枕元のライトだけが橙にひかっている。 それが佐助の身体の上に居る小十郎をオレンジ色に染め上げていて、佐助は目をとろりと緩めた。 浮き出た腰骨に指を這わせると、上下に揺れていた小十郎の身体がひくりと動きを止める。佐助はくつくつと喉を 鳴らし、どうしたのさ、と首を傾げてやった。上から悔しげな舌打ちが降ってくるのを腰骨を抉ることで返すと、 舌打ちの代わりに今度は吐息が降ってきた。 オレンジ色の小十郎は、ひどく苦しげに顔を歪めている。 「俺が動くから、力抜いてなよ」 佐助がそう言って身体を起こそうとすると、肩に手がかかった。 歪んだ赤い顔のまま、小十郎はゆるゆると首を振る。 「だ、めだ」 「は」 「あ、」 明日も、と小十郎は言う。 明日もおまえは演奏があるだろう。 「むり、すると――――――――っ、し、しょう、が」 「支障が出てンのはあんたでしょうが」 「く、はぁ、う」 腰を緩く揺らすと、肩にかかった手に力が入って爪が皮膚に食い込んだ。 一切のやわらかさが欠落している臀部を掴んで上に持ち上げ、降ろす。ローションが皮膚と摩擦するずるりという ひどく卑猥な音と小十郎の抑えた悲鳴が混じり合って佐助の耳に浸食してくる。身体を反転させようとすると、ぐ いと小十郎の膝がシーツに食い込んでかなわなかった。 佐助は舌打ちをして、ばかだな、と吐き捨てる。 「つらい、くせに」 「ぁ、う」 「てか、こんなんじゃいつまで経っても終わんないぜ」 小十郎はうっすらと目を開けて、佐助の頭の上のほうに視線をやった。 ベッドについているデジタル時計を見ているらしい。小十郎の目はきつく歪み、口元が忌々しげに曲がる。おそら く既に日にちが変わっていたのだろう。佐助は口角を持ち上げ、どうする、とシーツに食い込んだ小十郎の膝をす るすると撫でて聞いた。どうする、このままじゃあ、夜が明けちまうぜ。 「俺はべつに朝までこれでも構いませんけどねぇ――――――――眼福だし」 「あ、ほか」 「困ンのは片倉君、でしょ。どうすんの? このまま朝までこうやってっか、それとも大人しく俺にさせるか。とっとと選べば」 佐助はことさらに声音を落として聞いた。 自分とのセックスの途中に他に目をやる小十郎が気に食わない。セックスの最中に時計を見られるなんて、これ以 上興ざめすることもなかなかないけれども、こと今身体の上に乗っている年下の男に関してはその不愉快さは高揚 に繋がるらしい。ぽたりと腹に落ちてくる小十郎の汗の感触に、佐助は笑んだ。 普段はすずしい顔で説教ばかりしている男が、自分の性器を咥えたまま顔を歪めている。 そう簡単に味わえる感覚ではない。征服欲と優越感とひとつまみの背徳感が混じり合って、甘苦い痺れが足の指先 から駆け上ってくる。 返事が無いので腰を浮かそうとすると、小十郎のてのひらが胸元に落ちてきた。 動く、と言う。 「おと、なしくしてろ、と、しより」 佐助は目をぱちぱちと瞬かせた。 きゅう、と性器が締めつけられて、声が漏れる。 小十郎が再び腰を上下させだす。胸が大きなてのひらで圧迫されて思わず目元を歪ませると、ひくりとその手が揺 れて、ゆるゆると離れていった。倒れ込むように小十郎は身を屈め、佐助の顔の横にてのひらを付いて身体を揺す る。佐助は目を細め、耳に直に流れ込んでくる荒いだ吐息に息を詰めた。 すぐに終わらせる為に、小十郎の動きは躊躇いが無い。 緩急のついた締めつけに、佐助は唇を噛んで堪える。 「ぁ、あ、っく、う」 「――――――――ッ、は」 射精感が一気に高まって、佐助は慌てて手を伸ばし小十郎の性器に手を這わせた。 脈打つ熱い性器に笑みを浮かべながら擦り上げる。かくんと小十郎の身体が落ちてきたのを受け止めて、ようやく 止んだ抵抗に腰骨を掴んで揺さぶった。小十郎はそれでも首を振ろうとしたけれども、無理矢理キスで止めさせる。 身体を起こして膝に小十郎を抱えて深く突き刺すと、腹に熱い液体がかかった。 「っく、ぁ」 拍子に締まる体内に、佐助も耐えきれず精を吐き出す。 小十郎がふらりと頭を揺らすので、抱え込もうとするとずるずると避けられた。 「なんだよ」 「は、はぁ、あ―――――、重い、だろ」 「べつに重かねぇよ。片倉くん俺のことどんだけ柔だと思ってンの」 胸元に押しつけられた頭を呆れてぽんぽんと叩く。 やわじゃねぇか、と返ってきて佐助はほおを膨らませて、もう一度転がしてやろうかとも思ったけれども、ここま で献身的にしてもらった後にそれを無にするのも大人げない。腰を引いてずるりと性器を取り出すと、小十郎はち いさく震えた吐息を吐き出した。乱れた前髪を見ているのがなんだか危なげだったので、佐助は目を逸らして使用 済みのコンドームを結んでゴミ箱に放る。 濡れタオルでも持ってきてやろうかと立ち上がると、ぐいと腕を掴まれた。 「なに」 「どこ、行く気だ」 「どこって、洗面所」 「なんで」 「あんた汗みどろだから」 「いい」 「は」 小十郎はむくりと起き上がった。 肩を掴まれ、すぽんとベッドの上に倒される。いい、と小十郎はまた言った。 「おまえは寝てろ」 「はあ」 「パジャマ」 ふらふらと立ち上がり、脱ぎ散らかされたワイシャツを持ち上げながら小十郎はベッドサイドを指さした。佐助の パジャマがきちんと畳まれて置いてある。着て寝ろ、と言われて佐助はしぶしぶ頷いた。 左右に揺れながらバスルームに消えていく小十郎の背中を眺めながら、佐助はほうと息を吐く。 「――――――――母親かよ、あんたは」 パジャマに袖を通して、寝転がる。 くしゃくしゃのシーツは汗と精液の匂いがこびり付いていて、その上じっとりと濡れている。寝心地が良いとはお 世辞にも言えないけれども、小十郎の匂いがして佐助にとってはそう不愉快というわけでもなかった。備え付けの シャンプーと香水の匂いがする。シャワーから小十郎が帰ってくると「あっちのベッドで寝ろ」と追い出されるこ とはほぼ確定しているので、佐助は目を閉じてそのまま意識を飛ばすことにした。 十とすこし年下の佐助の弟子は、驚くほど過保護だ。 佐助は確かに若い頃に無理をし過ぎたのと過酷なスケジュールに加え、生来の性格が享楽的なせいで少々他人より 身体の仕組みが弱く出来ている。無理は利かないし、健康診断の診断結果はいつも「E」だ。それでも仕事を減ら す気も遊びを止める気もないので、確かに端から見ていれば不安だろうとは思う。 しかしこれはどうだろうね、と佐助はぼんやりと煙草を吹かしながら思った。 『薬は食事後30分以内に飲め。昼飯にファストフードは禁止。野菜は必ず取ること。』 テーブルの上に置いてあった書き置きを見下ろし、佐助はしばらく固まる。 朝八時にホテルのモーニングコールで佐助が目を覚ますと、既に横のベッドに小十郎の姿は無かった。しかも気付 けば昨日寝転がったベッドとは別のベッドで眠っている。寝ている間に移されたらしい。ぼんやりとまっさらなシ ーツの上で佐助はそういえば昨夜用があるって片倉君言ってたなぁと思い出した。 そうして起き上がったら、テーブルの書き置きにぶつかった。 「お母さん」 つぶやいて、髪を掻き上げる。 実の母親にもこんなに甲斐甲斐しく世話をされた覚えはない。 コンサートは午後の六時からで、リハーサルは午後の一時からなので佐助はそれまで特にすることはない。小十郎 の用事と言うのは多分本社からのあれやこれやだろう。本来なら佐助がするべきこともそこには含まれているに違 いない。それならそれでいいやと思ってしまうところを、佐助はあんまり直そうとは思っていない。 取り敢えず暇なので、小十郎が居ては吸えない煙草を吸いながらぼんやりと本を読むことにした。 ――――――――したが、三十分も保たなかった。 「なんなのかなあ、あれは」 つぶやいて、文庫本を放り出す。 ソファに深く沈み、テーブルに足を投げて天井を見上げる。 目を閉じると、瞼の裏側に昨夜の小十郎の顔や匂いや声が映画をコマ送りするようにワンカットずつ映り込んでき て思わずへらりとほおが緩んだ。小十郎とのセックスはもうすぐ両手に満ちる回数に達するけれども、その具合の 良さは言葉では説明しづらい。アナルセックスの良さかな、と佐助は窓から差し込む朝のしろいひかりとひどく不 釣り合いなことを考えた。あのゴムみたいな感触は、女とのセックスでは味わったことがない。 ただそれは、べつに相手が「片倉小十郎」でなくとも良い要素の筈だ。 試しに他の相手とアナルセックスをすれば解るのかもしれない。ただ佐助にはその気は一切無かった。不思議なほ ど一切無かった。きっと世界中の誰とするセックスより小十郎とのそれが気持ちいいことを、息をするよりも自然 に佐助は知っている。柔らかさなど見あたらない自分より一回り大きな身体と、眠っていた赤ん坊だって怖くて泣 き出しそうな顔。佐助は緩んだ顔を益々だらしなく崩した。 恋だなあ、と思う。 それは往々にして、いろんなものを歪んで見せる。 経験上佐助はそれを良く知っている。これはつまり、恋だ。 恋なのだから小十郎がいかに顔が怖くて身体が厳ついかということをあげつらっても意味が無い。恋だからだ。佐 助は年下の弟子に恋をしているので、あの男が持つどの要素も顔を緩める要因にしかならない。恋とはつまり、病 気のことだからだ。佐助はそれに侵されている。耳と目と脳が正常に働いていない。 ただそれでも、不満はある。 小十郎はセックスをする時、絶対に受け身にしかならない。 それどころか、出来るだけ佐助に負担が掛からないように涙ぐましい努力をする。 佐助に負担の無い体位、出来るだけ早く終わらせる為の積極さ――――――――驚くほど小十郎はなんでもしてく れる――――――――ちょっと考えれば良いことのようで、これは相当、ストレスが溜まる。身体を重ねる度に、 いやでもこの行為の意味を思い知らされる。 「おまえが健康で居て欲しいだけなんだが」 そういうことだ。 佐助は目を開けて思い切り顔をしかめた。 小十郎は絶対に受け身にしかならない。それは、そうだ。そもそも小十郎が佐助とセックスをするのは佐助とはま ったく理由が違う。あの男はべつに佐助に恋をしているわけではない。 ただ、佐助の音楽が好きなだけだ。 それを生み出す佐助のタクトを振る腕が、小十郎には必要なだけだ。 胸の前で手を握り合わせ、ずるずるとソファの背もたれに寄りかかりながら佐助は眉を寄せた。そういうふうに考 えることは、癪でしょうがない。この年にもなって典型的な片思いなんて笑えない。 しかもライバルは自分の音楽だ。笑えないどころか寒い。 握っていた手を窓からのひかりに透かすように持ち上げ、ぼんやりと指紋を眺める。例えば、と佐助は思った。例 えば、この腕が一本消えたとして片倉小十郎は猿飛佐助とセックスをするやいなや。 答えは明白。 ノーだ。 「まったく、切ないったら」 音楽がライバルなんて勝ち目が無い。 佐助はソファの背もたれに腕を投げ、目を閉じてまた「例えば」に思いを馳せた。 例えば遊び癖のある貧弱な身体の指揮者が他に居たら、そしてその相手がそれを望めば、片倉小十郎はその相手と もセックスをするんだろうか。どうかな、と佐助は首を傾げる。小十郎は変で、良く解らなくて、NASAで保護 したほうがいいんじゃねえのと時々思ってしまうような未確認生命体だけれども――――――――軽薄ではない。 あの男にはあの男の行動理念がある。簡単に男とセックスをするような人間ではない。 そう思うと、ちょっとは脈があるのかなと思わないでもない。 ただどう考えても「恋」ではないのだろう。男なら恋愛感情は性欲に結びつく筈だ。小十郎にはその気配が見えな い。切なくなるほど、気配すら感じられない。佐助は息を吐いて、なんとなく腰を浮かせた。セックスで受け身に なるならここに入ってくんだよなぁ、とのろのろと尻を撫でながら思う。無理じゃね、と思ったけれども、現に小 十郎はしている。出来る、ということだ。小十郎に出来て佐助に出来ないということもないだろう。 でもきっと、そういうことが起こる日は来ない。 小十郎は箸より重いものを佐助に持たせることさえ嫌がるのだから、こんな狭い場所に自分の性器を挿れることな んて考えたこともないだろう。 べつに抱かれたいわけではない。むしろ御免だ。 ただすこしだけ、「抱きたい」と小十郎に思って欲しいと思うだけで、 「俺様ってばワガママ」 首を振ってから佐助はソファから立ち上がった。 町をぷらぷら散歩でもしようとこきんと肩を慣らす。暇は良くない。慣れない時間は慣れない思考に繋がる。くだ らないことだけ洗濯機の中みたいに旋回して困る。 そして今、佐助の洗濯機で廻っているのは小十郎だけだった。 めんどくせえなあ。佐助はつぶやいて、煙草を一箱スーツの胸ポケットに入れて部屋を出ようとした。 そこで、携帯が震えて佐助は立ち止まる。 小十郎からだった。 すこし迷ってから、佐助は通話ボタンを押す。 『薬飲んだか』 一言目がそれで、佐助は思わず吹き出した。 飲んでないと笑いながら言うと、阿呆か、と不機嫌な小十郎の声が返ってくる。 『書き置きまでして、後はどうしたらおまえは俺の言うことを聞くんだ』 「今から飲もうと思ってたんだよ。ところで片倉君今どこに居ンの?」 『今日のコンサートホール』 「なにしてんの」 『打ち合わせだ。おまえが寝てるから代理だ、阿呆』 リハには来いよ、と言われて佐助は了解と欠伸混じりで言った。 まだ眠いのかと携帯電話の向こう側から呆れた声がして、見えないのは解っていたが佐助はこくりと頷いた。 それで佐助としては返事をしたつもりだったのだけれども、もちろん小十郎には見えていない。返事が返ってこな いことに焦れたのか、さるとび、と名前を呼ばれる。佐助は携帯を持ったまま、またソファに沈んだ。 さるとび、と今度はすこし苛立たしげな声が耳に流れ込んでくる。佐助は目を閉じてへらりとほおを緩ませた。朝 一番の小十郎が呼ぶ自分の名前は、実に聞き応えがある。うっとりする。 放っておいたら四回目で小十郎が切れた。 『死ね』 「ひでえ。片倉君の声に聞き入ってたのに」 『寝惚け野郎と違って俺は忙しい。切るぞ』 「片倉君」 『なんだ』 「さみしいから一旦帰って来て一緒にごはん食べない?」 声を聞いたら急に会いたくなってきた。 ひとりで散歩するよりは小十郎の横で彷徨いてるほうがたのしい気がする。 しばらく携帯はしんと鎮まって、電源が切れたのかというほど音を発することを拒否していた。佐助はその間足を ぶらぶらさせながらランチのメニューを考えていた。コンサートホールのレストランは今ひとつだったから、スタ ッフに美味しいレストランでも教えてもらおう。日本料理を出す店がどこかにあればそれが良い。洋食はさすがに 食べ飽きた感がある。刺身が食べたいなあと佐助は思った。 佐助はもちろん、小十郎が断ることなんて想像もしない。 『――――――――おまえが来やがれ、阿呆』 三十秒ほど粘ってから小十郎はそうやって吐き捨てた。 佐助は口角を上げ、了解、とぴょんとソファから立ち上がる。 ホールのエントランスで、と言って通話ボタンを切る。部屋の鍵を閉めてからホテルの廊下に出て、鍵を放ってて のひらで受け止め、ふと佐助は自分が鼻歌を唄っていることに気付いた。 浮かれすぎていて、自分でも気持ち悪い。 「やれやれ」 今頃小十郎は、仏頂面で打ち合わせ中だろう。 その仏頂面の構成成分には、「これから阿呆な師匠と昼食」という面倒な事案からくるものが二割程度含まれてい るに違いない。申し訳ないなぁ、と思わないこともない。思わないこともないけれども、佐助は特に行動を改める つもりもなかった。まあいいだろう、と短くなった煙草を灰皿に擦りつけてつぶやく。 これが永遠なら、小十郎も我慢しないだろうけれども――――――――実際はちがう。 「あと一ヶ月、か」 佐助はつぶやいて、目を細めた。 タイムリミットはある。何にでもそれはある。一曲の協奏曲にも、旅にも、人生にも、なんにでもある。ダ・カー ポで繰り返されたとしても、その音楽記号は決して二度目には効果を発しない決まり事になっている。 それならば、佐助が選ぶのはその一曲の演奏時間をどう楽しむかに心血を注ぐ道しかない。 佐助はスーツのポケットに鍵を突っ込んで、エレベーターに向けて歩き出した。 次 |