捕らわれた。

あの女は、こちらのほうなど振り返ることすらしないってのに。




踏み込んだが最後だってことに、ほんとはずっと気付いてた。





















   透 明 な    蜘蛛の巣 5





















不安になるから、それこそ幾日も明けずに佐助は奥州に通った。
小十郎は気が乗れば佐助に抱かれ、乗らぬときは話もせずに追い返した。抱かれたあとはすぐに着物を纏って、あまやかな空気など すこしだって見せようとしない。襦袢を身につける後ろ姿を見ながら、佐助は手を伸ばそうとして、やめた。
どうせ届かぬ。伸ばしかけた手をぽすんと敷き布団に落とす。
その音に小十郎は振り返ったが、すぐにまた視線を前に戻した。

(ばっかみてー)

小十郎を抱くのが、苦痛で仕様がなかった。
決しておのれを顕わにしようとしない女の表面をいくら愛撫しても、まるで砂をすくうような虚しさしか佐助のてのひらには残らぬ。 抱くなら他の女だっていい。小十郎を抱く理由などない。それでも、おのれが来ないならば他の男をと言った小十郎の言葉のせいで おろかしくも佐助はこうやって奥州に来ては、小十郎が棄てた器を抱く。
あんたもすきものだね、と言ってみた。

「こうやってどこの馬の骨とも知れない男に抱かれて、よろこぶんだ」
「なんだいきなり」
「べつに。俺はそれの恩恵を受けてるわけだけどさ、たとえば主殿に抱かれたいとか思わないの」
「思わん」

小十郎の返答は短い。

「政宗様には御正室があられる」
「でも、あんただって愛した男に抱かれたいでしょ」
「抱かれなけりゃ揺らぐような、中途半端な覚悟はしてねェ」
「・・・・ああ、そう・・・・」

どうしようもない。
佐助は天井を仰いだ。
小十郎は抱かれているときは、人が変わったように佐助を求める。性に対する無知がそうさせるのだろうか。ちがうんじゃないか、 と佐助は想いたかった。違うんじゃないか。あの女は、おのれを求めているのではないのか。有り得ないと想いつつ、深く貫いた ときには背中に爪を立ててきて、唇を重ねれば舌を絡めてくる小十郎に胸が痛んだ。
嵐のように、ぐるぐると熱いなにかが其処を荒らす。

(俺を欲しがってくれないのかな)

小十郎の体は男を欲しがっている。
房術を使えば、佐助以外の男では満足できぬ体に仕立て上げることもできる。が、それはあまりにも阿呆らしい。
衣服を整えた小十郎は、屏風にかかっていた羽織を取ろうとひょいと立ち上がる。咄嗟に着流しの裾を掴んだ。しまった、と思っ たが、すでに小十郎は訝しげに佐助を見下ろしている。

「なんだ」

問われて、佐助はへらりと笑った。

「帰るの」
「あァ」
「まだ、居てもいいじゃない」
「何故」
「雰囲気を読まないおかただね」
「雰囲気」

は、と小十郎が鼻で笑う。
馬鹿にしたようなその笑いに、思わず裾を強く握りしめた。くしゃり、と上等な生地がみにくく歪む。
くつくつと笑いながら、そんなものあるか、と言われれば笑うしかない。そうだねと言う他ない。大体なんと言えばいいのかもよく わからなかった。すきだ、なんて言ったところで小十郎はおなじように笑うだけだ。これが恋慕なのかどうかも、佐助には解らぬ。 ただ、体だけ繋がるのはあんまり虚しかった。

「此処に、居てよ」

縋るような言い方にならないように注意した。
出来うる限り軽く聞こえるように、笑いながら言う。

「一緒に寝ましょうぜ?」
「もういい」
「違うって。もうなんにもしないからさ」

寒いでしょう、と笑う。
障子越しに、さらさらと白い雪が降っている。寒いでしょう。また言った。
立ち上がって小十郎の腕を掴み、強引に坐らせる。不満げな顔を両手で包んで口づけた。ちいさく音をたてて唇を離すと、ぱちくり と小十郎が目を瞬かせる。今度はその瞼に口づけた。なんにもしないから、とつぶやく。

「朝まで一緒に居ようよ」
「なんで」
「俺がそうしたいから」

へらりと笑う。
小十郎はしばらく黙って、それからはあと息を吐いた。
勝手にしろ、と言う言葉に佐助は笑って、小十郎の肩を抱き締めた。こつこつと骨が当たる。つめたいね、と佐助は囁く。寒いから な、と小十郎は答えた。そうじゃない。が、なにも言わなかった。
掛け布団を引っ被って、顔を近づける。近い、と押しのけられたが構うものか。

「あったかいでしょ」

額を合わせて、腰に手を回す。
小十郎はおのれの腕で腕枕をしながら、ちいさく笑う。

「変な男だな」
「そーお?」
「こんな体抱いて、楽しいか」
「楽しいから来るんでしょうに」
「そうかよ」
「そうですよ・・・ああ、あんたの体は冷たいね」
「おまえは温い」
「いい湯たんぽでしょ」
「そうだな」

便利だ、と小十郎はくつりと笑う。
胸元にすり寄ってくるちいさな頭をゆるゆると抱いた。
体温を求めているのだと言い聞かせても、それがいとおしくって仕様がなかった。





















朝の光のなかで小十郎を見ているのがひどく辛くて、佐助はまだ夜も明けきらぬうちに宿を出た。
からりと障子を開くと雪が降り積もっていた。まだ日が出きっていない、暗い世界で地面と家々の屋根だけが雪でうっすらと白くひ かっている。はあ、と息を吐くとそれは白くなったが、すぐに消えた。
手を差し伸べるとばさばさと鴉が腕に降り立つ。

「どうだよ、俺の右眼の味は」

その足を掴もうとしたら、下のほうから声がかかってきた。
白い雪のなかに、ぽつんと青い羽織を纏った伊達政宗が突っ立って無表情で佐助を見上げている。 満足したか、と問われて佐助は思わず腰の手裏剣を投げてやろうかと思った。が、背後でまだ眠りについている小十郎を思い出して ぐ、と手を握りしめる。政宗はそれを見ながら、くつくつと笑う。

「AH?うちの家老にゃ、満足してもらえなかったみてェだなァ?」
「・・・米沢は治安がいいんだねーえ。城主自ら、こんな朝っぱらから護衛も付けずに」
「HA!俺の護衛はてめェが今の今まで抱いてた器の中身以外にゃァ居ねェんでな」

迎えに来たんだ、と政宗は笑う。
器、と言われてぴたりと佐助の体が固まった。器。うつわ。

(抜け殻)

そうは思いたくない。
佐助は首元を覆う手拭いを握りしめる。

「・・・じゃァ、すきにすりゃぁいいよ」

俺はもう帰るから。
政宗は煙管をくるくると回しながら、ふうん、と鼻を鳴らす。

「まァ、言われなくてもすきにする。あれは俺の右眼だからな」
「そうさ。あんたに言われた意味がよぉく分かったよ」

抱きたいならば抱けばいい。
それじゃああの女は手に入らない。
佐助は苦無をひとつ政宗に放った。かきん、と政宗はそれを煙管で受け止める。しゅるしゅると回転しながら苦無は雪のなかにさく りと突き刺さった。瑠璃色の煙管に苦無のつけた傷が刻まれる。
政宗の顔が不満げに歪んだ。

「てめェ、こいつァ小十郎からPresentされた煙管だぞ」
「そうかと思ったんだー」
「態とか」
「さぁねえ」
「AH-HAN・・・随分とうちの家老は、美味らしいな」

まさかここまで骨抜きにするとは、と政宗は苦々しく笑う。
佐助はそれになにも返さなかった。返すことが出来なかった。気紛れで近づいて、戯れで手を出して、気がついたらあの女の全てを 支配する目の前の男を殺したいほど憎んでいるおのれがあまりに滑稽だった。
政宗の腰には刀らしきものは見えない。
殺そうと思えば、それは容易であろう。

(殺して)

ちいさく佐助は笑った。
それでどうなるわけでもない。
政宗を殺せば、小十郎も死ぬだろう。泣き叫んでその死骸に取り縋って、体中の水分を全て涙に換えて、そしてそのあと骸に折り重 なるようにして死ぬだろう。そんなものが見たいわけではない。手に入れたいと思っているわけでもなかった。愛されたいと思うわ けでもない。ただ、佐助はひどく小十郎があわれで、見ているだけでかなしくなる。愛されたいとさえ思うことを忘れたあの女を、 誰か救ってやってくれと思う。

恋と言えば、それは恋なのやもしれなかった。

あんたはあれでいいのか、と佐助は吐き捨てる。
政宗の顔が歪んだ。

「あんたの右眼の器は確かに女だよ。抱き締めりゃぁしなだれかかってくる。
 そういうふうに出来てんだ。
 あの女がなんで女棄てたかって、そりゃぁあんたに求められなかったからだろ」
「・・・知ったような口を聞きやがる」
「あんたらが見ねーようにしている事実を言ってあげてるだけさ。
 なあ、あんまり可哀想だと思わないかい、あのおひとがさぁ。
 俺は見てるだけで辛くて仕様がないよ。
 あのおひとの頭ん中はあんたしか居ないし、あんたに求められないからッて体棄ててるしさ。
 本当だったら俺なんざ割り込む隙なんかありゃぁしないんだよ。
 そんなもん作らないでおくれよ。
 あんたがあの女抱けば、それで万事解決するじゃねーか」

小十郎が政宗と結ばれたら、佐助の胸はすこし痛むだろうと思う。
けれど今のように、三途の川の辺で貝を積むような虚しい睦み合いはもうしたくない。
抱きたくないの、と言うと政宗は苦々しげに顔を歪めながら、抱けないだろう、と言う。何故かと問うと政宗は欠けた煙管を懐に仕 舞いながら、ちいさく笑い声をたてた。










「あいつの女奪ったのは、俺だぜ」










それで抱けるか、と言う。
佐助は肩に降り積もった雪を手で払って、こくんと息を飲んだ。





















餓鬼だったとしか言い様がない。
政宗はそのことを思い出すと今でも後悔のあまり、なにかにその苛立ちをぶつけたくって仕様がなくなる。
おのれを見下ろすしのびの顔は、滑稽なほど固まっていた。ただ炎のような目だけが、ちろちろと嫉妬でひかっている。政宗は笑っ た。滑稽だ、と思った。今の今まであの男は政宗がどうしたって手に入れようがないものをその腕にかき抱いていたというのに、す こしだって満たされていないのだ。
滑稽だ。おのれも、佐助も、そして今眠っているであろう小十郎も。

「十年前だ」

言葉を発すると、それは白くなった。
すぐ消える。

「元服しちまった俺の傍に仕えてんのが、女じゃ駄目だと言われた。
 これから俺に仕えるのは他の男だと言われた。そんで、餓鬼の俺は泣きすがったよ。小十郎・・・
 あァ、そんときは」
「・・・女の名前だったってことだろ」

べつに聞きたくないよ、と佐助は吐き捨てる。
政宗は笑った。おのれでも、特に思い出したくはなかった。

「次の日、俺の目の前で髪ざっくり切りやがった」

今でも思い出す。
艶々と背中を覆う、長い髪は政宗のお気に入りだった。抱き締められて、背中に手を回すとそれに手が触れた。髪を撫でると小十郎 はいつもちいさく笑って、引っぱるとすこし怒った。日に照らされるときらきらと光って、夜のなかでは黒い海のように流れた。
それを小十郎は、脇差しでざくり、と。
政宗は目を閉じて、ちいさく笑う。

「その日からあいつは、『片倉小十郎』だ」

まさむねさま、と言った。
政宗様。あなたが望むのならば今日この日より、我が名は片倉小十郎といたしましょう。女であってはあなたと共に歩むこと叶いま せぬゆえ、この髪と共に小十郎は女を棄てまする。そのような顔をなさいますな。これは、我が一存で決めたこと。あなたが気に病 むことではございません。女のしあわせなど、如何ほどのものでございましょう。小十郎は、あなたの右眼でございます。それ以外 なにも望もうとは思いませぬ。
共に参りましょうぞ。

「俺はあいつと行くんだ」

あなたの、昇り詰めるその場所まで。

「片倉小十郎と、俺は天下を獲る」

罪滅ぼしなどではない。
おのれの右眼の覚悟に見合う龍であるために政宗は小十郎を抱くことをおのれに許さぬ。
女の小十郎は、政宗の母で姉で、すべてだった。母に愛されぬ政宗を小十郎は慣れぬ手つきで懸命に抱いた。心を開かぬ醜い子供に 必死で言葉を探し、誤れば叱って、政宗が怪我をすればおのれの傷のようにそれを痛んだ。

今政宗が小十郎を抱けば、小十郎は政宗にとってふたたび“そういう”対象になる。

信頼する家臣ではなく、畏怖すべき目標でもなく、包み込んでくる女になる。
小十郎が負ったいくつもの傷は、名誉でなくただの傷に成り下がる。

「抱かねェよ」

屋根の上で固まっている佐助に向けて、政宗は言った。
佐助は黙りこくって、ただ政宗を見下ろしている。はらはらと雪が降って、互いの視界にちらちらと白いものが移り込む。
そう、と佐助はつぶやいた。そうなんだ、と言う。あんたはあの女を抱かないんだね。

「でも片倉小十郎は、女だ」
「そうかい」
「器だって言うけどさ、それでもあのおひとの一部であることにゃ変わらないだろう」
「そうだな」
「それでいいのかよ」

苛立ったように佐助は吐き捨てる。
政宗はそれを静かに見上げる。凪いだ海のような気分だった。
武田のしのびが捕らわれているあの感触に、それこそ政宗は十年間捕らわれ続けてきたのだ。今更だ、と思う。もう決めた。小十郎 を女として扱うのは、おのれへの甘え以外のなんであろう。

「とっとと帰りな、武田のしのび」

政宗は懐手で言い放つ。
佐助はしばらく政宗を睨み付けてから、鴉を振り払って屋根の向こうに消えた。姿すら見られたくない、という意思の表れであろう か。政宗はすこしの間佐助の消えていった屋根を見つめ、それから宿のなかに足を踏み入れた。
階段をぎしぎしと登る。途中、宿の主に止められたが顔を見せたらそのまま通された。
からり、と襖を開く。

「・・・よォ」

障子窓の傍で、座り込んでいる影に声を掛けた。
くるりとそれがこちらを向き、ちいさく頭を下げる。

「お早う御座います」
「おお・・・こんな時間に起きたのは久し振りだ」
「護衛の者も付けず、あまりに不用心が過ぎますぞ」
「護衛はおまえだろ」

襖を閉めて、小十郎の傍に進む。
正面に坐ると、小十郎が手を伸ばしてきた。頭に積もっていた雪を払われる。ふるふると頭を振ると、雪が小十郎の顔にもぷつぷつ と当たって家老の顔がしかめられた。くつくつとそれに政宗は笑う。 火鉢を引き寄せて手をそれにかざす。

「寒うございましたでしょう」
「まァな」
「外であのようにお話なさるからです。
 あのような者、捨てておけばいいようなものを」

小十郎は表情ひとつ動かさず言う。
政宗はその顔を見つめながら、いつから聞いてた、と問うた。小十郎はやはりそのままの顔で、最初からです、と返す。

「あのしのび、相当おまえに参ってんなァ?」
「さぁ。どうでしょうな」
「興味なし、か?」
「阿呆な男だと思うくらいです」

淡々と言う小十郎の肩をがしりと政宗は掴んだ。
ふい、と小十郎の顔があがる。切れ長の目におのれの姿が写り込むのを見て、政宗は口角をあげた。 おまえは誰のものだ、と問うと、小十郎は視線を一切動かさぬままに政宗様のものです、と答える。掴んだ肩は冷え切っていて、外 で雪にさらされていた政宗の手のほうがいくらか温度があるような気がした。
冷てェな、と言うと、冷えますからな、と言う。

「あんだけの時間、聞いてたのか」

政宗の言葉に、小十郎は何も言わない。

「黙って?おまえが?」
「・・・何が」

仰りたいのか、と小十郎は言う。
政宗はそれを無視して言葉を続けた。

「おまえ、本当にあのしのびのこと何とも思ってねェのか」

小十郎は訝しげに眉をひそめた。

「おまえにあそこまで入れ込んでる、あの阿呆をおまえは本当に何とも思わないか」
「何とも」
「こんな朝方まで抱かれてもか」
「何を思わずとも、体は重ねられます」
「じゃあ相手は」
「誰でも構いませぬ」 「じゃあ」





「じゃあ俺でもいいんだな、小十郎」





「構いませぬ」

一拍置いてから小十郎はすぐに答えた。
政宗はすこしだけ目を丸くして、くしゃりと歪める。それからそうかよ、と笑った。小十郎は表情を変えぬまま、では抱きますか、 と言う。政宗はおのれの家老の仏頂面を眺めながら、懐の煙管を取り出し、小十郎のほうへ向けた。小十郎は懐から煙草袋を取り出 して、政宗の煙管にそれを詰め、火鉢の火を移す。ふわり、と煙が白くふたりの間にのぼった。

「やめておく」

そうですか、と小十郎は言った。
政宗は煙管を咥えながら、苦く笑う。
俺まであんなふうに捕らわれたくない。そう言うと、小十郎はやはり無表情で、あんなふうとは、と問うてきた。政宗は笑いながら、 わかってねぇとこがまた怖いな、と答える。
まるで蜘蛛の巣だな。
政宗はぽつりと言った。

「おまえは動かないのに、勝手に獲物がかかってくる」

なあ小十郎。
政宗は笑いながら問う。










「かかった獲物を、おまえはどう喰らってやる?」










小十郎は主の言葉に、ただ不思議そうに首を傾げた。










 




男だろうと女だろうと自分の書く小十郎は最悪だってことがよく解りました。
はまったばっかりの時に書いていた政小の設定を流用。なんか昼ドラみたいになってきました。あと二話で終わるかなあ。

空天

2007/04/06
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