なんだかなあ。 佐助は息を吐き、ほおづえを突く。 戦の一件からどうも、小十郎のなかの佐助は「得体の知れない変態」から「顔見知りの変態」辺りに格 上げされたらしかった。最後にそういう形容がつくのは、許容範囲だろう。実際彼の前の佐助はそのよ うな形容に違わぬ行動しかしていないので反論の余地がない。 小十郎は相手が「変態」でも「顔見知り」であれば無碍にはしないようだ。 屋敷を訪れると、相変わらず無視はされるが黙ったまま茶などが出されるようになった。秋に染まる庭 を眺めながら、隣に置かれたしろい湯気の立ち上る湯飲みを佐助は陰鬱な心地で見下ろし、息を吐く。 肌寒い外気と比べての湯気のぬるさがなんとも恨めしい。 「べつにいいンだけどなあ―――」 「何か言ったか、阿呆」 「いやなンにも」 小十郎が背後から声と一緒に蹴りを背中に入れてきたので、佐助は愛想笑いをして慌てて湯飲みを持ち 上げた。小十郎は一瞥だけくれて、障子を閉めた。 佐助は閉じられた障子を眺め、首を傾げてから湯飲みの茶をぐっと飲み干す。 正面からではなく天井から小十郎の寝所へ入ると、座敷の主はなにやら文を認めているところだった。 何を書いてるのかと問うてみても当然のように返事はない。佐助も端から期待はしていなかったので、 文机の傍に寝転んで小十郎の横顔を堪能することにした。正午をすこし過ぎた室内はうっすらと暗く、 見上げる男の顔の陰影も殊更に濃い。殊に目元の陰りは一層彼の目の黒を際だたせている。 好い男だなあとぼんやり感じ入っていると、ぬ、と急にてのひらが目の前に翳された。 「うわ」 「鬱陶しい髪だな」 くしゃりと髪を掻き混ぜられる。 佐助は自分の髪に手を伸ばし、首を傾げて目を瞬かせる。 「そうかな」 「暑苦しくねェか」 「そうでもねえよ。ま、基本的にあんまり暑さとか寒さとか感じねえンで、俺様」 「ふうん」 便利だな、と言って小十郎は佐助の髪から手を退けた。 再び文机に向き直ってしまう。佐助はぼうと小十郎を見上げた。そして先刻まで彼の手が置かれていた 自分の頭にてのひらを乗せてみた。 また首を傾げる。 今のなんだったんだろう? 考える前に小十郎が口を開いた。 「おい、そこの変態」 「ひでえな。仮にもあんたに恋する哀れな男に、その言い様はないわ」 「黙れ、阿呆。暇だろう」 疑問符すら付かない口調で断じられ、佐助は首を竦めた。 もちろん暇でなければ奥州になど居ない。それでも佐助はへらりと笑って小十郎を見上げた。 「あんたを見るのに凄く忙しいンだけど」 「これをおまえのところの坊ちゃんに届けろ」 「無視かよ」 ぱしんと額に文が叩き付けられる。 佐助は額をさすりながら文を見た。宛先は真田幸村である。小十郎を見ると、文机の上を整理している ところだった。内容について言う気はないらしい。佐助も特に問うつもりはなかった。この男が佐助の 主に宛てるのであれば、畢竟、独眼龍絡みであることは明らかである。 ころりと起き上がって、文を懐に仕舞い込んで佐助は立ち上がった。 「へいへい、確かに仰せつかりました」 小十郎は黙っている。 佐助は上から小十郎を覗き込んだ。視線も合わない。合わせないようにしているというより、存在をな いことにしようとしているように見えた。その済ました仏頂面がなんだかいやに面白く、佐助は知らず 口角をにんまりと上げてしまう。 「右目の旦那」 意図して低めた声を耳に注ぐ。 小十郎はちらりと眉を動かすことすらしない。佐助はますます愉しくなってきた。思い切り身を乗り出 して、顔を触れ合うほどまで間近く寄せる。それでも小十郎は固まったまま動かない。いよいよほんと うに石になってしまったのではないかと佐助は胸を躍らせながら、薄い唇に自分のそれを重ねた。 ぬるまったい温度に、まだ小十郎がひとであることが知れた。 佐助はしばらく小十郎から拳が飛んでくるのを待っていた。けれどもそれはなかなかやってこなかった。 はてと思って体を離すと、そこでようやく小十郎と目が合った。 小十郎はつまらなそうにふんと鼻を鳴らして佐助の顔を押しのけた。 「とっとと持って行け。鬱陶しい野郎だ」 押しのけられても痛みはなかった。 手に力はほとんど入っていない。添えられる程度である。佐助は目を丸め、しげしげと小十郎を上から 下まで眺めてみる。常と変わらぬ仏頂面であるけれども、すこしやわらいで見えないこともない。 そのちいさなゆるみのようなものを見つけた佐助は、途端に慌てた。 それじゃ困るのだ。 「どうしたの、右目の旦那。昼に何か変な物でも食っちまった?」 帯の下辺りにてのひらを押しつけ、眉を下げて小十郎を見上げる。 小十郎はすこし驚いたのか切れ長の目を見開いて佐助を見ている。佐助は首を傾げて、どうしたの、と 更に問うた。小十郎は目を元のように細め、佐助を凝視してから息を吐く。 「―――何故そう思う」 「え、だって」 いつもならもう二三度殴られてもいい頃合いである。 佐助はそう言ってから、小十郎の腹を着物越しにやさしくさすってやった。 「矢っ張り食あたり?食あたりはよくないよ。秋ったって、まだいろいろ痛みやすいからね。俺様あん たが元気じゃないと、凄く困ッちまうから、ちゃんと養生してくださいな」 接吻しても何も言わないなんて、常の小十郎なら絶対に有り得ない。 何か言われたくて接吻しているのに、それがないのならあんな皮膚の接触にはなんら意味がない。佐助 はまだ黙っている小十郎にへらりと笑いかける。もしなんだったら薬をあげましょうか、能く効くンだ ぜ、なんたって俺様のお手製だからね。 なあ、早くいつものあんたに戻ってよ。 「でなけりゃ、遠路遙々あんたに会いに来た甲斐がないじゃない」 佐助は当然のことを言ったつもりだった。 むしろ早く体を治してほしいという、一種の励ましの言葉としてすら、その言葉を捉えていたのである。 しかし小十郎は佐助のその言葉を聞いた途端、眦の辺りにかっと怒りを滲ませて、何も言わないままで 腕を体の後ろに引いて、そのまま佐助の腹に拳を抉り込ませた。あまりにも唐突だったので佐助はそれ をまったく避けることができず、更に小十郎は佐助の体が後ろに逸れないように肩を押さえつけていた ので、拳の威力はすべて腹に留まった。 骨が折れたのではないかというような衝撃に佐助は背をくたりと折った。 「ッて、ぇ―――ぅ、え、げほ、っ、あ、ぁ?」 前のめりになって息を吐き出していると、顎を掴まれ顔を上げさせられる。 ひどくひんやりとした感触に目を細めると、目と鼻の先に小十郎の顔があった。小十郎は眉を上げ眉間 にしわを寄せ、口元を歪めて、これ以上ないくらいに憤りを顔に表して佐助を睨んでいる。掴まれた顎 は骨が軋んでいる。このままだと砕かれるかもしれないと佐助はぞっとした。 その寒気は脳に到達すると途端に痺れるような感触へすり替わる。 佐助はにこりと満面の笑みを小十郎に向けてやった。 「なんだ、元気そ、じゃん」 そうでなくっちゃ、と痛みでこみ上げてくる生理的な涙を堪えつつ笑う。 小十郎は黙ったままである。そのうち骨があんまり軋んで痛いのと、肺の辺りを殴られたのに顔を上げ させられて呼吸が困難なのとで、ぽろぽろと涙が出て来てしまった。小十郎の手にもそれが伝う。ちら りと小十郎の顔が歪んだ。舌打ちと一緒に顎から手が離れていく。 佐助は深く息を吐いて、掴まれていた顎をてのひらでさすった。まだ小十郎の指の感触が残っているよ うな気がする。もうすこし長く掴まれていたらいよいよ骨は砕けたかもしれないけれども、ほんとうに その寸前のところまで掴まれていたかったような気もした。離れてしまえばすきま風が通るような一抹 のさみしさが残って、物足りない。腹の痛みもやわらいでいたけれども、骨にさえ影響がなければあの 鈍痛は決して不快なものではないのだ。 なんにせよ、と佐助は小十郎の手を取って笑った。 「よかった。いつものあんたに戻ったみたいで」 先刻まで自分の顎を砕こうとしていた大きな手をいとおしげに撫でると、小十郎は顔色ひとつ変えない で佐助の腕を捻り上げ、あがった悲鳴すら聞きたくないとばかりに、仰向けに倒れたしのびの腹を無情 に踏み付けてから座敷を出て行った。 小十郎が佐助に渡した書状は、内々で武田と伊達が同盟を組むというような内容だった。らしい。 中身は直接読んでいないけれども、その書状のやりとりがあった後から急に奥州へと赴く任務が増え た。書状のやりとりや伝達が主であるけれども、わざわざしのびを使ってそれをおこなうことから、 二国の間にある繋がりを内密のものにしたいのだという意志はくみ取れる。 佐助は基本的に主たちが、国をどういったふうに動かしているのかということに興味はない。最低限 任務に関わる部分は頭に入れていなくてはならないけれども、それ以上のものはしのび風情には関わ りのないものである。幸村は時折佐助にも意見を求めてくることがあるけれども、それはまったく困 ったものだと思う。そういうとき佐助はいつも笑って、ただあんたの命に従いますよと言うしかない。 そうすると幸村はいつもすこしだけ残念そうな顔をする。 でもそんな顔をされても佐助はどうすることもできない。 「ないものを期待されても困ンだけど」 いつもその言葉が喉元までぐっとこみ上げるけれども、佐助はついぞ口に出したことがない。言えば 単純で明朗な主はとても悲しむだろう。よく解らなくてひどく混乱させてしまうかもしれない。それ はまったく佐助の望むところではなかった。 幸村はただ彼が在るように在るべきである。 それは自分のようなものが揺らしていいようなものではない。 だから佐助は困ったように笑って、すこしさみしそうな顔をする主を見て見ぬ振りをして、そうして なんと書いてあるか定かではない書状を今日も奥州へと運ぶのである。幸村と居るととても窮屈だ。 彼の前では出すべきではない下らないものたちが、あんまり佐助のなかにはあり過ぎてときどき息が 苦しくて死んでしまいそうになる。 そこへいくと小十郎と会うのはとんでもなく楽で心が躍る。 彼に隠すべきものはなにもない。元より自分のいっとうよろしくない性癖を見せてしまっているとい うのもあるし、何より取り繕うほどの仲ですらないのだ。それに小十郎は佐助になにも求めない。当 然である。他国のしのびに一体何を望めるというのだろうか。おかげで小十郎の傍では佐助はとても 簡単に息をすることができる。ぞんざいに扱われれば扱われるだけ、佐助の小十郎への恋慕は募って いく。毎日でも顔を見たくなる。まったく困ったものだなあと佐助はゆるんだ顔で考える。 どうしようもなく恋なのだ。 理性なんてものはそこに介在しない。 「そういうわけでね、右目の旦那。些っと溜まってたりしたら、微力ながらお手伝いしたいなあと思 ってンだけど、そこらへん如何でしょ?」 陣中で配置図と睨めっこしている小十郎の背中にぺたりと張り付き、耳元で声を潜める。 伊達軍は最近、戦ばかりしている。領主が若いからか、付近の国が組易しと仕掛けてくるらしい。も っとも伊達軍はそれを簡単にいなしているようで、国力は戦を重ねる毎に増えていっているように佐 助には見えた。ともあれ、伊達軍が戦ばかりしているということは、その軍師である小十郎ももちろ ん戦場にばかり居るということになる。小十郎には妻が居るけれども、それとも長い間顔を合わせて いないだろう。あれだけ涼しげな顔をして、岩のように見える男でも、確かにひとで、しかも雄であ るならば熱が溜まらないわけがない。 「何がどういう訳なんだ。意味が解らん」 小十郎は振り返りもせずに軍旗の柄で佐助の額を突いてから、冬の入り口にある空気よりもなおつめ たく吐き捨てた。 佐助は額をさすりながらへらりと笑い、ご無沙汰じゃないの、と首を傾げてやった。 「だからね」 「なんだ」 「いやいや、口に出すのはちょっと。解ンだろ?」 「解るか」 「そんな、いくら俺様でも照れちゃうじゃない」 床几に腰掛けている小十郎の膝をするりとてのひらで包んで、佐助はにんまりと口角を上げた。小十 郎が不快げにそれを払った。佐助はまるで気にしないで辺りを態とらしく見回す。 「ええ、だからさあ」 「煩ェ。勿体ぶるならとっとと出て行け」 書状の返事はもうもらっていた。 けれどもまだ時間に余裕がある。佐助は仰々しく首を竦めた。 「それはさみしいじゃない―――仕様がねえなあ」 「何がだ、阿呆」 「うん、だからさ。俺様が抜いてあげよッか?」 腰を曲げて顔を覗き込み、ついでに手を性器の辺りにそっと置いてみる。 小十郎は顔を歪めた。佐助は笑みを浮かべたままするすると布越しに性器を撫でる。止せと小十郎が 怒りを滲ませた低い声で唸る。佐助はうっとりと目を細めて、小十郎の前にしゃがみ込んだ。小十郎 が佐助の髪を鷲掴む。佐助はますます恍惚としたいろを顔に浮かべて、目の前の男の腰に腕を回した。 「右目の旦那、あんたってほんとすてき」 「―――おまえは、」 なんなんだ。 いみがわからん。 小十郎はうんざりとした声で吐き捨てて、佐助を見たくもないというふうに視線を空へと放った。そ の隙に佐助は小十郎の腰帯の結び目に指を引っかけ、するりと解いてしまう。小十郎が面倒臭そうに 佐助に視線を戻した。佐助はにこりと笑いかけ、腰帯を引き抜いて袴の端に手をかける。小十郎は低 く熊みたいに唸ってから、しばらく黙って、とうとう勝手にしろとちいさく結んだ。 佐助はすこし驚いて顔を上げた。 「いいの?」 「止める気があるならどきやがれ」 「いや、したいけど―――ふうん」 「面倒臭ェ野郎だな。するならする。しねェならしねェでとっとと上田に戻れ。こっちは戦の最中で 忙しいんだ。おまえみてェな変態に付き合ってる時間がそうあるわけねェだろう」 「はあ、畏まりました」 偉そうに足を開いた小十郎が面白かったので、佐助は笑いながら袴を膝まで下ろしてやった。下帯越 しに性器を撫でると、上で小十郎が息を飲む気配がする。性器は撫でているとすこしずつ芯を持ち始 める。佐助は下帯も解いてやった。彼の見目通りに立派な性器を根本から指でさすっていくと、指の 動きに従うようにそれは頭をもたげ出す。佐助はにんまりと笑みを浮かべてぺろりと先端を舌でくす ぐる。小十郎がゆるゆると息を吐いて、佐助の髪にてのひらを置いた。 「きもちいい?」 「黙ってやれ。萎える」 「ははは、成程。それもそうだ」 佐助は一頻り笑ってから小十郎の性器をぱくりと口に含んだ。 戦場で湯浴みもしていないだろうそれは、もちろん口に含んでいいにおいがするわけもなかったけれ ども、特に気にはならなかった。どうせ身を清めてあっても精液そのものはおんなじ味がするのだ。 生臭いそれを舐め上げてやると、髪を握る手の力が強くなる。 ぴりぴりとしたちいさな痛みに、佐助は自分の下腹も熱くなるのを感じた。 辺りはしんと静まっている。陣中のところどころに焚いてある篝火がときおりぱちぱちと爆ぜる音だ けが聞こえる。政宗は眠っているだろうし、見張りの兵もここまで奥には来ないのだろう。見られた らこのおひとはどうすっかな、と佐助はほおを窄めて精液を啜りながら考えた。どうすっかな?どう もしないかな。案外涼しい顔をして「取り込み中だ」くらいの事は言うかもしれない。 それは面白いなあと口の中に性器を含んだままくふふと笑うと、ぎゅっと髪を引っ張られた。 「集中しろ」 「―――ふあァい」 ますます笑いそうになるのをぐっと堪えて、喉の奥まで性器を銜え込む。 ひとに性器を咥えられての生真面目な態度がたまらなくおかしい。なんかこう、好いンだよなあ。怖 い顔も容赦のない拳も足もすきだけれども、こういうちょっと意味の解らないところも小十郎は素敵 だ。偉そうに足を開いているあたりもいかにも「性欲処理」というふうで愉しい。 矢張り小十郎は溜まっていたようで、しばらくして低い唸り声と一緒に佐助の口の中に達した。 どろりと濃い液体をてのひらの吐き出すと、うっすらと顔を赤らめた小十郎が、額に手を置いて深く 息を吐き、舌打ちと一緒に佐助の腹を弱く蹴った。 「おい」 「はいはい、なんでしょ。あ、もう一回?」 「黙れ呆け」 「そりゃ残念。で、なにか?」 袴を持ち上げて整えてやろうとしたらぱちんと手を叩かれた。 帯を結んでいる小十郎をぼんやりと土に座ったまま見上げていると、慣れてんのか、とこちらを見な で問いかけられた。はあと首を傾げると、袴を穿き終えた小十郎が床几に腰掛け直し、足を組んで、 こういうことは、と加えられる。 ああ、と佐助は頷いた。 「性欲処理」。 「初めてだけど」 そんなことは戦忍のすることではないし、それを求められるほど佐助も若くない。 小十郎は顔色を変えないで、鼻を鳴らした。 「ふうん」 「それがどうかした?」 「べつに」 「変なの」 「おまえほどじゃあねェ」 「ごもっとも」 「おい」 「はい、なんでしょ」 「済んだんだから帰れ」 「身も蓋もねえな」 佐助はけらけらと笑って立ち上がった。 じゃあ戦頑張ってねと口を寄せようとすると、今度はきっちりと拒まれた。不味い口を寄せるなと言 う。不味いもなにもあんたの体液なんだけどとむくれると髪を引き抜かれた。もちろん痛い。小十郎 の顔が不快げに歪んで、おまえのその面は虫唾が走る程気色悪いと罵られた。多分うっとりとしてし まっていたのだろう。そんなことを言われても困る。ますます顔はゆるむばっかりだ。 今度は最後までしてみない、と立ち去る前に思い付いて問うてみたら、ちゃきりと刀を抜く音がした ので、佐助は首を竦めて陣中から姿を消した。 次 |