客席から見ていると解ることがある。
小十郎は一番前の席に陣取って、オーケストラの前で指揮をする佐助の背中を見上げる。自分よりよほど薄い背中がこの
時だけはひどく広く見えて、タクトを振る度にそれは更に広がっていくように見える。ドビュッシーの『夜想曲』は今雲
の章が終わったところで、一瞬だけ劇場内が沈黙で満ちた。
どうしてかね、と小十郎は息を吐いて思う。
どうしてこう、あの男は演奏だけはこんなに上等なんだろうか。
人間性も生活態度も最低レベルなのにどうして演奏だけ良いということがあるのか。
舞台から降りればすぐにまたへらへらと笑って、底が浅すぎてそもそも「奥」が無いような言動を繰り返して、どうせそ
うなることは今から解りきっているのに目の前で演奏されるとどうしようもなく目を引き付けられる。佐助のタクトで音
を引き出されている演奏者達の、とろけるようなしあわせそうな顔を見るときちりと締めつけたネクタイがやたらと窮屈
に思える。鎖骨の奥が渦巻いている。ぐるぐると、ぐるぐると。
小十郎はちいさく舌打ちをしてパンフレットで口元を隠した。
どうしてあそこに居るのが自分ではないのかと、そんなことさえ思う。
すぐれた指揮者はなにも佐助だけではないし、小十郎が一番尊敬する指揮者は輝宗であって佐助ではないが、それでもあ
の男が自分にとって特別なのはきっと佐助の演奏は絶対に小十郎には出来ないものだからだろう。
小十郎はほうとひとつ、長い息を吐いた。
「お疲れ様」
演奏が終わって、佐助を迎えに行こうと控え室のドアを開くと、案の定佐助はソファで倒れていた。
浅い息を繰り返して、真っ赤な顔でひどく情けなく顔を歪めている。小十郎がドアを開けてからとんとんとノックすると、
佐助の肩がひくりと揺れた。起き上がって、ずる、とすこし小十郎と距離を置く。
小十郎は首を傾げながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して佐助に投げた。
「どうかしたか」
「どうか、って、うん」
佐助は視線を逸らしながら、あれ夢かな、とつぶやいている。
小十郎はまた首を傾げて、ロッカーからバスタオルと着替えの服を取り出してテーブルに置いた。佐助が脱ぎ散らかした
タキシードを拾い上げて、クリーニングに出す為に紙袋に詰める。佐助はそれをぼんやりと眺めて、ソファに顎を乗せて
ほうけている。小十郎は呆れてぱしりと赤い頭を叩いた。
「何を呆けてんだ。明後日は千秋楽なのにそんな顔で、呆けた演奏したら承知しねェぞ」
頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜながら言うと、佐助はますますほうけた顔をする。
小十郎は眉を寄せた。なんだか気色悪い。面倒なので放っておいて、控え室の整理を済ませるとようやく佐助がのろのろ
と着替えをし始めた。その間もちらちらとこちらを窺ってくる。
気色悪いことこのうえない。
「何か用か?」
「え、いや、うん、べつに」
「だったらちらちらひとのこと見てんじゃねェよ、気色悪ィな」
「―――――――ううん」
やっぱり夢か。
俺相当来てンな。
ふふふ、と佐助が笑う。
小十郎は肩を引いて佐助から離れた。
ホテルに戻り、フロントでクリーニングを頼んで、それから部屋に入る。時計を見ると、既に十時を回っていた。
「やっぱ夜演奏するとこれくらいになっちゃうよねえ」
「まァ、明日は休みだから良いんじゃねェか」
「お、珍しい太っ腹発言」
佐助はへらりと笑って脱ぎかけたコートをまたはおった。
小十郎はそれに目を細める。佐助はへらへらと、じゃあ俺様はちょっくら外に行ってきます、と言う。コートをはおっ
て財布をポケットに入れて、洗面所で髪を整えて小十郎の前でひらひらと手を振る。
「良いよね、だって明日は休みだし」
明後日はちゃんとやるし。
片倉君も文句言えないよね。
俺の今日の演奏は満点だったし。
「ね」
「『ね』じゃねェ」
小十郎は腕を組んできっぱりと首を横に振った。
「おまえ酔うと二日は潰れてんじゃねェか、いつも」
「そんなことねえよ」
「年取ると二日酔いじゃすまねェんだから、ちったァ我慢しろ」
「年とか言うな馬鹿弟子。だって明日休みで、まだ十時だぜ。これから長い時間俺にどうやって潰せってのさ」
佐助は唇を尖らせて腕時計を指さす。
小十郎はそれを覗き込んで、ふうん、と鼻を鳴らした。
佐助は不満げな顔をしている。小十郎は呆れ果てて、どうしたものかな、と思った。多分佐助はこどもとおんなじで、
部屋でじっとしていられない質なのだろう。そうでなければこの年で独り身だから、部屋でひとりで居るとそれがし
んと身に染みいるのかもしれないが―――――――それは想像すると相当に気色悪いので考えたくない。
38にもなってもうすこし落ち着けと、そう言って聞く相手なら苦労はしない。
佐助は雨の日の小学生のような顔をして、小十郎を睨み上げている。小十郎は息を吐いて、視線をすこし外した。
「―――――――まだ」
「まだ?」
「もうちっと、時間が欲しかったんだが」
しょうがねェか。
物憂げに息を吐いて、首を振る。
小十郎は佐助の横を通り抜けて、それから振り向いて手で佐助を招いた。佐助は不思議そうな顔をして着いてくる。
ベッドの横に置いてある荷物の、紙袋を取り出してその中身をことことと小十郎はベッドサイドに置いた。
「それなに」
背中越しに覗き込む佐助が聞いてくる。
小十郎は振り向いて、あァ、と頷いた。
「今日、リハーサルの間に町で買ってきた」
「そういや居なかったね。で、それなに」
「ローション」
「ローション」
佐助は小十郎の言葉を繰り返して、それから黙り込んだ。
小十郎はそれを放って、ローションボトルの横に真っ赤な箱を置いた。
目を細める。ほんとうならもうすこし調べておきたかったところだが、佐助を今黙らせるにはそれは次回に回すし
かないだろう。あまりぶっつけ本番はこのましいことではないけれども、そんなことに拘ってる場合でもない。
小十郎はくるりと振り向いて立ち上がり、
「風呂に入ってくるが、逃げんじゃねェぞ」
と佐助の額を叩いた。
佐助は固まっていて、丸い目で小十郎を凝視している。
小十郎は首を竦めて、佐助の横を擦り抜けてバスルームへと向かった。
髪をタオルで拭きながらベッドルームに戻ると、佐助がソファでうちひしがれていた。
小十郎は首を傾げて、どうかしたか、と聞く。佐助の肩が揺れる。情けない顔がのろのろと上がった。
「―――――――夢じゃなかった」
と言う。
小十郎はなにが、と言った。
「昨日の、あれ、うわあ」
「昨日、あァ」
小十郎はこくりと頷く。
「夢だと思ってたのか」
「だってあんたあんまり普通だから―――――――真顔で、信じらンねえ」
佐助は赤い箱を忌々しげにとんと叩いた。
なんで真顔でコンドーム一箱買ってくるんだ、と言う。小十郎はタオルを畳んで髪を掻き上げ、アナルセックスに
は必須だろう、と答えた。
佐助が悲鳴をあげてソファから跳ね起きた。
「アナルセックスとか言うな」
「そこしか挿れる場所が無ェじゃねェか」
「そうだけど、いや、そうじゃねえよ、問題はそうじゃねえでしょうよ」
「問題」
小十郎は眉を寄せた。
何処に問題があると言うのか。
「抱きてェんじゃねェのか」
「それは、その」
「抱かれてやるって言ってんだから、今更怖じ気づいてんじゃねェよ」
睨み付けてやれば、佐助はひいと竦み上がって黙った。
黙って、それから動かなくなった。小十郎は面倒になったのでソファで縮まっている佐助の腕をぐいと掴んで、
引き摺るように立ち上がらせ、それからベッドにぽいと放った。ぽすん、と間抜けた音で佐助がベッドに着地した
その上に覆い被さるように、小十郎もベッドに乗り上がる。
佐助は呆然としていて、口がぽかりと開いている。
小十郎はくつりと笑った。
「阿呆面」
「あ、あほづらっていうか、片倉君ちょっと」
「ん」
「マジですか、これ」
コートを脱がそうと手をかけると、そう聞かれた。
本気だが、と言うと、佐助はしばらく黙り込んでから天井を仰いだ。それから首を振って、なんで、と言いかけ
て、また首を振ってやっぱりなんでもねえ、と言い直した。
小十郎の前に喉がさらされていて、それがのろのろと佐助の顔に戻っていく。
小十郎の顔を見ながら佐助は困ったように眉を下げて、あのさ、と言う。
「無理、しなくていいよ」
小十郎の肩に佐助の手がかかる。
「べつに弟子だからって俺の言うこと聞かなけりゃいけないわけじゃないしさ。
あんたが俺の心配してるのはすっごく解るし、嬉しいけど、ここまでするのはちょっと違くね」
「心配されてる自覚があるならちょっとは落ち着け」
「だからそれは俺の生き方って言うか」
「生き方」
小十郎は舌打ちをする。
死に方の間違いじゃねェか、と言ってやる。あんな生活をしてたら正規の寿命の半分も生きられない。佐助はへ
らりと笑って、いいじゃない薄命のアーティストって、と首を竦める。
「モーツァルトとか」
格好いいよね、と言う。
小十郎はしばらく黙り込んだ。
「それは本気で言ってんのか」
それから低い声で聞いた。
佐助はすこしだけ視線を浮かせて、首を少しだけ傾げてまた笑う。
「割と」
「ほう」
「早くに死んだほうが、いろいろ考えなくて良いから楽だし」
「成る程な」
「タクト振れなくなる前には死にたいし」
「へェ」
「そうなると四十代くらいで死ぬのがベストかなあみたいな」
「ふうん」
「―――――――片倉君」
佐助が恐る恐る小十郎の顔を覗き込む。
どうかしたか、と小十郎は答えた。佐助は迷うようにすこしだけ黙って、それからちいさな声でもしかして、
とつぶやいた。
もしかして。
「相当、怒ってる?」
「心底からな」
小十郎は即座にそう返した。
あ、やっぱりぃと佐助は笑う。小十郎はもう随分前から脳の奥のほうでぷちぷちと何かが切れる音を聞いていたが、
その佐助の頭に花が咲いたような笑顔を見た瞬間に、
ぶつん
と、何かが破裂するような音が鼓膜の内側で反響するのを聞いた。
その音がするのとおんなじに、テレビの画面が消えた時のように小十郎の思考はストップした。
無言のまま佐助の膝に手をかけて、力任せにぐいと左右に開く。慌てる佐助を無視して、手を伸ばしてジーンズの
ジッパーを一気に下ろした。
「ちょ、うわ、ひゃあ」
「情けねェ声出してんじゃねェ、阿呆」
吐き捨てて、そのままジーンズを引き下ろす。
佐助がそれに必死で抵抗しようと、手を伸ばして小十郎の肩を押しのけようとする。腕を張られているのでジーン
ズの裾に上手く手がかけられない。手をどかせ、と睨み付けるが、佐助も顔を真っ赤にしてふざけんなと怒鳴って
言うことを聞かない。腕どころか足まで小十郎の腹に押しつけて、蹴りつけてくる。
小十郎は痛みに唸って、それからふと顔を上げた。
「猿飛」
「な、ンだよ、―――――――ッ、ん」
口を開いたところを、自分の口で塞ぐ。
佐助が目を丸めて体の動きを一瞬止めた。その隙に小十郎は足を再び左右に開かせて、ジーンズを膝のところまで
押し下げて、それからボクサーパンツもついでに下ろして佐助の性器を露出させる。
重なった唇から、佐助の呻き声がこぼれたが、小十郎がぐいと性器を握ってやるとそれも止まった。痛みでなのか、
佐助の顔が真っ赤に歪んでいる。小十郎はするりと性器を握る手に込めた力を抜いた。
押しつけるだけだった唇を離すと、佐助が荒く息を吐いて眉を寄せる。
「これ、ちょっと、レイプじゃね、ぇの」
「俺がされるのにか」
「同意じゃない、じゃ、んッ」
「黙れ、煩ェ」
根本から撫で上げると、小十郎の指に倣うように佐助の性器がゆるゆると勃ち上がり始める。
先端を親指で抉ってやると、佐助が息を飲んで目を閉じた。小十郎は眉を寄せて、昼間パソコンで調べた男同士の
セックスの映像を必死で思い出す。
この後はどうすりゃ良かったんだか。
目を細め、脳内の映像を一旦最初から流す。
しばらく佐助の性器を擦ってから、あァ、と小十郎は思い出し、
「ひ、ぃッ」
うそだろ、と佐助が呻いた。
小十郎は首を傾げて佐助を見上げる。佐助の顔が思い切り歪んだ。
「ば、か、だろ、あんた」
何してんの。
馬鹿、マジで馬鹿。
脳みそ無いんじゃないのマジで。
言いたい放題言われて癇に障ったので、小十郎は軽く咥えた佐助の性器に歯を立てた。ひ、と悲鳴があがる。それ
からとろりと口の中に苦い液体がこぼれてくる。小十郎は眉を寄せて、その液体をせめて飲み込んだ。舌の上に乗
っていると苦味が逃げていかないので吐き気がする。
息苦しくなったので一旦口を離して、今度は根本から性器を舐め上げる。佐助は弱々しく髪に手を置いて、なんと
か引き離そうとしているが、正直くすぐったいだけで痛みすらない。性器がひくひくと震えていて、結局良いんだ
ろうにどうして抵抗するんだろうかと小十郎は不思議でしょうがない。
ぺろぺろと美味くもなんにもないものを舐めて、それからとろとろとしろい液体がひっきりなしにこぼれるのを見
計らって、性器の先端を口に含んで強く吸い上げた。
「ぁ、あぅ、は―――――――んッ」
佐助が高い声を発するのとおんなじに、口の中に熱が満ちた。
喉にそれが引っかかって、小十郎は思わず咳き込んだ。口から飲み込めなかった液体がこぼれていく。粘着いたそ
れは苦いし熱いしで、いくら咳をしてもそこから消えないので、最後には咳をしすぎて生理的に涙がこぼれてきた。
「これ、さ」
ようやく落ち着いて息を吐くと、目の前の佐助が低く呻いた。
なんのつもりなの、と言う。小十郎はまだ痛む喉を撫でながら眉を寄せた。なんのつもりもなにも、佐助が望んだ
からそもそも始めたことだ。佐助は眉を寄せて、達したばかりで荒い息を吐きながら、それでもひどく険しい顔を
している。小十郎は不愉快げに顔を歪めた。
これだけのことをして、睨まれるのでは割に合わない。
「何か文句があるのか」
「どこから付けて良いか解ンねえくらい文句だらけだよ」
「下手だったか」
なにしろ初めてなのでそれは指摘されてもしかたない。
佐助は首を反らして、そうじゃねえよもう、と泣きそうな声で呻いた。
あんた馬鹿だろう、と言う。小十郎はひくりと眉を寄せた。さっきからこの男は自分にいったい何回馬鹿と言った
だろうか。他の誰に言われても佐助にだけはそんなことを言われる筋合いはない。
何が馬鹿だ、と言おうと口を開こうとすると、その前に肩をとんと押された。
予期していなかったので、そのままぽすんと小十郎はシーツに沈む。
「馬鹿」
と言いながら佐助が覆い被さってきた。
小十郎は二三度目を瞬かせて、首を傾げて「するのか」と聞く。佐助はまた呻いてからのろのろと頷いた。頷いて
傾いた顔がそのまま降りてきて、佐助の厚い唇が小十郎のそれと重なった。
すこしだけ角度がずれて、ぴたりとジグソーパズルのように隙間が埋められる。キスもするのか、と小十郎はぼん
やりと思った。セックスだけでいいような気もするのだけれども、佐助は雰囲気だのなんだのに拘る質だから、こ
ういう過程も必要なのかもしれない。入り込んできた舌はひどく積極的に口の中を動き回って、小十郎は協力する
意味で自分もそれに舌を絡ませた。ひどく熱くて、すこし驚いた。
舌を絡ませていると、そのうちにとろとろと思考も溶けていく感触がする。
「ん、ん」
鼻先から掠れた声が抜けていく。
佐助は小十郎に口付けながら、ボタンをゆっくりと外して直接肌に触れている。するすると長い指がゆるやかに肌
を滑って、幾度も撫でられるとやたらと熱くてじんと腫れたような感触がした。
小十郎は―――――――拙いな、と思った。
「さ、るとび」
顔を逸らして、佐助の唇を引き離す。
不満げに佐助は追いかけるようにまた顔を近づけたが、小十郎の顔を見て目をくるりと丸めてそれからくつくつと
たのしげな笑い声をたてて、ふうん、と鼻を鳴らす。
寝間着のズボン越しに性器をするりと撫で上げられた。
「片倉君たらキスだけで勃っちゃって、やぁらしいの」
それとも俺の舐めて感じちゃったかな、と佐助は低く笑った。
小十郎は舌打ちをして、とっととしやがれ、と吐き捨てる。佐助は首を竦めて、目を猫のように細める。にいと口
角をあげて、言っとくけど、と言う。
俺様のこと本気にさせたのは、あんただから。
赤い目がちらりとひかる。
小十郎はそれにすこし怯んだ。
「さんざん止めたからな、俺は。
今更嫌がっても、ここまでされちゃあ俺もやりたいようにやらせて頂きますよ。あと」
ぐい、と性器に佐助の膝が擦りつけられた。
小十郎は目を見開いて息を飲む。佐助は小十郎を見下ろしながら、体を屈めて耳元につぶやく。
「俺、相当上手いから」
覚悟してね。
ぺろりと耳を舐められる。
つうと背筋になにかが走り抜けて、小十郎はふるりと震えた。佐助はたのしげにふふんと笑って、ごめんねえ気絶
とかさせちゃうかもしれないけどまぁ明日は休みだし片倉君たらやる気満々だし、
「コンドームは一箱あるし」
いっぱいしましょうねぇと言う佐助の顔が今まで見たことがないほど凄味のあるものだったので、小十郎はすこし
だけ自分のしたことに後悔したが、もちろん遅かった。
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原稿中ですがエロが書きたくなりました(正直者
これはこじゅさすなんでしょうかさすこじゅなんでしょうか 書いてる本人にも良く解りません。
ひとつ言えるのはつまり佐助は襲われるほうが似合ってるよなということです(結論
空天
2008/02/04
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