ツンにも種類がありまして。


     


 











小十郎とまた半年会っていない。

馴染みのちいさな遊女屋で、女の膝を枕にして佐助は嘆息する。
女がどうしたのかと顔を覗き込んでくる。佐助は女の手から安物の煙管を取り上げ、ひとつ煙を吐いて
から眉を寄せた。傷ついてンだよ、と言うと女が高い声で笑う。
ほんとうだぜ、と佐助は煙管の灰を盆に落とした。

「惚れたおひとに捨てられたンだ」
「まァいい様だこと」

女はまだ笑っている。同情はないらしい。
佐助はむくれて体を起こした。襖の向こうでは他の客の声がする。女の高い掠れた声もする。まだ笑み
を浮かべている女を乱暴に畳に引き倒し、袷を開きながら佐助は目を細めた。女の肌は浅黒い。室内の
灯りはひどく落ちていて、それは女の容色の衰えをなんとか取り繕うとする店の細工である。布の手触
りはいかにも安っぽく、麻か何かであろう、小十郎のまとっていた絹とは比べものにならない。直接顔
を合わせることは適わなかったけれども、あの店の女たちはさぞやうつくしかったのだろう。
佐助は義務的に女の肌に手を這わせながら考える。成程。
成程、小十郎が「性欲処理」をする必要はないのだ。
妻があり、地位があり、金があり、彼自身だけをもってしても十分に女を惹き付けるに足る男である。
佐助とはちがうのだ。佐助には「性欲処理」が必要である。決まった女を持てるほど安定した立場では
ないのだから折々に見繕わなくてはならない。金を出すにせよ出さぬにせよ、相手は相応にならざる
をえない。てのひらから伝わる肌の感触は張りがなく乾いている。随分白粉で誤魔化しているようだけ
れども今日の相手はどうやら外れのようだ。
それでも佐助は特に自らを卑下したりはしない。
世とはそういうものだからである。ひとにより生きるに相応しい場所があり、与えられる物には限りが
あり、死ぬべき時と場所は最初から決められているのだ。歯車の佐助には場末の遊女屋で、必死に衰え
を白粉で塗り固めているこの女が似合いだという、詰まるところそういうことだ。
熱を持った性器を女の中に埋め込んで、佐助は長く息を吐く。女は声をあげながら肩にしがみついてく
る。顔は火照って、白粉は剥げかけている。そうすると年齢が一層露わになって、佐助はちいさな憐憫
の情を自分の下にある女に抱きかけたが寸でのところで矢張り止めることにした。
端から見ればどれだけ哀れな境遇であれ、それが当人にとってどうであるかは他には知れぬことである。
そういうふうに考えるのは、とても難しいことだけれども、
例えば。
小十郎は。
佐助はちいさく笑った。

「あほくせ」

つぶやいてから、佐助は女の中に精を放った。
店の暖簾を捲って外に出ると、風が存外つめたくなっていた。もう秋である。
また幾つか戦があって、そして終わった。くるくるくるくる季節は旋回している。佐助はくるくるくる
くる働いている。正しく歯車的に世界は回っているのである。
小十郎とは会っていない。
会って貰えていないとも言えるし、会いに行っていないとも言える。以前のように強いて屋敷に行くこ
とはしなくなったけれども、同盟の関係上幾度か顔を合わせる機会はあった。けれども小十郎は絶対に
佐助のことを見なかった。そうなると佐助も小十郎に声をかけることができなくなった。
根城にしている長屋で佐助は天井を見上げる。
なんだかいやに体がすうすうと寒々しくって仕様がない。
髪を掻き毟っていたら指に何本か赤いものがまとわりついてきて、うっとうしげにそれを放る。明日か
らまた任務である。今度は浅井の領地に行かなくてはならない。織田との交戦中で神経質になっている
浅井の領地に這入り込むのは決して楽な任務ではない。
真田の旦那はまた心配するかなと佐助はちらりと考えた。
信頼するときには垂れ流すようにそれを寄越すくせに、些細なことでも急にうろたえたりする主は、矢
張り若いということなのだろう。手が掛かることだ。またよく説得してやらなくってはいけない。
佐助は笑い声を喉元でこもらせた。
それからすっと黙る。体を起こして低く呻く。

「―――矢っ張り会っときたいよな」

すぐに調子に乗ってしまうのは自分の悪い癖だ。
小十郎に会いたいなと佐助は思った。そしてそのすぐあとに、ああそうだった、もうあの小十郎は居な
いのだと思い出して深く項垂れた。虫の死体みたいな気分にさせてくれる小十郎はどこかに消えてしま
ったのだった。眉を下げて板間の隙間に詰まった埃を眺める。
なんでああなっちゃったかな、とつぶやく。
考えないようにしていたけれども、つまり小十郎は佐助に情が沸いたのだ。
どうしてだろう、そんな要素はまったくなかったと思うのだけれども、ひとの情の機微は奇っ怪なもの
だ。あれだけ罵っていた相手にでも沸くときには沸いてしまうらしい。ただ申し訳ないことに佐助が求
めているのは、まったくそういうものではなかった。
情ではない。

「下衆ってのは、どうも俺だなあ」

あの男が腹を立てるのも、当然なのだ。
もう会えないだろう。会ってもどうせ佐助はがっかりするばかりで、小十郎は怒るばかりだ。小十郎は
起っていても、でも以前のようにはもう怒鳴ってはくれないだろうし、睨んでもくれないだろう。
それじゃ意味が無い。

そんな男に用はない。

ごめんね右目の旦那、とつぶやいてから佐助は浅い眠りに就いた。






































忍び込んだ浅井の領地で、佐助は偶然上杉のくのいちと出会った。
黄金色の大層うつくしい女は、佐助を見ると途端に人形のような顔をぐにゃりと歪め、鈴のように透明
な声を甲高くしてきゃんきゃんと犬のように怒鳴り散らしてきた。出会った場所が浅井の屋敷から大分
離れた場所だったので、佐助はくのいちのわめき声をとても心地良いものとしてうっとりと聞き入った。

「矢っ張りこうやって会っちまうってのは、運命かなんかなのかね、かすが?」

くのいちはますます騒いだ。
佐助はけらけら笑いながらそれを眺め、ふと黙り込む。

「なんだ、急に」
「いや、―――ああ、べつに。なんでもねえよ」
「おかしな男だ」
「そう?」

へらりと笑って煙に巻き、くのいちと別れた後で佐助は深く空に向けて嘆息した。
冬の空は高くいろが薄い。青空にはところどころ千切れた雲が散らばっている。北ではもうそろそろ雪
の頃だろうか。こちらではまだそのような気配はない。今年は冬が遅いようだ。
上田城を出る前、幸村は常のように笑って「早く戻れよ」と言った。
思い出すと佐助は笑ってしまう。いつになったらあの少年は、佐助が「早く」どころか「戻る」ことす
ら定かではない身であることを解ってくれるのだろう。いずれ身内でも死ねば知るだろうか。それとも
自らが死に瀕すればさしもの彼も理解するだろうか。
あるいは佐助が死ぬまで解らないままかもしれない。
それはそれでいいだろう。
なにも虫が一匹死んだことを報告することもないのだから、知らぬうちに消えたあとでも、主がその事
実を知るのが遅かったということもないのだ。
佐助は裸の木の枝にしゃがみ込み、息を吐く。それは予想に反してしろくは残らなかった。帷子の内側
へと這入り込んでくる冷気にすこしだけ体を震わせ、目を細め、口をちいさく開く。
つまるところ自分は歯車なのだから、と佐助は思う。
そんなもんだ、とつぶやいてみる。
そんなもんだそんなもんだ。

「悪かないでしょう、それも」

それにはそれなりの、役割があるのだ。
それ以上を求めることにはなんの意味もないし、益もない。
佐助は首を振り、脳裏に浮かんだ主の顔を遠ざけた。これから浅井の城に潜り込み、兵の分布図を手に
入れなくてはならない。先に出会ったくのいちの目的も似たようなものだろう。いくら好ましい女であ
れども、任務において先手を打たれるわけにはいかない。佐助の存在理由はそこにしかないのだ。
枝から飛び降り、城を目指す。
冬の空気を切り裂きながら、何故だか佐助は小十郎の顔を思い出した。






































情けないことに佐助は、くのいちを庇って右肩に大きな傷を負った。
危うく命まで落とすところだったが、辛々逃げ出すことができ、なんとか国境まで来ることができた。
それも庇った当の本人に担がれてのことなのでなんとも格好が付かない。血が抜けすぎてくらくらと回
る頭の傍で、くのいちは延々きゃんきゃんと吠えていた。佐助にはその声の綴る内容が半分も聞こえは
しなかったが、声が震えていることと、女のほおに涙が伝っていることは辛うじて理解できた。
佐助を厭うているはずのくのいちは、佐助が死にそうになって泣いているらしい。
おかしな女だ。
佐助は朦朧としながらも笑った。

「何を笑ってるんだ、馬鹿」

泣いている女の顔はそれでもとてもうつくしかった。
その涙が自分のためにこぼされているのだと思えば、ますますそれは目映く見えた。
くのいちは何処かに落ちついて怪我の手当をするつもりのようだったが、佐助は隙を見て女の腕から逃
れてひとり甲斐の根城へ戻った。山奥に建ててある掘っ立て小屋は冬の冷気で凍えるようだったが、熱
を持っている肌にはそれくらいが丁度良かった。佐助は自分で止血をし、自分で晒を巻き、ひとりで床
に就いた、ついでにくのいちの懐から拝借してきた兵の分布図を確認し、眠りに就く。
翌朝は日が昇る前に目が覚めた。
起き上がり、立ち上がってみる。肩はまだ動かないが、走ることはできそうだ。それでも佐助は、分布
図を幸村に届けるのを明日に延すことにした。命じられていた期限までにはまだ随分日数があるし、そ
れになにより自分のこの姿を見たら主が何を言うか解らない。

あるいは何も言わないかもしれないけれども。

佐助は小屋の壁に背をもたれさせ、ところどころ隙間の空いた天井を見上げた。
今頃かすがはどうしているかな、と考える。するとすこしだけ愉快になった。きっと怒っているだろう。
佐助なんて放っておけばよかったと思っているかもしれない。今度会ったらまたあの榛色の目を輝かせ
て、ありとあらゆる罵詈雑言で佐助を罵ってくれるにちがいない。
だからかすがはすきだ、と佐助は薄い笑みを浮かべ、きれいな女の顔を思い浮かべた。けれども同時に、
だからあの女じゃ駄目なんだ、とも佐助は思った。
あのくのいちは死にかけた佐助を助けてしまうから駄目だ。
放っておいてくれなくては駄目だ。
そこにまるで何も居なかったかのように扱ってくれなくては駄目だ。
また片倉小十郎の顔が浮かんだ。けれども佐助は切なげに目を細め、それを振り払う。嗚呼、あのおひ
とももう駄目なんだった、と思う。あのおひとも矢っ張り俺が倒れていたら助けてしまうかもしれない。
あのおひとも路傍の石のようには俺を放っておいてはくれないかもしれない。
佐助が歯車であることを、もう小十郎も思い出させてはくれないかもしれない。
佐助は髪を掻き毟りながら、深く深く嘆息した。
誰か居るだろうか、と思う。
小十郎の他に、あんなに平等に誰も彼もに無関心な視線を持つ男は居るだろうか。
佐助はしばらく考えてみたけれども、いっこうに見当も付かなかった。小十郎のあの目は、彼が持つぜ
んぶの関心をそのまま主に注いでいるから、他に向ける視線に自然感情がこもらなくなる。ではあれほ
ど自分以外のただひとりに執着する者が居るだろうかと考えれば、そんな者は居るわけもないのだ。あ
のくのいちとて、誰よりも自らの主をあいしているくせに、横に佐助が居ればそちらに気を遣ってしま
うこともある。感情をひとつに集中させることなど、生身のひとにはとても適うことではない。
小十郎は限りなくそれに近い。
彼はほんものの歯車のようにうつくしいように見える。
でも歯車ではないのだ。もどかしいことに、そして奇跡的に彼はひとである。歯車のように動いて、そ
の癖まるきりひとのように他愛ない。主の一挙一動に動揺し、顔を歪める。佐助の主にあからさまな嫉
妬の視線を向ける。佐助を嫌悪し、厭い、うっとうしがり、挙げ句に情を持ってしまったりする。そこ
に彼の傷がある。うつくしいように見える歯車は実は大事な部分がほころびている。
小十郎はひとなのだ。
なんとも残念なことに。
佐助は息を吐いた。そしてまた小十郎に会いたいと思った。もう彼が自分の望むような機能を備えなく
なっていることは百も承知だけれども、―――ああ、そうだ、自分が求めているのは彼ではなく彼の機
能なのだ―――それでも佐助は小十郎に会いたいと、無性にそういう欲にかられた。
何故だろう?
佐助は自問してみる。
よく解らない。
と、佐助はそれに自答する。
何故だろう、よく解らない。もう片倉小十郎に拘る由などなにひとつ残っていないのだ。彼は自分に痛
みをくれなくなってしまったのだ。痛みがないのはとても苦しいことだと佐助は思う。激しい痛みはち
いさな痛みを消してくれる。痛みがなくなると佐助の体は掘っ立て小屋の隙間風にすら敏感に反応して
しまうようになる。
なんだか自分が哀れに思えて仕様がない。
きれいなくのいちに会ってしまったからだ。だからあの女はよくないのだ。自分が滑稽な存在であるこ
とに気付いていなくて、馬鹿げて必死で、笑えるほど直向きで、そして誰よりもうつくしい女は、佐助
を和ませるのとおんなじだけ荒ませる。佐助にそういう思いをさせることを、もちろんくのいちは知ら
ないだろう。主が些っとも佐助の意を汲むことができないように、あの女もそんなことを考えもしない。
そういう種類の生き物なのだ。
そういう生き物がこの世には居るのだ。

「―――会いたいね」

佐助は天井の隙間を見ながらつぶやいた。
そういう種類の生き物に惹かれることは、歯車にとってはとても苦しい。
小十郎に会いたい。小十郎には解るのではないだろうか。佐助のそういった、惹かれるべきではないも
のに惹かれてしまう愚かな癖を、小十郎なら理解してくれはしないだろうか。歯車が自分で動こうとす
るときに生じる途方もない痛みを、小十郎は知ってるのではないだろうか。
そういう彼の与えてくれる痛みが佐助は欲しくて仕様がない。他の誰でもなく小十郎がくれる痛みが欲
しい。もうそれが存在しないのかと思えば尚更欲しくてたまらなくなる。
小十郎の言うようにそれは最早恋でも愛でもないのかもしれなかった。
嗚呼、でもこんなに会いたくてたまらない。会わなければ死んでしまえるほどにだ。
佐助にとっては恋よりも愛よりもその衝動は深く切実であり、甘やかなほどの痛みだった。











 
 
 
 
 

 




久方ぶりの更新であります。年内には終わらせたいな・・・。
小十郎にせよ佐助にせよ、おなごとの絡みを書くのは大変たのしいです。

次、こじゅさすエロを入れたい(願望part2


空天

2009/12/20


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