通された座敷には、誰も居なかった。 佐助は取り敢えず笠を取って、座布団に座り込む。掛け軸が掛かっている。龍が空に舞い上がって、背後には嵐が吹き 荒れている。その掛け軸が価値のあるものか否かなどということが佐助に解る筈もなかったけれども、ただ十中八九は 値打ち物なのであろうということは知れた。見えた時間は一瞬であったが、あの男はそういう男だ。 奉行所へ、ということであったのに、奉行所へ訪れた佐助はそのまま伊達政宗の自宅へと移された。座敷から見える庭 は家主の趣味に反して落ち着いて、風情がある。 枝垂れ柳が時折風に揺れて、かさかさと鳴った。 「よォ、待たせたな」 からり、と襖が開く。 政宗が口角をあげて、佐助を見下ろす。佐助は手に持った笠をとん、と畳に置いて、軽く頭を下げた。佐助の仕草を見 て政宗は鼻で笑い、どさりと正面に胡座をかく。 「どうして呼ばれたか――――――だが、無論」 「俺の見たものが知りたい、なんてんじゃぁないのは解ってますよ」 「話が早ェ」 政宗はくつりと笑って、手に持っている扇子を開いた。 佐助も口角をあげて、こっちだって話してもらいたいことはあるんだ、と言った。 「一体どういう仕掛けなんでしょうねえ、あの」 「男か」 「ええ」 「俺がやった、とでも」 「まさか今更白切るつもりですかい、御奉行様」 佐助は目を細めて、正座をしていた足を崩す。 奉行の前で本来ならば許されることではないけれども、目の前のこの男にはおそらく不要であろう。慇懃無礼で通すよ りも、同じ目線で対することをこの男ならば望む。案の定政宗は、足を崩した佐助に目を細めて満足げに頷いた。 そうだな、と言う。そうだな。 「ありゃァ、俺たちの仕掛けだ」 「へえ」 「AH?なにか不満でもあんのか」 「俺、たちね」 佐助は首を竦めて、先どうぞ、と政宗を促す。 政宗は仕切られて不満なのか、唇をすこし尖らせたが、再び口を開いた。 「昔話をするか、それともさっきの話に直ぐいくか」 「なんだい、そりゃあ」 「おまえにSelectさせてやるよ」 「はあ」 「選べ」 にいと政宗は笑う。 佐助はすこし黙った。 「じゃあ」 それから髪を掻き上げて、矢張り笑う。 「じゃあ昔話を些ッと聞かせていただきましょうか」 佐助の応えに、政宗はすいと表情を一瞬消す。 けれども佐助がおや、と思う前にまた笑みをほおに貼り付けた。成る程、上等だ。開いた扇子をひらひらと振りながら 政宗は佐助を舐めるように睨め付けて、俺はな、と続ける。 「元はこの国じゃねェ、メリケンってェ国に居た」 「あんた、南蛮人かい」 「いや、生粋のJapaneseだぜ」 くつりと笑って、政宗は視線を掛け軸にやった。 佐助もそれに釣られて掛け軸を見る。異国にも龍は居てな、と政宗は言う。随分この国のそれとは違うが、それでもこ いつがとんでもねェ化け物だってことは変わらねェ。政宗は目を細めて、ほう、と息を吐く。 「親父に言われて異国に行って、戻って来て奉行を継いだ」 しかしこの国は心底つまんねェな、と政宗はうんざりと言う。 佐助は思わずすこしだけ笑った。 「そらァ、外を見たひとにゃあそう見えるでしょうや」 「AH−HAN,おまえにとっては違うってか」 「そうは言ってませンがね、俺たちにゃ」 佐助は一旦言葉を止める。 それから息と一緒に吐き出した。俺たちにゃ、此処以外に行く所なんざねえんだよ。 政宗はひどく退屈そうに鼻を鳴らして、矢張りつまらなそうにどうでもいいがな、と返す。だろうね、と佐助は首を竦 めた。持てる者には持たざる者の心根など、道ばたの小石ほどの意味も無い。そんなものに興味を示すのは、余程の物 好きだけである。だろうね。佐助はまた言った。だろうね、あんたにゃあどうでもいいことだ。 ああどうでもいいな、と政宗も言う。 「俺の話を続けさせてもらうぜ」 「へえへえ、結構ですよ。どうぞご随意に」 「俺はなァ、八咫烏」 この国が心底気に喰わねェ。 だが壊すつもりもねェ。 「この仕組みのなかで生きている人間が多すぎる。ここでこの国ぶっ壊したところで、そらァ俺の自己満足にしかなら ねェよ。だからな、心底から気に喰わねェが、壊しゃしねェ」 「そらまた、結構な志だことで」 「But,だからってそれに従って生きる気にもならねェ」 政宗は舌打ちをした。 「奉行ってなァ、外から見てりゃあ随分とImportantな立場のようだが、実際やってりゃァ不自由なことばッ かりだ。お上の事は気にしなけりゃならねェし、どう見ても黒な野郎をとっ捕まえるのも、相手が重鎮なら一々手間 ァ取る。挙げ句証拠を持ち逃げされることもある。些ッと出遅れりゃあ、それで無かったことにされる。 結局のところ、奉行が出ンのは幕の下りた後のStageで、そん時にゃァとっくに芝居は終わってンだよ」 うんざりだ。 政宗はそう言う。佐助は鼻で笑った。 「おやおや、随分と弱音を吐くじゃあないか、御奉行様」 「弱音じゃねェよ」 「じゃあ、なんだってのさ」 「昔話だ」 にい、と政宗は口角をあげた。 ぱちんと扇子が閉じられる。たん、と政宗はそれで畳を叩いた。そして言う。 幕が下りたStageにも、まだ役者は残ってんだろうがよ。 「幕の下りた芝居なら、も一度俺が上げるだけよ」 おまえには、言うまでもないかもしれんがな。 政宗はそう笑った。佐助は黙り込んで、それから軽く喉を鳴らす。どくどくと鼓動がいやに煩かった。おかしな感触が 胸の辺りを旋回している。なんだろう、と思った。 政宗の言うことは解る。 つまりあれは、矢張り政宗らの仕掛けで、 「あんたが」 佐助は掠れそうになる声を、必死で律して言葉を紡ぐ。 「あんたがじゃあ、あの男を嵌める仕掛けを」 「おお、あれか」 「あれは」 「おまえ、解ったか」 「―――――何をだい」 「あのTrickだよ」 佐助はすこし考えてから首を振った。 政宗は満足げに頷いて、また扇子を開く。おやこいつァ可笑しいな、と言う。 「おまえは誰より、知ってる筈だぜ」 なあ、八咫烏。 佐助は眉を寄せた。 何の話だい。そう問う。政宗は笑みをほおに貼り付けたまま、芝居はちゃんと見たか、と佐助の問いには応えず逆に問 うてくる。佐助は眉を寄せたまま、見たけど、と返した。 「芝居は幾つあった」 「三つだけど」 「どうだった」 「どう――――って言われてもな」 芝居は三本立てだった。 どれも大坂の町を舞台にしたもので、怪談というよりは現実の事件のようなものを題材にしたものであった。ただどれ も解決しないままに終わる。そうして、必ず出てくる同じ名の男が居た。佐助はなんとなく、三つめの最後にこの男が 全ての事件の犯人であることが知れるのだろうと思いながら見ていたが、結局最後を見ることなく芝居は終わってしま った。無論、大目付のあの男の騒動のせいでだが、 「あれが何かの仕掛けになってるわけだ」 それは最初に政宗から誘いかけを受けたときから解っていた。 政宗は笑いながらそれには応えずに、男が出てきただろう、おんなじ野郎が、と言った。 「名前、覚えてるか」 「覚えているけど」 「あらァな、最後に騒動起こしたあの大馬鹿が元は相模のほうで使っていた名だ」 「―――――――は」 「それから」 佐助のほうけた顔に政宗はにこりとも笑わずに続ける。 「それから出てきた女の名はどれも、加代の母親が相模、江戸、大坂でそれぞれ使っていた名だ」 加代の日記から解った、と政宗は言う。 佐助はへえ、と言った。へえ。それ以上は言えなかった。 鼓動がまた一層煩くなる。どくどくと、まるで溶岩のように蠢いている。煩えな、と佐助は思った。なんだってこんな に俺の胸は煩えんだよ。なにかが住んでいるようだとさえ思った。 まさか、と思う。まさか。 まさかそんなことがあるはずがない。 「そらァ驚くだろうよ。偶然見に来た芝居で、てめェの殺した女の名と、てめェの名が三度出てくる。 話はどれも全く違う話だが、覚えているだろうがどれも」 「―――――――死因が」 「Ah,That’s Right」 おなじだ。 「極めつけに耳元で加代に囁かせてやった」 「加代さんが」 「ああ」 「それで」 「そういうことだ。 心底から錯乱してやがって、ぺらぺらてめェのやってること喋ってやがる。もうすこし落ち着いたら審議にかけて、 ぶち込んでやるさ。上がった幕は、また下ろす」 「どうして」 「Ah?」 「どうして、あんたが」 声が震えた。 「どうしてあんたが、それを知ってんだよ」 にいと政宗が笑う。 全く違う事件。同じ名前。 知っているのは、本人だけ。 全く同じだった。佐助がかつて、雨の夜に掘っ立て小屋で講じた仕掛けと全く同じだった。 どうしてあんたが、とまた佐助は声を絞り出す。あの夜に、仕掛けに掛けた坊主は死んだ。他に居たのは佐助も含めて 四人だ。もう一人は随分前に死んだ。かすがは政宗を知らない。佐助は仕掛けの中身を誰かに言ったことなどない。 どうしてあんたが。 「聞いてみるか」 政宗は口を下弦に歪めたまま、ととん、と畳を二度叩いた。 からりと襖が開いた。 佐助は視線を下げていたので、誰が入ってきたかは解らない。 政宗の横にその男は腰を下ろしたようだった。男は何も言わない。政宗は視線を下げた佐助に向かって、こいつが俺の 種でな、と言う。いつも仕掛けをする時にゃァ、こいつの書く本に従って組み立てている。 知っているだろう。 「片輪唐須ってな。まァ上方じゃァ一二を争う戯作家だ。 But,どうも本業に比べるとこっちの仕掛けの本書きは苦手らしくてよ。今回も急ぎの本だったもんで、 OriginalのStoryが作れなかったらしくてね」 政宗はくつりと笑って、ぽん、と横に居るらしい男の肩を叩く。 「おまえの仕掛けを拝借したそうだぜ。 どうも本人もバツが悪ィらしくてよ、まァ、些ッと謝罪を聞いてやってくれや」 すくりと政宗は立ち上がる。 足を進めて、佐助の顎を政宗はぐいと掴んだ。 佐助は一瞬痛みに目を閉じる。政宗は高く笑って、目を開けろよ、と言う。佐助はゆるゆると目を開けた。政宗は笑い ながら、目を開けろよ、とまた言う。目を開けて、よォく見な。 どん、と体が押されて畳に強く背が叩きつけられた。 「じゃあ、後は任せたぜ」 くるりと振り返って、政宗はそう言う。 ええ、と低い声がそれに返した。後はお任せを、政宗様。 夜の山彦のようだと佐助はぼんやりと思った。その直後に、痺れるように悪寒が背筋を駆け上がる。どうしても顔をあ げることが出来ない。氷ったように指先が固まった。まさか、という三文字が、反響するように頭のなかをくるくると 回る。まさか。まさかまさかまさかまさかまさか。 まさか。 「顔を」 あげないか、と声がかかる。 佐助はひくりと肩を揺らし、それからゆるゆると顔をあげた。 青褐の袴が目に入る。その上に置かれた拳はゆるく握られていて、その骨張った指は見覚えのあるものより幾らかささ くれ立っているように見えた。羽織は山鳩鼠。真っ直ぐな体はそのまま顔へと繋がり、太い首の上にあるものを見る前 に、いっそ佐助は息が止まればいいと思った。 実際には止まることなどあるわけがなかった。 「久しいな」 真っ直ぐに突き通すような声が、座敷に響く。 「久しいな、八咫烏―――――――いや」 「猿飛佐助」 右ほおに伸びる傷が、笑みのせいですこし歪んだ。 佐助は息をすることも忘れてただ正面の男の顔を凝視する。言葉を綴ろうと口を開いたけれども、何かを言う前にただ の息としてこぼれてしまって息苦しくなった。 笑える阿呆面だな、と男が笑う。 それからすくりと立ち上がり、 「―――――――ッ」 どご、と鈍い音がした。 ほおが熱くなる。 それから血の味が口中一杯に広がった。 首根っこを掴まれたままだったので、体は飛んで行かなかった。代わりに抑えつけられた首がひどく軋んで、耳障りな 音を立てる。血が喉の奥に流れ込んで、咳が出た。咳き込んでいると、塵のように畳に棄てられる。 ゆるゆると顔をあげると、ひどく軽蔑するような視線とぶつかった。 随分と面倒だったぜ、と男は吐き捨てた。 「この骨折りが全部おまえの為かと思うと、反吐が出る程苛立たしいな」 ぱんぱんと手を叩いて言う。 佐助は殴られたほおをてのひらで抑えながら、男を見上げる。男は佐助の視線に気付いて、すこしだけ首を傾げた。そ れから能面のような顔のまま、どうした、と言う。佐助はしばらく石のように固まったまま男を見上げて、それから糸 で縫いつけられたような口をなんとか開いて、あんたは、と言う。 あんたは。 「かたくら、こじゅうろう」 「あァ」 そんくらいは解っていたかよ、阿呆鴉。 男は――――片倉小十郎は矢張り眉ひとつ動かさずに頷いて、 「殴りに来てやったぜ。約束通りな」 と左拳にこびりついた佐助の血をぺろりと舐め取った。 次 |