「サンタクロースっていうのはさ、資格制なんだよね」 佐助はそう言って、ジーンズの後ろポケットから財布を取り出した。 中から何か取りだして、テーブルの上に置く。小十郎はソファから身を起こして、佐助が置いたカードのようなもの を摘み上げてじいと凝視する。それは免許証のようだった。佐助の写真と生年月日が書いてあり、更新日まで記され てある。そして一番上に『サンタクロース認定証』という明朝体がはっきりと、 「おまえ馬鹿だろう」 小十郎は吐き捨てた。 そこまで親しくない間柄だというのをすっかり忘れて思い切り不機嫌な声で吐き捨てた。 「何が楽しくてこんな阿呆みてェなもん作ってやがる」 「ああうん、まあそう言うだろうなぁとは大方解ってましたがね」 「ならこんな下らねェ冗談抜かしてんじゃねェよ」 サンタクロース認定証。 そんな馬鹿なものがあってたまるか。 佐助は小十郎の言葉にも一向に焦った様子もなく、小十郎が投げ捨てた『サンタクロース認定証』を財布に入れ直す。 それをまたジーンズのポケットに戻して、とんとんと自分の右鎖骨のやや下辺りを指で叩いた。 小十郎は目を細める。佐助はにいと笑う。 「ここ」 「何だ」 「あんた、黒子があるだろ。ふたつ」 色っぽいね。 小十郎は思わず指さされた場所をてのひらで覆った。 視線を下ろす。もちろんワイシャツを着ているのでそんな場所が佐助に見えるわけもない。佐助は顔に笑みを貼り付 けながらもっと教えてあげようかと言う。小十郎は忌々しげに佐助を睨み付けた。佐助はひょいと首を竦めて「まず は俺がエスパーってのは納得してもらえたかな」と首を傾げる。 小十郎はたっぷり十秒黙ってから、舌打ちを返した。 「『仮に』そういうことにしてやってもいい」 「了解。それで十分ですよ。じゃあ、『仮に』俺はエスパーなわけよ。で、まあこの国ではエスパー認定されると」 「おい待て」 「なんだい」 「国って言ったか」 「国って言ったね。もっと言うなら日本政府ですけどね。 赤ん坊が産まれると一ヶ月検診ってあるだろ。俺も詳しくは知らないっていうか聞いたけど忘れちゃったンだけど そこで一般人か超能力者か区別されるわけ。それで、超能力者に認定されると、その後はそれの訓練を受けること が義務づけられてて、最終的に国家試験が」 「国家試験」 サンタクロースのかと小十郎は聞いた。 サンタクロースのだねと佐助は頷く。 小十郎は唸って、眉間に指を押し当てた―――――――国家試験? 大したものじゃないけどねと佐助は謙遜するようにすこし笑った。運動能力と超能力の実技テストと筆記がちょっと あるくらいでさあ、ああ、筆記っていうのはサンタクロースの歴史とかそういうのね。歴史、と小十郎が繰り返すと でももうあんまり覚えてねえやと佐助は手をひらひらと振った。 「とにかくまあ、サンタクロースは国で認定された国家資格なわけ。 能力者自体がすくないから全員に配ることは出来ないけど、餓鬼どもに何人かでもサンタ体験させて夢を持たせよ うってな涙ぐましい文科省の情操教育対策の一環ですね。11月から12月の間しか活動期間はないから、普段は 他の仕事にも行けるし、こっちにしてみりゃ良い小遣い稼ぎだし、悪い仕事じゃないだろ」 「――――――本当ならな」 「『仮に』本当ですよ」 「『仮に』な」 「『仮に』サンタクロースにもいろいろあるわけですよ。 例えば俺はエスパーだから基本的には情報収集係だね。割り当てられた地域の餓鬼の欲しいものを期限までに全部 調べておかなけりゃいけない。他にも情報操作が得意なやつも居るし、テレポーターも居る。まあ基本的には合い 鍵が国からもらえるからテレポーターは緊急時の為の控えなんだけど―――――――あ、大丈夫ですよ。合い鍵っ て言ってもちゃんと終わったら返すし」 ご安心をと言われて小十郎はコーヒー一口飲んだ。 何をどう安心すればいいのか解らない。佐助が淀みなく口にしている言葉の意味が、いや意味は解るけれどもその真 偽がいっこうに知れない。信じられないけれども、しかしこれが冗談だと仮定したとして、 「どうしてそんなことを俺に言う」 小十郎は佐助と親しくない。 名前もさっき知ったばかりで、一切関係というものがふたりの間には存在しない。 そんな相手に冗談を言ったところで、一体どれだけの意味があるのか。佐助は満足げに「片倉さんは話が早くていい」 と笑いながら首を傾げた。 「ひとつ質問するけど」 「なんだ」 「俺って、何時からここに居たか覚えてますか」 にいと口角をあげて、覚えてないと思うんだ、と佐助は言う。 小十郎はゆっくりと頷いた。 「情報操作が得意なやつが居るって言ったろ。 まあご近所と幼稚園の先生方くらいだけど、ちッとばかり弄らせて頂きましてね。『猿飛佐助は昔から真田幸村の 家に居る』っていう記憶をちょっと入れて貰ったわけ。ちなみに」 佐助の座るソファには、ファイルのようなものが置いてある。 それを佐助は持ち上げて、中から一枚の四つ折りにされている紙を取り出した。丁寧にひろげて、テーブルの上に置 く。あきらかに園児のそれだと解る、拙い字がそれには書かれていた。 『はちじになってもかえらないおてつだいさんをください』 “な”と“え”の字が間違えている。 佐助はすこし痛ましげに顔を歪めた。 「一年前のうちの旦那がクリスマスツリーに掛けてたのがそれ」 すぐに顔に笑みを貼り付ける。 泣けるだろうと高い声で佐助は言った。 「ここの家は両親が海外出張中でね、残ってンのは旦那だけなんですよ。 あんたのところのお坊ちゃんとか友達がいっぱいだからどうしても行きたくなかったらしくてさ、お手伝いさんと 一緒に残ったらしいんだけど、八時になるとお手伝いさんも家に帰るじゃない」 「―――――――あァ」 小十郎は思わず声をもらした。 ねえ片倉さんあいつ五歳なんだよと佐助は呻くように言った。 「五歳児なんてのはさ、ゲームソフトとか戦隊モノの変身セットとか、そんなもんを欲しがってりゃいいんだよ。 そうじゃなけりゃ親にとっとと帰って来いッてねだるもんでしょうよ」 「だろう、な」 「馬鹿な餓鬼」 佐助は吐き捨てて、その紙を持ち上げた。 軽薄そうに見えるように目を細めて、口角をあげて「でもお涙頂戴だろう」と高い声でけらけらと笑う。こんなの前 例が無いんだけど、ちょっと考えちゃうくらいにはドラマチックじゃない。 「だから試行期間ってことで一年間、俺様が『はちじになってもかえらないおてつだいさん』なわけ」 「一年間」 「そう、一年」 クリスマスから一年。 小十郎は壁にかかったカレンダーに視線をやった。12月4日。 あと二十日でクリスマスイヴが来る。佐助は笑みを引っ込めて、身を乗り出した。 「あと二十日もすりゃ、試行期間が終わっちまう。 旦那の記憶も弄ってあるから、今年のあの坊ちゃんの願い事は普通にゲームソフトなんですよ」 そうすれば『仮に』佐助の話がほんとうだとすれば佐助は幸村から離れていかなければいけなくなる。 佐助はまた軽薄そうな笑みを顔に貼り付けた。そんなドラマみたいなお約束展開、ちょっと癪じゃないかと言う。 小十郎は目を細めてテーブルの上のマグカップを持ち上げ、ただ口に運ばないでそのまま両手でそれを包み込んだ。 なんとなく、なにかしらの行動をしなければいけないような衝動にかられたのだけれども、特に何もなかったのでと りあえずした行為だった。 お願いがあるんだ、と佐助はへらりと笑った。 「あんたが代わりに、俺がここに居ることをクリスマスの願い事にしてくれませんか」 まだ俺、ここに居たいんだよね。 佐助はほおづえを突いて、小首を傾げる。 「隣の家だったらデータを改竄するときにもそんなに目立たないでしょ。 べつに大したことしてくださいって言ってるわけじゃねえンだよ。ただ、クリスマスに『猿飛佐助が欲しい』って 書いてある紙をお宅のどっかに置いてくれてりゃそれでいい」 ねえ片倉さんと佐助はへらりと笑う。 「そういうわけだから、俺様のこと、今度のクリスマスにプレゼントとして貰ってくれませんかね」 小十郎は手の中のコーヒーが入ったマグカップにちらりと視線を落とした。 息を吐くと、その真っ黒い液体の表面がゆらりと揺れて移り込んでいた自分の像も揺れて波紋のなかに飲み込まれた。 返事はすぐじゃなくてもいいよと佐助は言った。 いきなりでびっくりしただろうし、信じるのも難しい話だしね。 小十郎は佐助と幸村の家を出た後、自分の家に帰って朝の片付けをしてそれから輝宗の取引先に付き合い、四時にバス の待合い場所に向かった。政宗を連れて家に帰り、夕食の用意をする。 政宗はその日あったことを、一から十まで小十郎に説明しようとする。途中で順序がごちゃ混ぜになって、何を言って いるのか解らなくなるけれども、それでも政宗は話すことを止めようとしない。小十郎はそれをキッチン越しに聞きな がら、さてどうするかなと佐助のことを考えた。 佐助がなにか特殊な能力を持っているのは、どうもほんとうのようだった。 ただしそれがそのままイコールあの男がサンタクロースであるということにはならない。そもそもサンタクロースがそ んなにシステマティックに整備されたものだなんてどこの絵本にも書いてないし、誰からも聞いたことがない。ちっと も夢物語ではない。サンタクロースに免許証があると言われるよりはサンタクロースが居ないと言われたほうがこども も喜ぶにちがいない。 必死で小十郎に話しかける政宗に視線をやる。 どうするかな、と小十郎はまた思った。 可能性としては七対三程度の割合で、佐助の言ってることは冗談だ。 あれを信じるのは正直な話、無理としか言い様がない。佐助の言葉を借りれば「お涙頂戴」な事情がなおさらにいかが わしさを付加している。25日にあの間の抜けた顔で思い切りたのしそうに「まさかほんとうに書いちゃったりしまし たか」と嘲り笑われる光景が一瞬目の前に浮かんできて、小十郎は眉を寄せた。 こじゅうろう、と政宗が声をあげた。 「おれのはなしきいてねえだろ」 「聞いておりますよ」 「きいてねえ」 「真田の話でしょう」 「シット!」 ちがう。 政宗はほおを膨らませた。 小十郎はテーブルにサラダボウルを置きながらすみませんと謝る。 「何のお話でしたか」 「もういい。もうしらねえ」 「政宗様、申し訳ありません。是非お聞かせください」 首を傾げて顔を覗き込むと、ひとつきりの左目がちらりと小十郎を見上げる。 「―――――――どうしてもか」 「是非」 「しょうがねえなあ」 ふふんと政宗は鼻を鳴らした。 小十郎はちいさく笑って、政宗の正面の椅子に坐る。政宗は身を乗り出した。 「ゆきむらがな」 「やはり真田の話ではありませんか」 「ちげぇよ!ゆきむらがさ、くりすますにパーリィしようってんだよ」 「パーティ」 政宗は頷いて、だめか、と首を傾げる。 ゆきむらはさ、と政宗は言う。おやじとおふくろががいこくで、いえにいねえんだよ。小十郎は黙った。政宗は椅子の 上に立ち上がって、テーブルの上から転げ落ちそうなほど必死に身を乗り出す。 「どうせよ、うちのふたりだっていえにいねぇんだろ」 「小十郎は居りますよ」 「しってらあ」 政宗はくしゃりと笑う。 「ゆきむらのうちも、あのあかげとふたりだけなんだぜ」 「そうですか」 「いいだろ。うちでやろうぜ。 あかげはさ、ケーキやなんだってよ。ケーキつくらせようぜ。そんでさ、こじゅうろうがごちそうつくれよ」 小十郎は視線を浮かせて、すこし黙り込んだ。 政宗はそれを不安げに凝視する。じいと、目線を逸らしたら小十郎が首を横に振ると思っているように凝視し続ける。 小十郎は横目でそれを見て、こっそりと苦く笑う。随分と厳しい男だと思われているらしい。 しばらく間を置いてから、それでは、と小十郎は言った。 「プレゼント交換用のなにかを、買いに行かなければいけませんな」 体を屈めて、下から覗き込むように言ってやる。 政宗はしばらく小十郎を見下ろしてから、ほおを真っ赤にして何度も頷いた。ごちそうは何がよろしいですかと聞くと ゆきむらはやさいがきらいだからいっぱいいれてやれと返ってきた。小十郎は笑いながらかしこまりましたと返す。 キッチンに戻って丁度煮込み上がったシチュー皿に移しながら、小十郎は視線をあげた。隣の家の明かりが漏れてきて いる。きっとおんなじような会話があちらでも繰り広げられているのだろう、と思った。 「書いてやる」 月曜日の朝、幼稚園のバスが行ってしまってから小十郎はそうつぶやいた。 隣に居た佐助が弾かれたように小十郎の顔を見る。丸い目がますます丸くなって、色素の薄い眼球がくるりと回る。 小十郎はそれを見下ろして、息を吐いた。 しろくふわりとそれが形になる。 「べつに信じたわけじゃねェがな」 驚いて電信柱みたいになっている佐助を置いて歩き出す。 公園からしばらく歩いたところにある交差点を曲がったところで佐助が追いついた。振り向くと、寒さでほおを赤くし て、そのうえに更に急に走ったせいか、ひどく息せき切っている顔にぶつかる。佐助は中腰になって、膝に手を突いて 荒い息を吐き出しながらゆるゆると顔を上げる。 見上げてきた顔が必死だったので、小十郎は思わず笑ってしまった。 「政宗様は」 「は、は―――――――まさ、む、ね」 「おまえのところの坊やがいたくお気に入りでな」 多分政宗は幸村がひとりきりでぽつりと突っ立っていたら、自分がそうであるような気持ちになる。 「それは御免だ。 政宗様が日々快く過ごして頂くことが俺の最優先項目だからな。おまえの言うことを聞いて馬鹿を見たとしても、 そんなのはおまえを一発二発ぶん殴ってやりゃァそれで済む。それで政宗様が今まで通りおまえのところの坊やと 楽しくやってけるんならまァ、恥くれェかくさ」 「それって」 「うん」 「ぜ、んぜん信じてねえじゃん」 「信じられるか、阿呆」 舌打ちをする。 佐助が乾いた笑い声を立てた。 「予想外の反応」 「そうかい」 「でも」 「あァ」 「ありがと」 へらりと笑う。 小十郎はそれをしばらく眺めてから、すこしだけ笑い返してやった。 次 |