冗談か、と思った。 どうも本気らしいとそのうち解った。 肩からするりと襦袢が落ちる。布が音も立てずに布団の上に落ちるのを佐助は目を伏せてぼうと眺めた。かさついた大 きなてのひらが背中を支えている。 そのてのひらの持ち主が、肩を上げろ、と短く言った。 「痛ぇ」 「我が儘言ってんじゃねェよ。そっちは怪我しちゃいねェだろうが」 「はいはい」 佐助は戯けて、ひょいと肩を上げた。 すこしだけ息を飲む。するすると晒が解けていく。青黒い痣が痛々しい肌があらわになっていくのを、目の前の男はひ どく無感情に眺めて、ぽつりとひとつ、 「まだ腫れてるな」 と言った。 佐助は奥歯をぎゅうと噛む。 ともすれば「馬鹿かコノヤロー」と吐き捨ててやりたくなるのを寸でのところで耐える。 小十郎は布に刷毛で生薬を塗りつけて、佐助の肌にひたりと貼り付ける。ひやりとつめたい感触に佐助は眉を寄せて息 を飲んだ。小十郎は晒を一巻き湿布の上から押しつけるように佐助の胸に巻き付けていく。 途中、ときおり触れる小十郎の指におかしな声が出そうになって佐助はうんざりと呻いた。 ふいと小十郎の顔が上がる。 「きついか」 「や、大丈夫」 「きつかったら言え」 ひどく近い。 佐助はやはりうんざりと息を吐く。 晒を巻き終えた小十郎はぽんと最後に佐助の胸をその上から叩いて、よし、と言って立ち上がった。 「大分青味は引いてきたな」 腫れも直引くだろう。 「足はどうだ」 「あぁ、こっちはまだちょっと動かねえわ」 「そうか、まァ焦ることもねェさ」 ゆっくり治せばいい。 小十郎は治療用具を小脇に抱えて、それじゃァなとからりと障子を開いて座敷を後にする。 残った佐助はしばらくその障子を眺めてから、もぞもぞと布団のなかに潜り込み、ちくしょうめ、と吐き捨てた。 小十郎は相変わらず佐助が女だと一切気付いていない。 そりゃあ、と思う。 そりゃあでかくはないさ。 佐助の胸は―――――――胸というか女としての体の部分はことごとくが良く言えば控えめで悪く言えばすべからくち いさい。小十郎に言わせれば「つるつるの真っ平ら」だ。どうしようもない事実なので反論のしようもない。佐助は枕 に爪を立てた。反論のしようもないということと、煮えくりかえるほどの怒りは決して矛盾しない。 確かに佐助は胸がちいさく、尻もちいさく、しかも鍛えているので腰回りやら腕やらはふつうの女に比べれば太くしっ かりしているし、しかもそのうえに周りには男として通しているのだから小十郎の勘違いも仕様がないことではある、 あるけれども、 「見てンじゃん」 布団を引っ被ってつぶやく。 見てンじゃん、あんた。 見てるのに気付かれない。触られても気付かれないとなるとそろそろ本気で涙でも出てきそうになる。 小十郎のことをつらつらと思い描いてみる。龍の右眼で伊達家の家老。体躯は隆々として、多少厳めしい顔はそれでも 粗野ではない。槍働きだけでなく軍略もこなすというあの男に、群がる女はすくなくはないだろう。そう固いふうにも 見えないので、きっと選り取り見取りでさぞ肥えた目をしているにちがいない。 そんな男にしてみれば、男の形をした貧相な体のしのびなど、女のうちにも入らぬのだろう。 「―――――――さむ」 佐助はふるりと布団のなかで震えた。 どうも不必要に寒い。寝てしまおうと、佐助はぎゅうときつく目を瞑った。 小十郎に胸を曝すのも大分慣れた。 要するに目を瞑ればいいのだと最近になって佐助は気付いた。つまるところ、どうして不必要な緊張が起こるかと言え ば、すべてあの男の目が悪い。あれさえ見なければ幾らか心の臓の煩わしい音はちいさくなる。佐助は目を閉じて、な んとかして思考を胸の上を這う大きなてのひら以外に飛ばそうとする。あぁ、そういやぁ旦那は元気かな。ちゃんとや ってっかなあ、俺が居なくても。居なくてもちゃんとやってたらそれはそれでちょっとさみしいかもしれないなあ。 そうやって、佐助がぼんやりとしていた時だった。 「―――――――ッ、」 息を飲む。 佐助は目を見開いて、目の前の男を凝視する。 「あ、あ、あんた、なに」 「いや、些っと気になるんだが」 小十郎は真顔でじいと視線を佐助の胸に注いでいる。 それはべつにいい。大分慣れた。まだ幾らか心の臓は痛いけれども、大分慣れた。 そうじゃない。 佐助は耳が熱くなるのを感じた。 耳だけではなく、首元から後頭部までどこもかしこも熱い。 「腫れが」 引かんな。 淡々と小十郎は言う。 佐助はかちりと固まっている。小十郎はそれに気付かず、首を傾げて何か他に悪いもんでも貰っちまったか、どうした もんだろうな、と続ける。 なんだろうな、この腫れは、と、 佐助の胸のかすかな膨らみを思い切り掴みながら、言う。 佐助はふるふると震えている。 思い切り胸を掴まれて、しかも小十郎はこの腫れがどういうものなのだろうと吟味しているのだろう―――――――さ すったり叩いたり押したりしている。その手つきに遠慮というものはなにもない。 「青味はもう無ェんだがな―――――――一度、薬師に見せるか」 小十郎は顔を上げてそう問う。 その拍子に指が、胸の先端に触れた。 「ん、ッ」 口から高い声が漏れる。 小十郎の目が丸くなる。佐助は慌てててのひらで口を覆った。 しばらくしん、と沈黙が座敷に満ちた。 あちゃあ、と佐助は思う。あちゃあ、これはさすがに、ばれたな。 「―――――――おまえ」 随分間を置いてから小十郎が口を開いた。 佐助は視線を逸らして首を落とす。ばれたと思ったら急に胸を曝しているのが心地悪くなってきた。小十郎はじいと俯 いている佐助を凝視してから、ほう、と息を吐いて首を振って、 「気色悪い声出すんじゃねェよ、女じゃあるまいし」 と言った。 鳥肌が立つだろうが、阿呆。 不愉快げに顔を歪める小十郎に、佐助も今度は固まったりはしなかった。代わりに口を覆っていたてのひらをゆるゆる と持ち上げる。 「―――――――ッ」 それから思い切り小十郎のほおをそれで打った。 ぱん、と小気味良い音が響く。 小十郎は何をされたかよく解っていないような顔をしていた。ぼう、と目を丸めて、それから叩かれたほおをおのれの てのひらで撫でて、首を傾げる。それから佐助の顔を見て、ようやっと眉を寄せた。 舌打ちをして肩を強く掴んで何しやがると凄んでくる男に、怒りでもはや青くすらなった顔にうっすらと笑みを浮かべ て佐助は顎を逸らす。それから肩にかかった小十郎の手を掴んで、強く握った。 「何しやがる、じゃねえよ」 笑いながら佐助は低く呻く。 小十郎が目を細める。佐助は小十郎の目を覗き込んだまま、ぐいとその腕を引き寄せておのれの股間に押し当てた。 「―――――――は」 今度は小十郎がかちりと固まる。 思い切り歪んだ顔になった目の前の男に、佐助は笑いを浮かべたまま気色悪くて悪うござんしたねぇと吐き捨てて、股 間から動かない手を強く振り払ってやった。 次 |