬鹿弟子、と言う。
馬鹿弟子。ちゃんと俺様は、我慢しようとしたんだからな。部屋別にして我慢して、なんとか可愛い弟子の
操をてめぇで奪っちゃわないように、きれいな体でフランスに返してあげようとしたのに、

「そんな顔で拗ねンなよ、かわいいなぁもう」

小十郎は目を瞬かせた。
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ついにこの馬鹿は壊れてしまったのかと思った。
佐助はほうけた顔をしている小十郎にまた「あぁもうどうしよう、かわいい」と呻いてぎゅうと肩に抱きつ
いてくる。小十郎は驚きのあまり、体を動かすその方法を忘れてしまってなすがままになった。
佐助の言葉をぼんやりと考えてみる。

かわいい。
かわいいってなんだ。
何か俺の知らない国の言葉か―――――――まさかあの「可愛い」じゃないだろうな?

その「可愛い」だよと佐助が心底嫌そうに言う。
俺だって選べるなら、よりによってあんただけには言いたくないんだ。

「でもしょうがないじゃん。思っちゃったンだから」
「―――――――なに、を」
「あんたがさ」

かわいくッて、
しかも甲斐甲斐しくって、
無視したらちょっとかなしそうな顔するとか、ほんと反則。

「ごめん」

俺、と佐助は言った。
肩から顔を離して、へらりと笑う。
ごめんね駄目な師匠でほんと、悪いんですけど、




「弟子に欲情しちゃった、俺」























       
 





拍手の「さなだカンタービレ」の続き的な。
年下なので、片倉さんに余裕がいつもより無い感じです。

タイトルの和訳は「ハンガリー狂詩曲より困難な僕たちの恋愛」。


空天
2008/01/23

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