サンタクロースに懐かれた。

『片倉さん片倉さん、駅前のスーパー今日特売だから一緒に買い物行きませんか』

小十郎は受話器を握ったまま息を吐く。
電波を介しても間の抜けている高い声が、「溜め息はしあわせが逃げるよ」とありがたくもなんともないアドバイスを
伝えてくる。そらどうも、と小十郎は返した。時計を見る。午後六時半。
確かスーパーは七時閉店の筈だ。

「もう閉まるだろ」
『俺明日の朝飯の食料買ってねえのよ』
「知らねェよ、阿呆」
『今ならぎりぎり間に合うじゃん。付き合ってよ』
「おい、ま―――――――」

つう、つう。
電話は切れた。
小十郎はどこにも繋がっていない受話器を見下ろして、思い切り舌打ちをした。
後ろからくいくいとワイシャツを引かれる。振り返ると、政宗が首を傾げて見上げていた。

「こじゅうろう、どうした」
「いえ、なんでもありません」

無視することに決めた。
政宗の髪をくしゃりと撫で込んで、食事に致しましょうと小十郎はちいさく笑う。
テーブルに大皿を並べていると、インターホンが鳴る。政宗がぱたぱたと駆けて行く。小十郎はそのちいさな背中を眺
めながら目を細めた。ドアが開く音と、間の抜けた「片倉さん」という呼び声が飛んでくる。

「むっかえにきぃたよお」
「こじゅうろう、さなだのいえのあかげだぞっ」
「赤毛だぞお」
「黙れ阿呆」

小十郎は玄関に出て佐助にスリッパを投げつけた。
佐助はそれを片手で掴んで、乱暴だなあと笑う。

「政宗君の教育上よろしくないンじゃないの」
「おまえの存在がよろしくねェよ」
「買い物行こうよ」
「これから飯だ。ひとりで行け」
「おや」

お食事時か。
佐助は顎をさすって、そりゃ残念、と言う。
小十郎は無言のまま顎をしゃくって、帰れと身振りで示す。政宗はくるくると小十郎と佐助を交互に見やって、やくそ
くか、と声をあげた。違いますと小十郎は即座に返す。

「こいつが勝手に来ただけです」
「ひっでぇ。ちゃんとアポ入れたじゃん」
「あの電話のどこがアポイントメントだ。言いたいことだけ言って切りやがって」
「電話ってなぁ言いたいことを言う為にあるもんでしょうが。ねえ、政宗君」
「政宗様に気安く話しかけるな」
「何その思春期の娘の父親みてえな対応」
「帰れ。今すぐ帰れ」
「こじゅうろう」

政宗が小十郎のエプロンの裾を引く。

「こいつは、こじゅうろうのフレンドなのか」
「ちが」
「そうだよお」

佐助の手が伸びてきて、小十郎の口を押さえる。
政宗は慌てたように首を振って、そうか、と頷き、小十郎の背をぐいと押した。

「こじゅうろう、フレンズとのプロミスはまもんねえとだめだぞ」
「そうだよ、約束は守らなけりゃ、片倉さん」
「ちょっとまってろ、コートもってくるっ」

政宗はたたた、とリビングに駆けていった。
小十郎はイモリのようにへばりついてきた佐助をぐいと引き離し、振り払う。ぐいとタートルネックを掴み上げて睨み
つけるけれども、佐助は顔色ひとつ変えないままでへらりと笑い、まあまあと手をあげる。あんまり怒ると眉間のしわ
がそのまま食い込んで血が出てきちゃうよ。
あんまり苛立ったのでそのまま殴ってやろうかと思ったところで政宗がコートを引き摺りながら戻ってきた。

「こじゅうろう、コート!」
「政宗様、生憎ですがそれは」
「ありがとう、政宗君は良い子だなあ」

佐助はひょいとコートを受け取って、小十郎の肩にかけた。
耳元で「お坊ちゃんの心遣い無駄にする気かよ」とつぶやかれる。小十郎は思い切り眉を寄せてこっそりと舌打ちをし
た。政宗は首を必死で曲げて、ちちうえもははうえもいるからへいきだぞ、と小十郎の手を掴んで言う。
それでも小十郎はしばらく迷ったが、佐助が「スーパー閉まるから」と引き摺るのでしょうがなく家を出た。

「散々だ」
「何がよ」
「どうして糞寒ィのに、野郎と夜に外に出なけりゃいけねェんだ」
「あんたって坊ちゃんの前と言葉づかいちがいすぎ」

佐助がけらけらと笑うと、それが夜のなかでぽかりとしろくなる。
小十郎はコートのポケットに突っ込んである革手袋をつけて、二三度擦り合わせた。歩いて五分ほどのスーパーまでの
道にはもうほとんど人影はなかった。ぽつぽつと街灯が所々にあって、そこから落ちてくるひかりがふたりの影をぐい
と長く伸ばしている。やたらに長いマフラーを巻いた佐助は、やっぱりやたらと嬉しそうに鼻歌を唄っている。
何が楽しいんだ、と小十郎は呆れて聞いた。
佐助は振り返ってすこし首を傾げる。

「へ、俺様なんか楽しそうでした」
「いつでも鼻歌歌ってるようなおめでたい野郎ならまた話は別だが」
「鼻歌かあ。歌ってましたか」
「歌ってたな」
「そうか」

じゃあ嬉しかったんだろうねえと佐助は言う。

「多分」
「あァ」
「久々なんだよね」
「何が」
「同い年くらいの男と一緒に居るのがさ、割に久々」
「―――――――あァ」

小十郎は頷いた。
幼稚園に通うこどもの世話をしていると、自然と同年代の人間との付き合いが薄くなる。
小十郎はそれでも会社勤めで、ときおりは出張に行くときもある。佐助はそれもないのだろう。ケーキ屋以外ではずっ
と幸村と一緒なのだろう。面倒か、と小十郎はつぶやいた。
面倒だねえと佐助は笑う。

「俺が一番家が近くてさ、割に早くあがれる仕事だからって押しつけられちまッて。
 こちとら兄弟も居ねえもンだから、なんもかんも初体験ですよ。あの坊ちゃんはまだおねしょするし、夜のトイレも
 ついてかなけりゃなんねえし、毎日毎日洗濯物はきったねえし」

たまんないよねと佐助は空を仰いだ。
パーカーの横についたポケットに手を突っ込んで、ふるりとひとつ震える。
小十郎はふうんと鼻を鳴らした。どこの家も同じらしい、と思う。佐助はまたくるりと踵を返して歩き出しながら、職
場もあんまり同年代が居なくてさ、と言う。だからあんたと喋れて、ちっと浮かれてンだ。
小十郎は腕を組んで、そんなものかと首を傾げる。

「サンタも大変だな」
「まあねえ。いろいろあんだぜぇ。制約とか」
「ほう」
「惚れた相手の心は読めないとかね」
「なんだそらァ」
「だってロリコンがサンタじゃ困るだろ」
「あァ」

成る程なと小十郎は頷いた。
佐助がにいと口角をあげて「あんた結構信じてるだろ」と言うので、眉を寄せる。無言で視線を逸らすと、佐助がけら
けらと笑った。

「まあ、いいじゃない。独り身なのにこぶつき同士、仲良くやりましょうぜ」
「べつに俺は仲良くしたくねェ」
「おやおや、つれないおひとだこと」
「第一おまえ、真田はどうした」
「旦那は今日は園長先生んとこにお泊まり」

ひとりで寂しいんだから構ってよと佐助は高い声で言った。
小十郎は後ろから思い切り佐助の背中を蹴りつける。佐助はそれをひょいと避ける。睨み付けると、とろんととろけた
顔で反対に笑い返されて、小十郎はとうとう怒る気も失せてしまった。

































小十郎に懐いたサンタクロースは随分殊勝のようで、そのうち貢いでくるようになった。
一緒に閉店間際のスーパーに滑り込み、おひとりさま一パック限りの卵バックをふたつ買ってやった日の週末、伊達家
の郵便ポストにチケットが入っていた。朝新聞を取りに行くのを日課にしている政宗が、朝食の仕度をする小十郎の前
にひょいとそれを置く。

「こじゅうろう、これなんだ」
「は」

手を拭いてからそれを摘み上げる。
ピンク色のとても小十郎に似つかわしくないそのチケットには、「ケーキどれでもおひとつ無料」とこちらも小十郎に
似つかわしくないふわふわとしたフォントで書かれていた。見覚えのない店名だが、ケーキ屋の知り合いはひとりしか
居ない。小十郎は目を細めた。なんでしょうな、と額に手を置いて呻く。
ほんとうに、と思う。
何考えてんだ、あの阿呆。

「政宗様」
「うん」
「ケーキはお好きですか」
「オフコースッ」
「それでは、後で買いに行きましょうか」

意地でも自分の為には使いたくない気分だった。
政宗は嬉しそうに何度も頷く。ゆきむらもすきだぞ、と言う。小十郎はすこし笑って、では真田の分も買って今日のお
やつにいたしましょうと返す。チケットは一枚しかないけれども、佐助に払わせてやろうと小十郎は決めた。
朝食を終えて、食器を洗い終えてから家にやってきた幸村にも合わせて何がいいかと聞くと、ふたり揃っていくつもケ
ーキの名前をあげるので小十郎は思わずちいさく笑ってしまった。ひとつですと言うと、えらべないからおまえがえら
べと政宗は言った。幸村も散々迷ってから、かたくらどのにおまかせもうすと言うので小十郎はそのまま家を出た。
選べと言われてもちいさなこどもが何を好むのかは小十郎には良く解らない。政宗は新しいものがすきだからそれを買
えばいいとして、幸村の好物など知りようもない。佐助のケーキ屋に向かいながら小十郎はどうするかなと考えたが、
結局幸村のものは佐助に任せようということにした。
佐助の勤めるケーキ屋は、商店街のほぼ真ん中辺りにある。
小十郎は店の前で足を止めて眉を寄せた。

「―――――――嫌がらせか」

つぶやく。
ひどい人だかりだった。
ケーキ屋というよりは、喫茶店でテイクアウトも出来るという形のようだった。
喫茶店の客が待っているのはもちろん、テイクアウトの為の客での人だかりも相当のもので、しかもそれが全部女性と
なればとてもではないけれども小十郎が近寄れる雰囲気ではない。
第一に内装があきらかに女性向けで、小十郎は手の中のチケットを見下ろしながらああ成る程これはあいつの嫌がらせ
かとくしゃりとそれを握りつぶした。あの野郎。
にやけた顔が浮かんできて忌々しい。
小十郎はしばらく考えてから、踵を返そうとした。

「ちょっと、なあに帰ろうとしてンの」

間抜けた高い声が飛んでくる。
小十郎は振り向いた。人だかりをかき分けて、赤い頭が駆けてくる。

「折角待ってたのに、見に来ただけで帰るって俺様のチケットをどうす―――――――ってなにくしゃくしゃにしてン
 ですかあんた。ひどくないか、それ」
「酷ェのはおまえだ。こんなところに入れるわけねェだろう」
「おこちゃまたちと来れば良かったじゃん」
「ふたりは遊んでんだよ」
「あ、あんたおつかいですね」
「黙れ、阿呆」

佐助はしろい調理服のようなものを着ていた。
仕事はどうしたと言うと、へらりと笑って「休憩中」と言う。

「でも買いに来てくれたんですね。いやぁ、良かった。
 くしゃくしゃでゴミ箱ぽいされるかと思ってたよ。一安心だわ」
「貰えるものは貰う」
「良い心がけ」
「寄越せ」
「はいはい、何に致しますか」

ひょいとメニューを取り出す。
小十郎はすこし屈み込んでそれをじいと眺め、『冬季限定』と書かれたケーキをひとつ選んだ。真田のはおまえが選べ
と言うと、佐助はすこし考えてから「じゃあ抹茶ケーキでいいや」と適当にそれを選ぶ。
金は払わねェぞと言うとまあしょうがないでしょと佐助は肩を竦める。

「で」
「は」
「あんたは」
「俺」
「そう」
「べつに要らん」
「またまたぁ。甘いものすきなくせに」
「買うほどじゃねェ」
「奢るって言ってンじゃん」
「奢られる筋合いが無い」
「俺が奢りたいの」

佐助は首をすこしだけ傾けて笑う。
小十郎はすこし黙って、それから深く息を吐いた。

「なァ」
「なんですか」
「べつにそう媚びんでも、書いてやるぜ」

佐助の目がくるりと丸くなる。
目を細めて佐助の拡げるメニュー表をぱたんと閉じさせる。佐助はぱちぱちと瞬きをした。のろのろと閉じたメニュー
を見下ろして、間の抜けた声で「へ」と言う。
小十郎は舌打ちをしてから、佐助の額をとんと押した。

「そう必死にならんでも、書くっつってんだよ」

丸めたチケットを取り出して、佐助のてのひらに押し込む。
佐助はぼんやりとそれを眺めてから、必死、とちいさくつぶやいた。顔をあげて首を傾げる。

「俺必死でしたっけ」
「俺から見りゃァな」
「へえ」

佐助は意外そうに声をもらす。
解ってねェのかと言うと、解ってなかったと言う。
小十郎は呆れた。目を細めて呆れかえったその目で佐助を見下ろすと、佐助は困ったように眉を寄せて髪を掻き上げて
低く呻く。すこしだけほおが赤くなっていて、それが気色悪いなと小十郎は思った。
参ったなぁ、と佐助は言った。
そんなにか。

「面倒なことにゃ変わンねえのにな」

俺も物好き、と息を吐く。
小十郎は腕を組んで、まあそんなものだろうと言った。

「一年一緒に居りゃァ情も移るだろう」
「そんなもんか。ううん、なんか嫌だな。甘ったるい」
「ケーキ屋が何抜かしてやがる」
「俺様、あんまり甘いものすきじゃないんだよねぇ」
「選りに選って一番甘ったるい職業選んでるくせにか」
「ああ」

佐助はメニュー表を脇に抱えてちいさく笑った。
赤くなったほおを指で掻いて、それもね、と言う。
実はうちの坊ちゃんのせいなんだよねえ。小十郎がすこし眉を上げると、佐助は赤らんだ顔のまま複雑に笑みのような
ものに顔を歪めて、へへ、とおかしな笑い声を漏らした。

「昔ね」
「おまえ」
「え、なに」
「気色悪い面だな」
「ひとの話を遮るなよ」
「すまん」
「まあいいですけど―――――まぁ、昔っつっても二年前のことだけど」

真田の旦那がうちの店に来たことがあってさ、と言う。

「そんでさ、俺はそんときここのバイトだったんだよ。
 俺大学の院生だったから、そのまま企業に就職するつもりだったんだけど、ここでバイトしてるときに旦那が来てさ。
 そんでまぁ、俺はバイトだから精々作るっつってもシュークリームのクリームだけとかクッキーとかそんなもんだっ
 たンですがね、あの坊ちゃんはそらまあ美味しそうに食うのよ。
 まだ三つだからさ、味もなんも解ンねえだろうけどね。にこにこにこにこしてんの」
「へェ」
「なんか嬉しくてね―――――――ま、単純ですが」
「いや」
「うん」
「そうでもねェ」
「そうかね」
「あァ」

小十郎は頷いた。
佐助は赤らんだ顔で困ったように眉を下げて笑っている。
すこしだけ黙ってから、小十郎はひょいと佐助の脇からメニュー表を抜き取った。しばらく眺めて、シュークリームを
選んで佐助に示した。

「これにする」
「へ、買うの」
「あァ」
「へえ。はあ、まあ、お買い上げありがとうございます」
「勘違いするなよ」
「は」
「おまえの奢りだ」

メニュー表を佐助に押し返す。
佐助は慌てて頷いて、また人だかりの中に駆け戻る。しばらく待っていると、ケーキ箱を持って戻ってきた。小十郎は
それを受け取るとひとつ頷いて、「仕事頑張れよ」と言って踵を返した。
ぐいと手を引かれる。
小十郎は眉を寄せて振り向いた。

「まだ何かあるのか」
「いや、あのさ」
「何だ」
「ありがとう、マジで」
「何が」

小十郎が面倒そうに問い返すと、佐助はしばらく黙った。
それから、「媚びさせてくれて」と言う。小十郎ははあと間抜けた声を出した。
佐助は言葉を探すように口を開いたまましばらく固まって、それから掴んだ小十郎の手をことさら強く握ってから、一
生ってわけにゃいかないけどさ、と普段よりもいくらか低い―――――――多分これがこの男の本来の声音なのだろう
なと小十郎は思った―――――――声で言って、それから無理矢理に笑みを浮かべる。

「出来る限りは、真田の旦那と一緒に居たいンですよ」

小十郎の手を握ったまま、赤い頭が下がる。
ありがとうございます、と言う声は寒さのせいかすこしだけ掠れていた。
小十郎は赤い頭を見下ろして、それから辺りに視線をすこしだけ回した。当然だけれども、周りはみんなふたりのこと
を見ていた。気のせいではないと思うけれども、そのなかには小十郎を非難するようないろが含まれている。大方なに
か小十郎が佐助に難癖をつけているように見られているのだろう。小十郎は舌打ちをした。
目の前の赤毛をぽんと撫でてやって、顔を上げろと言う。
のろのろと佐助の顔が上がった。

「まァ」
「はあ」
「解らんでもねェよ、おまえの気持ちも」
「は」
「だから良い」

感謝もいらん。

「また奢れ。それで良い」

ひょいとケーキ箱を持ち上げると、佐助は瞬きをした。
それからまたありがとうと言う。要らんと言ってるだろうと言うのにまた何度も言うので、最終的に蹴りを入れてやる
と佐助は転げるようにして店に戻っていった。

ようやく帰ろうとすると、最後にまた佐助が店内から「ありがとう」と声をあげた。

































それがクリスマスの一週間前の話だ。
その三日後に、夜中の十時過ぎに電話がかかってきた。

もう政宗は眠っていて、小十郎は輝宗と義の夕食の片付けをしていた。唐突に鳴り出した電話に小十郎はすこしだけ眉
を寄せて、蛇口を捻って水を止める。小十郎の仕事に関係する電話なら携帯に来るだろうし、輝宗と義に関してもそう
だ。政宗の友達はこんな時間に電話をかけたりはしない。
すぐに呆けた顔の隣人が浮かんできた。
舌打ちをしてから、忌々しげに受話器を取る。

『あ、もしもし』

予想通りの声が返ってくる。
小十郎は即座に切るぞと言った。受話器の向こう側の佐助が慌てた声を出す。

『ちょっと待ってよ、夜分遅く悪かったって』
「そうだな。解ってるようだから切るぜ」
『だから待てってば』
「じゃあとっとと言え」

苛立ちながら小十郎が吐き捨てると、佐助はちいさく「短気」とつぶやく。
また罵詈雑言を浴びせてやろうかと口を開こうとする前に佐助が「実はさ」と言った。

『もう良くなっちゃった』
「何が」
『クリスマス』
「クリスマスが何だ」
『あの、例のさ、紙とか』

書かなくていいよと佐助は言う。
小十郎は黙った。黙っていると、捻りが足りなかったらしい蛇口から水がぽたんぽたんとこぼれる音がした。たっぷり
三十秒ほど黙っていても佐助が続きを言わないので、小十郎のほうが口を開いてやった。

「今おまえ何処に居る」

と小十郎は聞いた。
笑い声が返ってくる。

『鋭いな』
「解るだろう」
『うん、まあご想像通り外ですが』
「帰る家はあるのか」
『前のアパートまだ解約してねえから、一応ね』
「そうか」
『不幸中の幸い―――――――って言ったら、旦那に怒られるな』

凄い嬉しそうだもんな。
佐助は笑ったが、もちろん小十郎は笑わなかった。
どうするんだと聞くと、まあ明日にでも記憶を弄り直すよと返ってくる。親が居るのに俺の記憶がみんなにあっちゃま
ずいじゃない。
まァなと小十郎は返した。

『あんまりボロ出さないように頼むぜ、片倉さん』

佐助がそう言うので、小十郎はすこしだけ目を丸くした。
黙り込んだ小十郎に、電話越しの佐助が不思議そうに「どうしたのさ」と言う。小十郎は、いや、と言ってから、すこ
しだけ間を置いて、

「俺の記憶は弄らないのか」

と言った。
受話器が沈黙する。
しばらくしてから、そういやそうだね、と佐助はつぶやいた。、
弄って欲しいかいと言うので、べつに、と返す。べつに話すつもりはねェから不都合はねェと思うぜ。佐助はふうんと
鼻を鳴らして、すこし笑い声をたてる。

『じゃあ覚えてもらおっかな』
「構わん」
『どうも』
「いいのか」

書かなくても。
いいよと佐助が笑い飛ばす。

『あんた優しいなあ。まあでもほら、寒いしそろそろ切るよ』
「まァいいならいいんだが」
『うん、平気ですよ』
「ならいい」
『片倉さん』
「うん」
『短い間でしたが、まあ、どうもありがと』

それだけ言って、電話は切れた。
小十郎はしばらく受話器を持ったまま突っ立って、それからカレンダーに目をやった。12月22日。あと三日でクリ
スマスだ、と思う。佐助がやたらに小十郎に気を使っていたり、媚びたり、礼を言っていたのが不意にいろいろと頭に
浮かんできた。あれだけ必死になっていたのに、すべて水の泡ということになる。
骨折り損だな、と小十郎はつぶやいた。
あれだけやって、結局さよならだ。

「一生ってわけにゃいかないけどさ」

佐助の言っていた言葉が浮かんできたが、だからといってどうすることも出来ないので、小十郎は受話器を置いてから
ひとつ伸びをして、緩んでいた蛇口を閉じる為にキッチンへ向かった。


















       
 



今日が何日かなんてもう気にしない。



空天
2007/12/26

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