これは好奇心とはすこしちがうらしい。
(愛情なんかでは勿論ない)
透 明 な 蜘蛛の巣 2
「No kidding!!おい、小十郎そりゃぁどんな冗談だ!?」
早朝の米沢城に伊達政宗の声が響き渡る。
なにごとだなにごとだと寄ってきた家臣たちは、おのれらの主と家老が向かい合っているのを見て、その寄ってきた
速度の何倍かの速度で引いていった。
あのふたりには、近寄らないのが身のためだと伊達の者ならみな知っている。
そんなふうに遠巻きにされているとも知らず、伊達政宗と片倉小十郎は大広間でふたり向かい合っていた。
政宗がだん、と畳を叩きつける。
「武田のしのびが、おまえを抱きたいだとォ!?」
完全に瞳孔が開いている主を前に、小十郎は事も無げにこくりと頷いた。
「そのようですな」
「Ha!そらぁこっちへの宣戦布告として受け取っていいんだろうなァ?上等だぜ・・・!」
「いえ、政宗様。これにはすこし訳がありまして」
「わけ?」
「は」
小十郎は政宗に、佐助に命を救われたことを説明した。
政宗は神妙な顔でそれを聞いていたが、最後まで聞く前に顔を赤くして畳に突っ伏した。小十郎がそれを不思議そう
に眺める。
「どうかいたしましたか」
「どうか・・・って、おまえ、ほんと有り得ねぇ・・・」
「はあ」
理解できない、というように小十郎は首を傾げる。
それをすこし、政宗は痛々しいものを見るような目で見る。それから首を振り、き、と目の前の家老を睨み付けた。
「・・・兎に角!そんな安請け合いしてんじゃねぇよ!俺の右眼がそんな尻軽たぁ知らなかったぜ」
「尻軽とは心外な。小十郎とて好きでこの身差しだそうとは思いませんが、なまじ他の面倒なことを要求されるより
は余程いいではありませぬか。べつに一生涯あのしのびの慰み者になるわけでもありませんし」
「そんなん許してたまるか!!」
政宗は叩きつけた畳を掻きむしるように爪に力を入れる。それを見て小十郎は、割れてしまいそうな爪をそっとおの
れの手で撫でる。
「割れてしまいますぞ」
そして笑った。
なにをむきになっておられるのか。
「元よりこの小十郎の身、誰に抱かれようともただ政宗様ひとりのものだというのに」
小十郎のその言葉に、政宗は指の力を緩める。
それからすこし泣きそうな顔で、そうだな、と。言った。
白粉のにおいはあまり、すきじゃない。
佐助は芸者の膝を枕にぼんやりとそんなことを思った。やわらかな肉の感触、さらさらとした上等な着物の肌触り、
むせかえるような白粉と香のにおい、におい、におい、におい。
ひとつ、ため息をつく。
すると上から芸者の高い声が、まあ、と不満げに佐助を責め立てた。
「失礼なこと。さっきからつまらなそうに」
「んー、だって、つまんないんだもん」
「随分な言いよう。左吉さんたら、今日はえらく辛気くさいじゃないかえ」
「・・・そ?」
「そうさァ」
さきち、というのは佐助の仮の名だ。
しのびが本名を簡単に晒すわけにはいかぬ。だから佐助はなんらかの事情で名を名乗らなければならぬ場所では左吉
と名乗っていた。単に元の名と近いというだけの、ひねりも何もない名だ。幸村にはあまりに安直だと笑われたこと
を想い出して佐助はさらに不機嫌になる。
それを見て芸者はくすくすと媚びた笑みを浮かべる。
「そんなにつまらないなら」
「・・・なら?」
「楽しいことでも、しましょうえ」
ちゅ、と音をたてて口付けが降ってきた。
佐助は眼を開いたままそれを受け入れる。やわらかい唇。よく手入れされた、男のそれと合わさるために存在するよ
うな。佐助は動かない。唇を閉じたまま、微動だにしない。
芸者が不満そうに、さらに唇を押しつける。
白粉のにおい、香のにおい、やわらかい唇。
ーーーーーーーーーーーー嗚呼、なんて鬱陶しい!
佐助はすっかり醒めきってしまった。
文句を言う芸者を置き去りに早々に廓を後にする。上田城に向かう道すがら佐助は考えた。片倉小十郎というおかし
な女についてを、だ。
果たして、あの女に関わることは益か否か。
(分かり切ってる)
否だ。
そもそも益の要素がない。最初からただの気紛れ。暇つぶし。
その程度の対象に深入りして、足下を掬われたらそんなのはあまりに道化だ。佐助はそんな役回りはごめん被る。
「・・・君子、危うきに寄らず、てな」
呟く。
君子でなくとも、あの女は底知れなくておそろしい。
城下町を抜けると、上田城が見えてくる。堀まで寄ったところで、佐助は首を傾げた。
なにやらざわざわと騒々しい。見知らぬ顔の武士も見える。佐助はとと、と駆け寄って門番の兵に問おうとすると、
その前に佐助の姿をとらえた門番が、駆け寄ってきた。
「猿飛様!」
「んー、どしたのこれ?なんの騒ぎ?」
「猿飛様に客人でございます」
「きゃくぅ?おれに?」
首を傾げる。覚えがない。
とにかく、と門番に急かされて城へ入る。するとそこには真田幸村が待ちかまえていて、佐助はそれに捕まった。わ
けを聞く間もなく着流しをはぎ取られ、数えるほどしか着たことのない正装をかぶせられる。
「ちょっと、旦那、なんなわけ?」
「話は後だ!とにかく急げ!」
幸村は不器用だ。いちいち着付けも手間取っている。
佐助はひとつため息をついて、観念してじぶんで着付け始める。この様子だと随分客人とやらは身分の高い人間なの
だろうか。ますます覚えがなかった。
(面倒事はごめんなんだけどねぇ)
確実にそれが待ちかまえていることを内心知りつつも、佐助はかすかにそれを願った。
「・・・これはこれは」
佐助は内心の驚きを押し隠しながらちらりと笑う。
幸村に通された客間に居たのは小十郎だった。
袴を履き、正装をして上座に泰然とする姿を、佐助以外の誰が女だと疑おう。ぞ
くりと、背筋になにかがはしるのを佐助は感じた。
それを隠しながら下座につく。
「伊達家のご家老が、一介の忍頭風情になんの御用でしょう」
跪いてそう言えば、小十郎はすこし迷うように視線を泳がせ、それから幸村
にそれを合わせる。
「真田殿」
「なんでござろう」
「申し訳ないが、すこしこの者と一対一で話をさせて頂けないだろうか。長くは
かかりませぬ」
「ならば易きこと」
にこりと幸村は笑って頷いた。
佐助はそれを見ながら内心で舌打ちをする。矛盾だ。廓ではあんなに頭から離れなかったくせに
いま、こうして目の前に居ると息が詰まりそうでとても耐えられない。
佐助は顔をあげて幸村を見た。おのれの意思を主が汲むことをかすかに期待して、だったがや
はり幸村は戦場以外ではそのような疎通を一切してはくれず、佐助の視線をなん
と勘違いしたのか、
「そなたの善行、この幸村心から誇りに思うぞ!」
などといい笑顔で言い捨てて出て行ってしまった。
そこで佐助は、小十郎が佐助への謝礼のために正式に訪れたことを知った。
(律儀なこって)
いくら借りと言えども、それが一国の家老であるならばだ。
どれだけ丁重であったとしても配下を寄越せば十分だ。まして相手はたかだかし
のび。黙殺し
たところで誰も何も言うまい。なのに小十郎は自ら佐助を指名し、あろうことか
一対一でそれ
をしようと言う。
変な女だ、とまた佐助は思った。
「おい、しのび」
ふいに声がかかる。佐助は視線をそちらへやった。
小十郎がひどく苦々しげに顔を歪めている。
「いい加減やめねぇか、その格好」
「え・・・あ、あぁ」
気づいて佐助は笑った。
佐助は跪いて、頭を小十郎へと下げている。
「そうもいきませんよ、公式の場では俺と貴方様の間には雲泥の立場の差がありますからね」
「その喋り方も気に食わねぇ。米沢じゃあ、身分もくそもねぇことばかり言っていた癖に」
「あれは俺のわたくしごと。こっちは公式の会見。ご家老殿のがよくご存知でしょ」
言ってやると小十郎も黙る。
それから観念したようにため息をついて、それじゃあ、と言う。
「本題に入る」
「どうぞどうぞ」
「礼を、言っていなかったことに気付いた」
小十郎はそこまで言って、つ、と指先を畳に滑らした。
ん、と佐助は首を傾げる。
それから目を見開く。
小十郎がそのまま、深々と畳へ頭を下げたのだ。
「おまえが助けてくれなんだら、俺は死んでいた」
「え、ちょ・・・!」
佐助は予想外の展開に言葉を失う。
だが小十郎はなお頭を下げたまま動かぬ。佐助はしばらくあわあわと焦っていたが、諦めたようにため息をついて、
こちらも頭を下げた。
「勿体ないお言葉です」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
小十郎はまだ頭を上げない。
佐助は目を細めて、ちらりと顔をあげて言う。
「・・・あのー」
「・・・」
「頭、上げてくれませんかね」
「おまえが上げたら上げる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
幾度目かのため息。
佐助は自棄のように頭をぐいとあげた。小十郎もそれにならって上げる。
目が合うと、ちらりと小十郎は笑った。
「似合わねぇな」
「は?」
「その格好」
小十郎の指が、佐助の着物を指す。
正装のことを言われているのだと知って、佐助はほっといて、と笑った。すると小十郎が不自然なほどに声をたてて
笑う。なんだと思って首を傾げると、
「ようやっと前会った時と同じになった」
と言う。
(なんなんだ)
佐助は戸惑った。
先日奥州に行ったときは、結局小十郎とはなにもないままに終わった。が、それでも佐助の態度は相手に嫌悪感を抱
かせても好感を抱かせるようなそれではなかったはずだ。こんなふうに、小十郎が笑いかけてくる予定などありはし
ない。
なのに小十郎は笑っている。
やめてほしいと佐助はうんざりした。
「それで、本題の話だ」
小十郎が急に言う。
佐助はぱちくりと瞬きをした。
「え、礼の話じゃないの」
「そうだが、これは前置きだ」
「ふぅん?」
首を傾げながら佐助は小十郎の次の言葉を待つ。
小十郎はすこし躊躇いながら、口を開いた。
「この間のことなんだが」
「はぁ」
「駄目になった」
「え?」
「だから、俺を抱くとかそういうのは、駄目になった」
大まじめに小十郎は言う。
佐助は三秒ほど、考えて、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?」
呆けた。
小十郎はいたって真面目な顔をしている。佐助はじぃ、と阿呆のようにそんな小十郎を見ながら、目の前の大女がこ
の発言を真剣に言っているのか否かを見極めようとして、やめる。
そんなのは自明のことだ。わざわざ米沢から甲斐くんだりまで、冗談を言いに来る馬鹿はいない。
が。
「あんた馬鹿だろう」
佐助は言う。
あきれ果てて、だ。
冗談じゃなくとも、こんなことを言いに甲斐まで来るのが馬鹿じゃなくてなんだろう。小十郎は仏頂面で、なにが馬
鹿だ、と文句を言ってくるが、佐助はもう取り合わない。
(馬鹿だ、やっぱりこの女)
先の邂逅で思ったことを、また思う。
小十郎はどこか変だ。
そのおかしさは、例えば佐助の主の真田幸村が変だとかそういうのとはまた色のちがう種類のおかしさだ。どこかで
感情が閉じている。能面のような顔でおのれの価値を否定する小十郎を思い出す。ぞくりと背筋が冷たくなった。あ
れが為に佐助は小十郎から逃げたいと思う。そしてそれはたぶん、彼女の主への想いの発露なのだろう。
なんと難儀な、と佐助は苦く笑う。
(感情を閉じることが発露ね)
そこで佐助はふと、気づいたように小十郎に問うた。
「ねぇ」
「なんだ」
「あんたがいきなり俺に抱かせないって言うのは、なんで?」
佐助の問いに小十郎はすこし驚いたように眼を開いた。
それからかすかに苦笑いを浮かべながら答える。ああそれはな。
「政宗様が」
「ああ」
「駄目だと仰るのでな。一度言ったことを撤回するのは好きじゃねぇんだが」
「うん、なんか」
「悪ィな」
「そうじゃないかとはね」
佐助は笑う。
笑おうとした。
「そうじゃないかとは思ってたよ」
だがどうやら失敗したらしい。
訝しげに小十郎が佐助を見ている。
佐助は、作るのに失敗した笑顔を隠すために手を口元へ持っていった。おのれの手首が目に入る。それを見たら、先
に小十郎の手首に残した痕のことを想い出した。
もうあの痕は当然残ってはいまい。
佐助は急に、それがなんだかとても、惜しいことのような気がしてしまった。
(なんてこったい)
君子危うきに寄らず。佐助は心中でまた繰り返す。
小十郎は変だ。おかしい。近寄る益などどこにもない。そもそもが好奇心で気紛れで暇つぶしだ。女などどこにでも
居る。小十郎はその何百万のなかのひとりでしかない。やわらかい唇もいいにおいもすべらかな肌も決して持っては
いない女に、いったいどうして執着など抱こうか。
「・・・でもさ」
だが佐助は笑いながら言った。
「どーすんの?恩は返してくれるんでしょ?」
「勿論だ。なにか望みがありゃあ、できる範囲で用意させてもらう」
「できる範囲、ね」
「ああ」
「いらない」
「は」
「いらないよそんなもん」
笑いながら、佐助は三度目の馬鹿だな、を心中で呟いた。
今度はおのれに向かって。
(なんて言うんだっけね、こういうのは)
立ち上がり、小十郎の元まで佐助は歩く。小十郎はそれを見ても特に動かず、近寄ってくる佐助を見上げた。おのれ
を見上げる小十郎の目は、夜のように黒い。佐助はそれを満足げに、それでいて厭うようにのぞき込む。底
知れないほどに深い黒は、ほとんど不気味なほどに澄んでいる。
佐助は屈み込んで、膝に置かれた小十郎の手をとった。
「俺はね、片倉さん」
そして口づける。
小十郎が目を見開いたが、気にしない。かさかさと荒れている肌を強く吸った。
もちろん手首を。
それからそこから離した唇を、くい、と下弦に歪ませる。
「矢っ張りあんたが欲しいよ」
小十郎の手首にはくっきりと、以前より濃く痕が残っている。
佐助はそれを、ひどく満足げに見つめて笑った。
(嗚呼、そうだ)
毒喰わば、皿まで。
ひどくすっきりした気持ちで佐助は息をひとつ、吐いた。
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いまだかつてない小十郎→伊達感。
まさこじゅが可能ならばいっそそうしてやりたいんですが、如何せん空天さんはまさこじゅは読み専なのでした。
このこじゅを某人に送ったときに萌えよりなにより最初に「怖い」と言われたのが衝撃でした。こわいか?こわいか。
空天
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