泣かない青鬼


     


 


 


あいつのすることにはすべて意味がある。
それでその意味は、ぜんぶがぜんぶ俺の為のものだ。俺の為にあいつは自分を棄てる。自分の評判を、
自分の名誉を、自分の家を子を命だってあいつにとっちゃァ何の意味もない。
ただそれがすべて、俺の為にだけ使われる。
嗚呼、そんな男が他に居ると思うか?
あいつは俺の為になら、屹度親すら殺すだろう!

「あいつはやさしいんだ。ほんとうに、飛び切りにやさしい野郎なんだ」

主が頻りに言う鬼を評して言う言葉が、重長には何か馬鹿げた戯れ言にしか聞こえない。聡明な主の
ただひとつ残った左目には映っていないのだろうか、あれは確かに鬼だというのに、爪も牙も角すら、
重長には確と見て取れるのである。

「あの方はやさしいのよ、そう、ある意味では」

母が言う言葉も重長には理解できない。
母にも矢張り見えていないのだ。重長にはいとおしい母であるが、それでも所詮は鬼の妻なのである。
重長だけが知っているのだ。父はひとではない。

鬼だ。































青葉城に登城すると決まって、大量の褒美を持たされる。
重長が何をせずともそれは与えられる。だから重長は白石城に戻る際、いつもそれらを引き連れてい
かなくてはならない。褒美はすべて重長に当てられたものであるが、重長はそれが本来であれば誰に
向けられるべきものなのかということをよく知っている。
見舞うことを許されない主は、自らの焦燥を物を与えることで癒そうとする。それが果たして主の心
を如何ほどまで癒せているのかということは重長には知る由もない。考えたくもない。
白石城は桜に塗れて薄紅色で満ちている。
重長はそれを見ながら、城の門を潜った。
迎えてくれた母に鬼の所在を尋ねると、庭に居ると言う。今日は調子が良いようだと言う母は嬉しげ
だった。重長は目を細めて、それから息を吐いて庭へと向かう。
庭には一本、木蓮の木が植えてある。
桜を厭う鬼のために植えられた木である。
鬼は木蓮を見上げながら、懐手をしてぼうと突っ立っていた。縁側から見える鬼は確かに以前を思え
ば幾らか衰えていたが、常に見ているからか、重長には確とはその差を見極めることはできない。鬼
は相変わらず逞しい長躯と、よく磨いだ刀のような鋭い横顔を保持している。

「父上」

と、重長は鬼に声をかけた。
鬼は首を億劫げにもたげ、重長に視線を向けた。

「そのような格好で外に居られては、風邪など召されましょう。床に入っておられたほうがよろしい
 のではありませぬか。政宗様も、それはもう心配しておられましたぞ」
「そうか」

鬼はほうと息を吐いて、庭先から縁側へと上がる。
大儀だったとすれ違い様に声をかけられる。重長は弾かれたように顔を上げ、慌てて頭を下げた。鬼
からは仄かな花の香がした。
木蓮のそれが移ったのだ。
鬼は寝所に戻ると、羽織を脱いだ。

「寒くはありませぬか」
「もう春だ」
「今日はお加減がよろしいとか」
「小康というところだろう。ここのところ、暖かい日が続く」
「政宗様が」

鬼の顔が上がる。
鬼の目は見る度に竦み上がってしまうような、まったくの黒をしている。

「頻りに、父上とお会いしたいと仰っておられました。どうでしょうか、桜も盛りでございますれば、
 一度白石城に政宗様をお招きしては如何か。父上も良い気分転換になりましょう」
「重長」
「は」
「馬鹿げたことを考える暇があれば、嫡子でも作れ」

鬼は吐き捨てるように言って、床に戻ってしまった。
重長は鬼の背を睨み、苦々しげに口元を歪める。

「何故政宗様とお会いしようとせぬのか、重長には計りかねます」

鬼は答えない。
床に就いたまま半身を起こし、重長を見ずに庭の木蓮を眺めている。大抵鬼は重長のことを見ない。
興味がないのだから当然かもしれない。
常ならばそこで重長も下がるが、今日はすこし気分がちがった。
すこし激していたのかもしれない。

「政宗様は父上に会いたがっておられますぞ」

あるいはあの馬鹿げたふたりきりの酒宴に嫌気が差していたのやもしれない。
言葉を畳みかけた自分の心境を言葉で表わすことは困難である。重長はただ、目の前で自分を無視し
て眠り込もうとしている鬼も、自分を目の前にして鬼のことばかり話す主にも、おんなじだけの憎悪
めいた感情を抱いていた。
そのときだけである。重長は普段、主を敬愛し、父にもある程度の敬意を抱いている。ただ、今この
瞬間だけ、感情が何処かの堰を崩した。
重長は苛立たしげに言葉を続けた。

「会おうと思えば会えぬわけではありますまい」

もう決まり切った話を聞くだけの宴にはどうしても出たくなかった。
小十郎小十郎と呼ばれるのが、ほんとうはいつも吐き気を催すほどに不愉快でならなかった。政宗の
呼んでいるのはいつだって自分ではなく、傍に置かれようとも指一本触れぬのは感触で別人と知るこ
とをあの主が恐れているのだということだって、馬鹿でなければ誰にだって知れることである。
重長はほとんど縋るように、鬼の手を握った。

「父上、お願いです。政宗様とお会いしてくだされ。あのような主の姿を見ているのは辛うございま
 す。政宗様は儂を呼び出しては、あなたの話をするのです。ほんとうは父上に会いたくて仕様がな
 いのです。あの方は淋しいのです。政宗様は、ほんとうは父上と話がしたいのですぞ。しかしそれ
 が適わぬゆえ、儂を呼ぶのです。しかし重長にはその任はあまりに重いのです。耐えられぬのです、
 ―――耐えられぬのです、父上」

知らず、眦から涙がこぼれた。

「儂には、あなたの代りは出来ませぬ」

鬼の視線は此方には向かない。
庭先では木蓮が風に揺れている。しろい大振りな花を見ながら、鬼は何かを考えているような、ある
いは何も考えていないような顔で、ただ重長の涙ながらの言葉を聞き流している。重長は見苦しく零
れた涙を拳で拭った。するとようやっと、鬼の視線が此方を向いた。
次の瞬間、ほおに熱が走る。
左手で叩かれたのだと次いで知った。

「阿呆が」

冷えた声が降ってくる。
目を見開いて目の前の鬼を凝視する。
鬼は目を細め、重長を侮蔑を込めた視線で苛んだ。

「おまえは、おまえのことなど考える権利は基より持ち合わせちゃァいねェ筈だろう。あいされなく
 ては仕えられぬと言うのならば、その顔を使って何処かの陰間にでもなればいい」

鬼の声は低く、よく通る。
その声が体を貫いていくのが重長には感触でよく知れた。

「俺の代り?」

鬼は嘲笑めいた口調で言ったが、顔に笑みは浮かばない。
重長はついぞ鬼が笑ったところを見たことがないので、おそらく鬼は笑わぬものなのだと思っている。
鬼は矢張り笑わず、その底の見えない黒い眼を重長にぴたりと合せ、瞬きもせずに薄い唇を開き、冷
え切った言葉を浴びせ続ける。
俺の代りだと。
熟々、阿呆なことを言う。

「「小十郎」の名を背負うということは、そういうことだ。背負った瞬間から、自分のことなど考え
 るな。政宗様のことだけを考え、その為にだけ生きろ。政宗様の高名を高めることだけを考え、政
 宗様の害となるものを排することだけに気を留め、政宗様の幸福と安寧だけひたすらに祈れ」

それが出来ぬのならば、俺の息子である意味はない。

「不満ならば、この家を出て行くといい」

鬼はそれだけ言い切ると、また布団を被って眠った。
重長は黙ったまましばらく鬼の背中を睨んだが、鬼が芯から眠ってしまったのを確認すると、覚束ない
足取りで寝所を出た。



















 

 
 
 
 
 
 




こじゅがオトンなのは、筆頭にだけだと思うわけです。


空天

2010/04/05


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