佐助は居心地が悪くて、もそもそと尻を動かした。
そのかすかな動きに、は、と目の前の女房らが顔を上げる。

「どういたしました」
「何処かお痛いところでもございましたか」
「申し訳ありませぬ、わたくしめの手が当たってしまいましたかしら」
「佐助様佐助様、なにかございましたか」

「あ―――や、だいじょうぶ、です、はい」

佐助はへらりと笑って首を振った。
幾分、その笑みは引きつっている。けれども女房らには幸いなことに伝わらなかったらしく、ほうとちいさな唇から安
堵の吐息がひとつふたつ、こぼれる笑みは佐助のものとは違って心底からのものだった。米沢の女はどれもこれもが肌
がしろく髪が濡れているように艶やかで、それが四人も居ると同性の佐助でもくらりと眩暈がしそうになる。
そのうちのひとりが、首を傾げてゆるりと笑んだ。

「小十郎様の大事なお客人、私どもにできることがございましたら、なんでもお言いつけくださいませ」
「はぁ、どう、も」

佐助は必死で顔をしかめないようにする。
佐助に用意された座敷には、常に女房がふたりは付くようになった。晒の取替えから食事の補助まで至れり尽くせりの
それは、単刀直入に言ってしまえば、正直なところ佐助にはありがた迷惑以外のなにものでもない。こんなふうにひと
に傅かれるのには慣れていない。慣れるつもりもない。大きすぎる違和に吐き気すら胸の奥のほうでぐるぐると渦巻く。
まったく、と佐助は女房らから視線をはずして天井を仰いだ。
まったくあの男は、一から十まで外してきやがる。

佐助が女だとようよう解った竜の右目のその後の対応は、笑ってしまうほどに素早かった。
瞬間だけは驚いたようだったけれども、その後すぐに小十郎は息を吐いて首を振り、すまんと言うと目を閉じた。一体
なにかと思えば「気の済むまで殴れ」と言う。佐助は「はあ」と間抜けた声を出してじいと目の前の男を見つめてしま
った。さっき殴った場所がかすかに赤らいでいる。殴れと言われてももう殴ってしまった。
もういいよと言うと小十郎は目を開けて、

「そうか」

と頷き最後にまたすまんと言った。
そうして次の日から小十郎の代わりに容色自慢の女房らが、不必要に何人も座敷にやってくるようになった。
文が届けられた。謝罪と、その女房らになんでも言い付けるように、女ということは言っていないから安心するように
ということがそこに綴られていて、なんとも律儀なことよと佐助は半ば笑いそうにすらなった。たかだか他国のくのい
ちひとり、虚仮にしたところでどうということもないだろうに、

「右眼の旦那―――ってか、片倉様、って、律儀なおひとだね」

佐助はくるくるとおのれの足に晒を巻きつけていく女房になんとはなしに言ってみた。
すると弾かれたように、女房が顔をあげる。

「そうなのです」

佐助はすこし身を引いた。
その女の顔が、あんまりとろりと緩んでいて驚いてしまった。女房は佐助が目を丸めているのに気づいたふうもなく、
きらきらと目を輝かせて、小十郎様は、と謡うように朗々と言う。

「小十郎様は、私どもの誇りにございます。
 あのお年で伊達家の家老を立派に務めなすって、政宗様からの御信望御寵愛並々ならず、戦働きも内務もどれもこれ
 もがひとつ飛び抜けてあられます。物を知らぬ領民などはとんだ鬼領主よと罵りまするが、それもひいては政宗様の
 御為に相違ございません。
 もっとも小十郎様にあられましてはそのような噂をお耳に入れたとしてもそよとも揺るぐことはございませぬ。泰然
 となさって、あのお年で、私どものほうが心配して狼狽してしまうと、何を気に病むことがあるとおひとり悠々と凪
 いであられます―――まことに、」

うっとりと女房は目を細める。
まことにご立派な、優れた御方にございますと結ぶ。
はあそうですかといちおう、佐助は言っておいた。前半はともかく、後半は要するに片倉小十郎という男の神経がいさ
さか太すぎるかもしくは元々そのようなことに関する神経が無いかということでしかないような気がしたが、もちろん
そんなことは口に出したりはしない。佐助はにこりと笑ってそれで済ませた。

「姐さんは、片倉様のお手つきなのかい」

戯れに問うてみる。
女房の顔にさあと朱が差した。

「まさか、そのようなことは―――滅相もございませぬ」
「へぇ、随分お慕いしてらっしゃるようだからさ」
「そんな、私など、とても」
「そうかな」

俯く女の肌はしろい。
目元に睫の影がかかっていて、それがなんとも言えぬ風情を醸し出している。首が細く、佐助の手でも一回りが出来そ
うで、唇が厚めで触れればやわやわと吸い付いてくるだろうことが見るだけで伺える。あんた別嬪さんに見えるけど、
と佐助は言った。ふるふると女は首を振る。

「私など、小十郎様を遠目に見るだけで、それでよろしゅうございます」
「そんなもんかい」
「第一、」

女は恥ずかしそうに笑んだ。

「小十郎様は、遊里に馴染みの遊女を幾人もお持ちの御方ですもの」
「へえ、そうなんだ」
「溺れたりはしませぬけれど、よく政宗様と息抜きに参られるようです。小十郎様の馴染みは、確か見世の花魁。私に
 は、そんな手管も身体もございませぬ」

寂しそうに女房は古い晒を巻きとっていく。
佐助はすこしかわいそうなことを言ったなと思いながら、遊里に通う片倉小十郎というのを思い浮かべてみた。そうし
たら驚くほどそれは違和がなかった。行きそうだ。朱のぼんぼりも漆の杯も、蒔絵の屏風もいかにもあの男に似つかわ
しい。女にしなだれかかられながら、朱の襦袢をまとって煙管をかんと盆で叩くのだろう。似合いすぎて、笑いそうだ。
花魁ねぇ、と佐助はつぶやく。
女を磨くことにすべてを掛けた者のことだ。俺とは正反対だなぁと佐助はぼんやりと思って、蒔絵の屏風の前で朱い襦
袢をまとっている小十郎の姿を急いで追い出してやった。
































至れり尽くせりの生活が始まってから、たった三日も佐助はそれに耐えることが出来なかった。
女房がどちらも居なくなる隙を伺って、適当に杖を見繕って片倉の屋敷を出た。一日前に雪が降っていたので地面は雪
で敷き詰められていたけれども、空は真っ青で一枚羽織ればそう寒いということもない。空から降ってくるひかりが雪
を溶かして、表面がきらきらと凍りついてちいさなひかりの粒を辺り一面に巻き散らかしている。歩く度にさくりさく
りと雪が音を鳴らして、ちらちらとその度に粒がひかって消えた。
佐助は何処へという目的地も持っていなかったので、片倉の屋敷を出た後は適当にふらふらと歩いて城下をうろつき、
そうしていたらそのうちに田畑が密集している場所に出た。農民は居ない。代わりに幾人かの武士らしき男たちがなぜ
だか蹲って、雪にまみれた畝を整えている。
そのなかに、見慣れた大きな背中があった。

「右眼の旦那」

佐助は杖をついたまま、声をあげた。
畑の隅のほうで、雪を掻いていた男がふと顔を上げる。佐助の姿を見とめたその目は、みるみる丸くなって、それから
あきれたように細くなった。

「何してんだ、おまえ」
「いやぁ、屋敷に引きこもってッと暇で暇で」
「だから抜け出してきたってか。阿呆か。おい、そこを動くな」

小十郎は熊手をほうって、佐助のもとに駆け寄ってきた。
佐助が杖代わりにしていた脇差を見て舌打ちをして、ひとの物を勝手に使うなと吐き捨てられた。佐助は首をすくめて
へらりとそれに笑ってやる。小十郎はまた息を吐いた。足は、と問われる。

「あぁ、まあ杖がありゃあ平気ですよ」
「阿呆なことして治りが遅くなったらどうすんだ。困るのはおまえだぞ」
「だから大丈夫だって。暇だったからさ、適当に歩いたらここに来ちゃって―――ここ、あんたの畑?」
「あァ」
「じゃ、あれは伊達の兵士か」
「そうだな」

幾度か戦で見たことのある特徴のある兵士に、小十郎はちらりと視線をやった。
それで、と言う。それでどうするんだ。佐助は首を傾げた。小十郎は脇差をとんと叩いて、どうやって戻る気だそんな
汗みどろで、と言う。
たしかにここまで来るのはなかなか難儀で、佐助は汗をかいていた。

「や、べつにひとりで帰りますよ。邪魔したね」
「またこれで、か」
「これ以外に帰る方法ねえし」
「ふうん」

小十郎は鼻を鳴らして、腕を組んだ。
それからくるりと踵を返し、おいおまえら、と声を張り上げる。畑に散っていた伊達の兵士が一斉に顔を上げて、直立
不動の姿勢になる。佐助はうわあと目を丸めた。武田軍の兵士もなかなか暑苦しいが、ここはそれ以上かもしれない。
小十郎は腕を組んだまま兵を見渡す。

「俺は些っと用が出来たから抜けるが、おまえらはどうする。帰りてェなら帰ってもいいぜ」

なにを言うんすか。
俺たちが小十郎様の代わりに、しっかり畑を守りますぜ。
小十郎様はどうぞその用ってやつを片付けてきてくだせェ。
てんでに上がる声に、佐助は目をやはり丸めていたが、小十郎は涼しい顔で―――むしろ当然そのような声が上がるで
あろうと疑いもしなかったような顔で、ひとつ頷き、任せた、と短く応える。それに更に兵士の士気が上がる。男たち
の野太い雄たけびに、佐助は目を細めてすこし身体を引いた。
小十郎は再びくるりと振り返る。

「よし、帰るぜ」
「へ、あんたも?」
「送ってやる」
「は」
「手、貸せ」

すいと右手を取られる。
佐助は小十郎の骨ばった手の甲をぼうと眺めて、なにこれ、と顔を上げようとして、

「う、わあ、ちょ、えぇ」
「おい、暴れるな」

顔を上げる前に、小十郎の顔が目の前に来たので上げそこなった。
落ちるぞと小十郎は言う。佐助はむしろそれでいいと思った。小十郎の手が肩と足にかかっていて、ぐいと押し付けら
れた胸がとくとくと規則正しい鼓動を刻んでいるのが佐助の右腕を通して伝わってくる―――横抱きにされているのだ
と思うと頭の天辺からなにかが湧き出てきそうなほどに体中が熱い。かたん、と脇差が地面に落ちた。あわあわと手を
動かしていたら、首に回せと呆れたように小十郎が言ってくる。
佐助は思い切り首を横に振った。

「ちょ、と、これは無いよ。いやほんと」
「何が」
「降ろして、無理」
「だから何が」

小十郎は不思議そうに首を傾げる。
佐助は繭を寄せて、何がじゃねえよと吐き捨てた。

「こんな恥ずかしい真似できるわけねえでしょうがッ」
「恥ずかしいか」
「恥ずかしいよ、あんた恥ずかしくないのかよ」
「べつに」

淡々と言う。
佐助はあきらめた。

「あんたが恥ずかしくないのは解ったから、ともかく俺様が恥ずかしいンだよ、無理、ほんとにいやだ、マジで降ろせ」
「そんなものか」

ふうんと鼻を鳴らして小十郎は佐助をゆるゆると地面に降ろした。
地面に座り込む形になった佐助に、今度は小十郎は背中を向けた。負ぶされ、という意味なのだろう。正直それもかな
り抵抗があるけれども、さっきの横抱きよりはいくらかましだと佐助は渋々広い背中に寄りかかって小十郎の首に手を
回した。覆いかぶさってきた重さを確認してから、ひょいと小十郎は立ち上がり、落ちている脇差を拾い上げて脇に抱
えると、じゃァおまえら後は任せたぜと言い残して畑を後にした。お大事にッと背中にかけられる伊達兵たちの声に、
佐助は出来るなら今雪が大量に降ってきて小十郎がその下に埋まってしまえばいいのにと思った。
















       
 





やっぱり一度はやっておかないとなお姫様抱っこ。


空天
2008/03/09

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