愛情ではない、同情でもない、まして共感など出来るはずなどない。

あたたかい感情も心寄せるべき心情も抱きようがない相手への執着をなんという名前で呼ぶ。










(いっそ恋ならもっと楽だったんじゃないの)














    透 明 な   蜘蛛の巣 3














奥州はひかるように木々が朱に色づいていた。
佐助はそれを横目に見ながら、慣れない正装で頭を下げたまま蹲る。ちらりと顔を上げるとそこ には隻眼の奥州筆頭が苦虫を噛みつぶしたような顔でこちらを見ていた。ひとつしかない龍の目 はひとでも殺せそうなほどにするどい。

(だったら呼ぶなよなぁ)

胸の内だけで息を吐く。
上座で胡座をかいていた伊達政宗は、ひとつ舌打ちをしてから、

「とりあえず礼を言ってやる」

とひどく偉そうに言った。
佐助はそれに顔を上げ、目を細めてそらどうもと返す。政宗の傍らに座る片倉小十郎が佐助のそ の態度にぎらりと視線を送ったが無視をした。こんな主従にいちいちつき合うほど猿飛佐助も暇 ではない。

佐助は米沢の城に、「家老を救った恩人」として招かれていた。

だというのに。
佐助は呆れる。
当主も家老もかけらも佐助をもてなそうという気配を感じさせない。来たくなどなかったが仕様 がない。大国同士の外交においてたかだかしのびに発言権などあろうはずもない。幸村が笑って 行ってこいと言ったら行かないわけにはいかぬ。
佐助は今度は隠さずに息を吐いた。
政宗がそれを見て笑う。

「Ah?お気に召さねぇようだなぁ、奥州は」
「奥州が・・・ってかねェ?あんたそんな対応して俺があー招いてもらってよかったぁって思うとでもお思い?」

政宗の態度が軽いので、合わせて佐助も口調を崩す。
これが甲斐ならば幸村の手前とりつくろうこともするが、他国でまでそれをする義理はない。大 体伊達政宗というこの男自体がそのような建前を好む男ではない。
案の定政宗は口調を常のものに直した佐助ににやりと口角をあげた。

「Ha!!上等だぜ。まァ、安心しな。それなりのPartyは用意してやってっからよ」
「あんたがその単語言うとなんかいやな感じがするんですけどねぇ・・・ま、もらえるもんはもらっとくけど」
「・・・おい」

笑う政宗の横から小十郎が低く佐助に声をかける。
出過ぎだ、とでも言いたいのだろう。佐助は赤い目を細めて、それからへらりと笑う。

「おー怖い怖い、ちょっと片倉さんったらそんな顔で見ないでくれるー。
 つか、俺たしかここにはあんたを助けたってゆーので招かれた筈じゃなかったかなあ」

佐助がにやにやと言うと小十郎はぐ、と言葉に詰まってそのまま下を向く。
ち、という舌打ちの音が聞こえた。主従ともども伊達家はひとの応対を知らぬようだ。政宗はそ んな小十郎をすこし苦い笑いで見て、それから、



「小十郎、おまえすこしさがっていろ」



と言った。
驚いた。小十郎だけでなく、佐助も。
が、小十郎にとって主の言葉は絶対である。納得がいかないような顔をしながらもそのまま広間 からさがる。そのときに、いっしゅんだけ佐助のほうを見据えた小十郎の目がひどくするどくて 、佐助はぞくりと背筋につめたさを感じた。
思わず笑みがこみ上げる。
佐助はあの女のああいう目がすきでしかたない。

(俺も物好きだねェ)

今更だが、そう思ったら笑えた。
小十郎が消えたのを見届けてから、政宗は佐助に向き直る。佐助も政宗を見た。年若き独眼竜の その目は相変わらず佐助を射殺さんばかりにするどく、それでいてどこかかなしげにも見えた。 政宗が口を開く。

「おまえの為に言ってやらぁ」

佐助は眉を顰めた。意味が分からぬ。
首を傾げる佐助に政宗はくつくつと笑いながらぱん、と手元の扇子で床を叩いた。




「あいつに手ェ出すのはやめな。
 あれは俺の右眼だ。それ以外のなんでもねぇ」




言葉は予想の範囲内だった。
だから佐助は無表情でそれを受け入れる。勿論これを言いたいがために独眼竜はおのれを奥州に 呼んだのだろうし、それを解って佐助だって此処にいる。独眼竜の右眼だと解ったうえで、佐助 はあの女が欲しくてしかたないのだ。

だから、佐助が驚いたのは政宗の言葉にではなかった。

佐助は驚いた。
だって政宗のその顔はあんまり痛々しい。

「・・・・・・・・・・・じぶんの女に手を出すなって言う、男の顔じゃないんじゃないのそれ」

じわりと滲んでくる、怖いほどの違和感をごますように笑う。
政宗はしかし笑わずに返した。

「そりゃそうだ。あいつは俺の『女』じゃねぇし俺はあいつの『男』じゃねぇ」
「じゃ、あんたらは一体なんだってのさ」
「言ったろーが」

扇子が放られる。
とっさに佐助はそれを手に取った。

「あいつは俺の右眼だ」

開いてみる。
するとそこから、はらはらと長い髪がいくすじか落ちてきた。顔をあげ、政宗を見る。
政宗は相変わらずどこか痛むような目をして、佐助を見ていた。

「なんだかわかるか、それ」
「解るわけないでしょうに。なにこれ、髪?だれの?」

長い髪は、しかし古いもののようだった。
つうと指でなぞるときゅ、と音がする。気色悪いな、と思って扇子と一緒にそれを床に置いた。
政宗はほおづえをつきながらくい、と口角を上げ、言う。

「小十郎のだ」
「へ」
「そらァ、小十郎の髪さ」

佐助は再び視線をその髪へと注ぐ。
なんの感情も浮かんでこない。長い髪はあきらかに女のそれで、佐助のなかの片倉小十郎という 存在とは結びつかない。政宗は目を細めて畳のうえへ釘付けになっている佐助を眺めながら静か にこぼした。

「十年前だ」
「・・・なにが」
「あいつが髪を切ったのが、だ」

佐助の言葉に政宗はひどく平坦に応える。

「それからあいつは『片倉小十郎』で、それ以外のなにもんでもねェ。
伊達家の家老で俺の右眼だ」

佐助は言葉を連ねる政宗をただ見た。
政宗の表情は静かだ。が、表情が無いわけではない。淡々と話すその事実を、忌むべきものとは 言わないまでも、それをどこかで悲しんでいるような顔をしている。独眼竜らしからぬ表情だと 思った。口にしてみる。

政宗は笑った。

佐助はよく解らない、と思った。
政宗の言う意味も、小十郎という存在の重さと方向もかけらも理解できぬ。だって小十郎はあき らかに女で、そのことはどんな理由があったとしても変わる事実ではない。男女であるならば、 大切であれば情が湧き、情があれば体を合わせるのは至極普通のことではないのか。
佐助の視線の意味を悟ったのか、政宗は馬鹿にしたように鼻を鳴らし、

「抱きたきゃ抱いてみるのも一興だ。
 が、それじゃあいつは手に入らねぇぜ。あいつの『女』は、もうあいつのもんじゃねぇんだ」

と言った。
























米沢城を出るとすでに日は傾いて、世界は橙に染まっていた。



佐助は正装を解いて平素のしのび装束に着替える。普段のそれはやはり肌になじみ、ようやっと 佐助は息をついた。そしてすこしずつ橙を浸食していく黒が染み渡る前に、と、走り出す。
家臣のひとりが言うには片倉小十郎は伊達家の鍛錬所に向かったと言う。
それを追う。米沢城下の家屋の屋根を駆け抜けながら佐助は思った。

いったい、おのれは、なにをしているのか。

滑稽だ。道化のようだ。だが交互に前へ出る足を止める気にはなれず、纏まらぬ思考とは裏腹に 距離だけは確実に縮まっていき結局半刻も経たぬ間に佐助は鍛錬所に着いてしまう。
まだ空はいくらか橙が残っていた。
鍛錬所には誰もいない。佐助は一通り見回してから、諦めるか否かをいっしゅんだけ考えた。そ してなんと愚かしいのかとすこし笑う。此処まで来て諦めるくらいならば元よりこんなところま で足を伸ばすものか。
森の中の、すこし奥まったところに鍛錬所はある。そのおおきな空き地の部分からさらに森の奥 へと佐助は進んだ。記憶が正しければこの先には川が流れている筈であり、鍛錬のあとに小十郎 がそこで汗を流しているということは十分に考えることができた。木々のすきまを抜けて川へ出 る。きらきらと流れる水はやはり空の橙を写し取っていた。
かさり、と木の葉のすれる音がした。

振り返る。

「・・・探したよー」

果たして。

やはりそこに居たのは、小十郎だった。
陣羽織を脱いで肩にかつぎ、なかの袈裟だけの姿になっている。佐助の姿を見定めて、まるく切 れ長の目が見開かれた。佐助が手をひらひらと振ると、呆れたようにその目が細められる。

「・・・なにしてんだ、こんなところで」
「だから探した、って言ったじゃん。あんたを探してに決まってるでしょ」
「知るか」

短く言い捨てて小十郎は佐助の横をすり抜ける。
咄嗟にその腕を取った。はじかれたように小十郎が佐助の顔を見る。
その目の強さに佐助は思わず笑ってしまう。

「待ってよ」
「離せ」
「あんたが此処に居てくれるなら」

そう言うと小十郎は諦めたように息を吐いて、腕の力を抜く。
佐助も息を吐いた。そして口を開く。

「いつも」
「なんだ」
「いつも此処に来てるの、こんな時間から」

馬鹿みたいだな、と思った。
なにを聞いているのだろう。だが口からこぼれた言葉は取り返しがつかない。小十郎は訝しげに 眉を顰め、それからまぁなと気のない返事をした。

「女だってばれたら困るから?」
「しつけェ野郎だな。構わんと言ってるだろうが」
「でもわざわざひとりで鍛錬するってことはそーいうことでしょ。あんたは別に一匹狼って感じのおひとでもないしさ」

そう言いながらも佐助は、これもまた主の命であろうことをなんとなく解っていた。
袈裟のうえからでは小十郎の体型はやはりはっきりとは解らない。
以前介抱したときに見た小十郎の体には、胸には晒しが腰には詰め物がしてあって外からでは決 して女という体型が解らぬようにしてあった。勿論今でもそうしているのであろう。

佐助はふいに、そのときに見た小十郎の裸体を思い出した。

まだ離していなかった小十郎の腕に、そっと指を這わせて手首の部分でそれを止める。
小十郎のからだがびくりと跳ねた。
だが、それでも小十郎はなにが起こったのか解っていないような顔をしている。

(ああやっぱり)

佐助は小十郎の手首を親指でさすりながら思う。
伊達政宗はこの女を守ったのだろう。それこそ何もかもから。その行為の根底にあるものが何か などは今はどうでもよい。小十郎はひどく性に関して無知だ。
処女であるということはもちろんだが、満足な知識すらあるまい。あるとしてもそれは、同じ男 同士として語られるであろう下世話な男本意の猥談か、否、小十郎の身分を考えればそれすらな かった可能性のほうが高い。佐助は小十郎の手首を持ち上げて、反対側の手を袈裟の袖のなかへ と突っ込んだ。

「・・・なっ」

突然の行為に小十郎が声をあげる。
そして腕を引こうとしたが、それを佐助は辛うじて止める。そのまま小十郎の引き締まった二の 腕をくるくるとなぜる。するとふわんと腕を引こうとかかってくる力が弱まった。見ると小十郎 は眉を顰めて、なにかに耐えるような顔をしている。

「かんじてる?」

首を傾げて訪ねると思い切り睨まれた。
また腕が引かれそうになるがその力は弱い。ちょうど休憩で川辺に来ていたからだろう小十郎が 得物を持っていなかったことも幸いして、佐助の腕は好き勝手に袖のなかを動き回る。指先が脇 を通り抜けて乳房のはしにかかる。

「ぃ、あ」

かすれたような声があがる。
半開きになっている小十郎の口に、佐助は軽く口づけた。ちゅ、と音をたてて唇が離れる。睫が 触れあいそうなほどの至近距離にある小十郎の目は、はじめてであろう刺激にゆるやかに潤んで いた。それをぺろりと舐めとる。それからまた唇へ口づける。今度は下唇をかるく挟み込みなが ら、開いた口に舌をいれた。舌と舌がふれあうと小十郎がまたちいさく震えた。無視をしてその まま舌を絡める。

くちゅくちゅと唾液が絡まる音が耳の奥で反響した。

完全に力の抜けた小十郎に、佐助は両腕を袈裟に突っ込んで乳房に触れるか触れないかの位置を するすると撫で上げる。口付けはやめない。小十郎の口内はひどく熱くて佐助はとけそうだと思 う。

「・・・ふ、ぁ、あ」
「ん」

息をつくためにいちど、唇を離した。
小十郎の目はもう焦点が合っていない。佐助はそれを見つめながら、試しに袖から腕を抜いてみ る。支えを失った小十郎はその場にずるずると座り込んで、幾度か荒めの息をついた。それから 忌々しげに佐助を見上げ、思い切り睨み付ける。佐助はその視線にへらりと笑い返す。

「片倉の旦那、ずいぶん感じやすいね」
「・・・っ、くそがっ」

悪態をつく小十郎に佐助は手を差し出して起こそうとした。
が、その腕は振り払われる。小十郎はみずから立ち上がり、そして力ない腕で佐助を突き飛ばそ うとした。佐助がそれをひょいと避けると、そのまま小十郎はよろよろと歩みをすすめ、
「あ」

声をあげる。あ。そっちは。





気づいた佐助が止めるまもなく、小十郎は川の流れへと身を投じた。





ざぱん、という水音がする。
深い川ではない。小十郎の腰のあたりまであるかないかの水深である。が、季節は秋場所は奥州。 この季節に水へとはいることはほとんど自殺行為だ。佐助は慌てて駆け寄って、水の中に潜っ ている小十郎の腕を引っ張った。ざぶざぶと小十郎を川辺まで引きずっていく。
佐助は砂利のうえに濡れ鼠の小十郎を放った。

「あんたいきなりなにしてんの」

砂利のなかに座り込む小十郎の顔は、落ちてきてしまった前髪のせいでよく見えない。
佐助はひとつ息をはいて、それからそんなにいやだった、と問うた。まさか自害でもあるまいが、 あの行為から離れるためにこのような行動にでたのだとしたら考えなくてはならぬまい。佐助はそう思った。 が、小十郎はなにも言わずにただ、砂利の敷き詰められた地面を凝視している。
佐助は心配になって、かたくらのだんな、と呼びかけながら座り込んだ。視線を合わせようと首 を傾げる。

そこで、

小十郎が顔をあげた。

「わ」

佐助のほうが驚いてしまう。
小十郎は佐助をいっしゅんだけ見て、それから思い出したように寒さに身を震わせた。佐助は地 面に放られていた小十郎の陣羽織を手にとってその体にかけてやる。小十郎はぼんやりと佐助を 見上げながら、首をかくんと傾けた。小十郎のその行動に佐助も首を傾げる。
小十郎の口が、迷うようにかすかに開かれた。

「・・・あ」
「あ?」

佐助は小十郎の顔をのぞき込みながら復唱した。
小十郎は不思議そうに右の手首を見つめながら、言う。














「熱い、体が」













手首には、数日前に佐助が残した痕がまだ残っていた。
それを見ながら首を傾げる小十郎の耳はあかく、ほおもかすかに色づいていて、そしてすっかり 日が消え去った空とおなじ色の目はやはり水分を多量に含んでいる。

佐助は背筋につうと電流のようなものがはしるのを感じた。



「・・・あついの?」



問う声がどこか擦れていて、滑稽だ。
小十郎はそれに気づいているのかいないのか、素直に首を縦にふり、それからまた熱い、と言う。 佐助は眩暈がした。


(嗚呼なんておひとだまったく)



腕を小十郎に向けて突き出す。

訝しげにこちらを伺う小十郎に、佐助は思い切り笑ってやった。




























「おいでよ。俺がさましてやるから」






 




難産でした。要するに伊達とこじゅを引き離すのが むずかしすぎる。
こじゅの過去話はまた後ほど。とりあえずあと1話で完結予定です。

空天

2006/12/10
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