片倉小十郎はもてる。 まあそうだろうよと佐助はビールを煽りながら思う。小十郎の身長は佐助より頭ひとつぶん高いし、整った顔はたしかに多少厳めし さはいなめないけれど、それでも小十郎がいい男である事実を飛び越えるほどではない。独身で、一人暮らしで、長身でいい男。こ れでもてなかったら余程小十郎の人格に問題でもなければ逆に不思議だ。 テーブルを挟んで向かい側に居る小十郎には、同僚の保育士が酒の勢いでしなだれかかっている。飲み会っていうか合コンだよな、 と佐助は丸い目を細めてじぶんの横に居る女性保育士を見た。いつもそんなに化粧濃くないだろうよ、と突っ込みたくなるような完 璧な化粧に、当然だが佐助はかけらも興奮したりはしない。 ちらりと再び小十郎に目をやる。小十郎も佐助のほうを見ていた。 かちりと合った目と目が、同時に困ったような笑みに歪む。 (もーしわけないけどさあ) 出会いのすくない職場である。 なんとかしてフリーの年頃の男を落とそうとする同僚たちの健気な心意気は佐助にだってよくわかる。ついこのあいだまで、佐助だ ってそうだったのだ。二十代後半。男も女も相手がいなければそれなりに焦る。 が、佐助にとってはそれは過去のはなしだ。 (あんたがしなだれかかってる、そのいー男は俺の彼氏なんだなあ、これが) 俺の彼氏。 そのことばの大いなる矛盾に、佐助はじぶんで思ったくせに深い息を吐いた。 恋 に な る ま で 1 冗談のような一夜から一ヶ月。 これまた悪い冗談のような話だけれど、佐助と小十郎は世間で言うところの『恋人同士』という関係になっていた。あの朝、責任っ てなんだ、ということを突き詰めた結果、妥当な結論がそれしか見つからなかった。 幸いにもと言うか不幸にもと言うか、お互いに恋人もおもいびとも居なかった。酒とその場の勢いとは言えセックスまで済ませてし まった以上、じゃあとりあえずお付き合いしみてみましょうかという話になる。 職場恋愛とかいい加減いい年だとか、そもそも男同士だとかいろいろとハードルは立ちふさがっているはずなのだけれど、それ以上 にふたりにとって大きいのが「責任」という二文字だった。 取ると言った以上は取らねばなるまい、と佐助も小十郎もうんざりと思っているのだ。 つまり、このふたりの間にあるのは何をおいてもまず最初に意地だった。 佐助はばん、と映画館の前の看板を叩く。 両方ともが主役レベルの、ハリウッドの二枚目俳優がふたりそこにはプリントされている。その俳優の鼻先をばしばしと叩きながら 佐助は言う。 「俺はアクションがいい」 「そんなもん見てどうする。俺はこれを見に来たんだよ」 「ちょっと、あんたその顔で動物アニメ?ありえねーよそれ。 渡哲也がキティーちゃんグッズ持ってるのとおんなじくらいあっちゃいけないよ」 「例えの意味がわからん」 小十郎が呆れてチケットの列に並ぼうとする。最近CMでもよく流れているお涙頂戴系のハリウッドの動物アニメの列に並ぶ大男はか なり目立つ。佐助はそれを必死で止めようと腕を掴むが、小十郎はなにも抵抗などないかのように列へと入り込んだ。 佐助をずりずりと引きずりながら。 「えーまーじでこれ見るのー」 「これじゃなけりゃ俺は帰る」 「片倉さんちょーわがまま」 「おまえの趣味になんぞ付き合ってられるか、阿呆」 吐き捨てる小十郎に佐助は息を吐く。 それからくるりと周りを見渡した。日曜日だ。恋人同士も居れば家族連れ、学生同士など客層は雑多だけれど、ざっと見たところ佐 助と小十郎以外には二十代後半の男ふたりというのは居ない気がする。 (そらいねーでしょうよ) 佐助だって人生設計上こんな日曜日は一切予定していなかった。 恋人同士のお付き合いをするにあたり、やっぱり日曜日だしデートのひとつもしなければならないのではないかという厳正なる話し 合いの結果、ふたりはこうして映画館に居る。 もう三度目だ。 つまり付き合いはじめてから毎週ふたりは映画館に来ていることになる。 べつに佐助も小十郎もそこまで映画がすきなわけではないけれど、デートっぽいことをしつつあんまりお互いに喋らなくてもいい場 所として映画館はとても都合がいいのだ。なのでたぶん来週もここに来るんだろうなあと思いながら佐助が目を細めていたら、小十 郎がすこし笑い、来週はあれにすりゃあいいだろう、と言う。 「お気遣いどーも」 笑い返しながらも、佐助は映画を見るまえからすでにとても疲れている。 映画はまあ、おもしろかった。 佐助としてはハリウッドの所謂CGのアニメはあまり好ましくないのだけれど、それなりに売れているだけあってストーリーは悪くな い。ラストシーンでライオンの親子が再会したところでは佐助も思わず安堵の息を吐いた。横で小十郎がなんか泣いてるっぽかった ことについては、佐助は見て見ぬふりをする。 からかってもいいが後が怖い。 映画館を出るともうあたりは暗くて、時計を見ると七時をすこし回っていた。 「ごはんなににするよ」 「この間は俺が選んだからな、今日はおまえでいい」 「じゃ、イタリアンとか行きますか」 佐助のことばに小十郎が頷く。 先週は小十郎の行きつけの創作和食料理屋だった。料理に関してはそれはもうおいしかったのだが、あまり小十郎が行きそうな店の 雰囲気ではなかったので佐助が首を傾げていると、あっさりと前の彼女に連れてこられたのだと言われた。 佐助もそれにへえ、と返す。 嫉妬とかは当然のように浮かんでこない。 今日行くイタリアンレストランだって、佐助はふたり前の彼女に教えてもらったのだ。 その、もう名前も忘れてしまったふたり前の彼女がすきだったパスタを今小十郎が目の前で食べている。 シュールだなー、と佐助は思った。 その彼女はたしかいつも三分の二ほど食べて後は残していたのだけれど、小十郎はきれいに完食する。惚れ惚れするほどの食べっぷ りに、見ている佐助のほうが腹が膨れた。うまいな、と言う小十郎の顔はそれなりに満足げなので、まあ彼氏(あっちも彼氏だけど) としての役割は果たせたと言っていいだろうと思う。 レストランを出たらちょうど九時だった。 腕時計を見ながら小十郎が言う。九時だな。佐助はそれに頷いた。九時だね。 「明日はたしかさくらんぼ組は遠足だろう」 「そうそう。なんで雑務頼むね、四時には帰ってくるけど」 「ああ。そっちも気をつけろよ」 「まあ、俺様の組は比較的問題児すくないからねーあんたんとこと違って」 「俺の組にも問題児なんぞいねェが」 「・・・うん、まあ、片倉さんがそう思ってんなら俺にはなにも言うことはねーわ」 不思議そうな顔をする小十郎に佐助はうっすらと笑う。 それじゃあ、と小十郎が言った。佐助と小十郎のマンションはそれほど遠くはない。遠くはないが、電車の路線がちがうのでこの交 差点でわかれなければ互いの家に帰ることができない。佐助は小十郎に手をひらひらと振った。 「おやすみィ」 また明日ね、と言えば小十郎は軽く手をあげる。 横断歩道を渡って向い側の歩道に向かう小十郎の背中を見ながら、佐助はひっそりと息を吐く。時計を見る。九時十五分。ぽつり、 と佐助はつぶやいた。 「・・・・俺は中学生ですか?」 冗談のようなあの夜から一ヶ月。 佐助と小十郎は、セックスどころかキスも、手をつなぐことすらせずに今に至っていた。 そもそも愛がない。 そんなことは接していればいやでもわかる。小十郎と佐助は、日中はほとんど園で一緒に作業をすることはない。小十郎はりんご組 の担任で、佐助はさくらんぼ組の担任なので生徒が居る間はそれにかかりきりだし、終わったら終わったで佐助と小十郎のする雑務 は役割分担がきっちりとされているので、ふたりが一緒の空間に居るのは諸事務が終わって職員室に戻ってからだ。それは大抵七時 を過ぎている。 思い返してみれば、そもそもあんなことになるまできちんと小十郎と喋ったことすらない。 飲みに行ったのもあの夜がはじめてだった。 佐助が小十郎について知っているのは、顔が怖いことと仕事ができることとそれからなんか伊達政宗の家と関係があるらしいという ことくらいだ。小十郎は政宗のことを政宗様、と呼ぶ。仮にも保育士なんだからやめろと思うのだけれど、きっとあの送迎の黒い車 の関係なのだろうから佐助はなにも言わない。命はなにより大切だ。 要するに、佐助にとって小十郎は年上の同僚だった。それ以上でもそれ以下でもなく。 (・・・なのになあ) 目の前で前田慶次にまとわりつかれている恋人を見ながら佐助は目を細める。 恋人。 片倉小十郎が。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーかたくらこじゅうろうがこいびと。 ありえねーと思わず笑ってしまいたくなる。 小十郎は慶次をいなしつつ放置し、りんご組のほうへと向かっている。さくらんぼ組はこれから折り紙の時間だ。佐助は放置された 慶次をずるずるとさくらんぼ組の教室まで引きずっていく。慶次はぶうぶう文句を言う。 「なにすんだよー」 「はいはい、おまえ振られたんだから諦めて鶴作るの」 「おれ、ふられてなんかないよ!かたくらせんせいはこれからどっぢぼーるだからいっちゃっただけだもんね」 「あーあーわかったわかった」 俺の恋人はもてるなあとうんざりと佐助は思った。 蘭丸といつきの間に慶次を放り投げて、折り紙を園児に配りながら佐助は目をグラウンドにやる。ちょうどりんご組の園児がわーわ ーと元気に走り出て、ドッヂボールの為に準備運動をしているところだった。小十郎は石灰でコートの線を引いている。その背中に は当然のように伊達政宗がうろちょろとまとわりついていた。 準備運動しろよと佐助が呆れつつ見ていると、それに真田幸村も加わって、さらに長曾我部元親が入ってきたので政宗もそちらのほ うへと走っていった。小十郎は助かったというふうに息を吐いたが、やはり視線は政宗に向かったままだ。愛だなあ、と思う。ああ いう視線を小十郎から佐助が受けることは未来永劫来ないだろう。べつにそんな日はかけらも望んじゃいないが。 佐助が巡回もせずにぼう、と突っ立っていたので、教室のすみで慶次が蘭丸にこそこそと話しかける。 「・・・なあなあ、さるとびせんせいへんじゃね?」 「そうかあ?」 「へんだって!さいきんいっつもぼーっとしてるしさあ、こないだのえんそくんときもすっげーてきとうなあんないだったし」 「さるとびせんせいはいつもそんなもんだべ」 「あいつせいかくてきとうだぜ」 「・・・うーん、それはそうなんだけどさあ」 慶次は納得しないように首を傾げる。 もうすでに蘭丸といつきの机のうえには折り鶴が出来上がっているが、慶次の机のうえの折り紙はきっちり正方形のかたちを崩して いない。はやくつくれよ、と蘭丸が言う。慶次は眉をよせつつ、あれはさあ、と蘭丸ことばを無視した。 「こいだとおもうんだ!」 慶次のことばに蘭丸といつきは顔を見合わせる。 それからいつきがこいってあのいけにおよいでるやつだべか、と言う。蘭丸はあのごがつにいえにつけるやつか、と言う。慶次はち げーよ、と呆れた顔で息を吐いた。これだからこいをしらねえやつはこまるんだよな。 「さるとびせんせいはだれかすきなやつがいんだよ」 おれはわかる、と慶次がいやに自信満々で言う。 蘭丸は眉を寄せて、なんでそんなじしんがあるんだよ、と言い返した。いつきはもはや興味を失ったらしく折り紙で新たな作品を作 りだしている。慶次はふ、と首を振りつつ笑う。 「こいしてるにんげんの、かんってやつかな」 蘭丸がなんだそれ!と呆れると、慶次は目を細めつつ、 「まるにはわかんねーよ。だっておまえとおちゃんとかあちゃんがいちばんすきだろ」 「わ、わるいか!」 「いや?べつにわるかねーけどさ、おれはちがうよ。おれはもう、ほかにすきなひといるもんね」 そう言って笑う慶次のおもいびとが小十郎であることはもはや周知の事実だった。 なのでいつきは朝顔を作りながら、ああまたはじまったべ・・・と遠い目をしたのだけれど、蘭丸は律儀に食ってかかっては慶次に また馬鹿にされるということを繰り返している。さくらんぼ組のほかの園児はなにも言わない。 それはとても、日常だった。 佐助はそんな園児たちの喧噪にも関わらず延々とグラウンドを眺めている。 ドッヂボールがはじまったグラウンドでは、幸村と政宗がものすごいデッドヒートを繰り広げていた。内野のふたりによる延々と続 くラリー、時折それに外野の元親と元就からの援護がはいり、もはやりんご組の他の園児たちは完全に観客と化している。政宗の高 笑いと幸村の暑苦しい雄叫びが一月の高い空へと抜けていく。 小十郎は他の園児たちのためにもうひとつコートの線を引いていた。 (はたらくなあ) 佐助は思う。 おまえは働かないな、と突っ込む人間は残念なことに居なかった。小十郎はたしかによく働く。さぼりゃあいいのにと思うようなと ころでも決して手を抜かない。佐助だって肝心なところではそれなりに気合いはいれるが、そこそこやはり息を抜かなければこの仕 事はあんまり重労働だ。 前にそう言ったら小十郎にものすごく軽蔑された目で見られたことを思い出す。 小十郎は真面目な男だ。 佐助は器用貧乏なのでいろいろ背負い込まされるが基本的にいい加減な人間なので、たぶん小十郎みたいな人間は積極的に佐助のよ うな人間がきらいだろう。佐助も小十郎のような人間を見ているとなんだかいやにじぶんが駄目な人間な気がするので、あまりおつ きあいをしたいタイプではない。 (いやしちゃってるけど) いろんな意味で。 寒空のなか園児たちに揉まれながらグラウンドで働く小十郎を見ながら、佐助はどうしたもんかなと思う。 来週もたぶんまた映画に行き、夕食を食べ、そしてまた中学生のように十時前にはおわかれするのだろう。来週は佐助の見たい映画 の見れる週だ。小十郎は顔をしかめるだろうけれど、佐助は前に予告を見たときからそれを見たいと思っていたので多少たのしみで はある。まあ。佐助は思う。まあいいか、とりあえずそれで。 とりあえず来週じぶんのすきな映画が見られる。 諸々の面倒なことはそのあとに考えよう、と佐助は思った。 思ったのだけれど、不幸にもそれは実現しなかった。 佐助はひそかに見たいと思っていたハリウッドの新作を結局見ることはなかった。 そのまえに、小十郎と佐助は別れてしまったので。 次 |