日曜日の予定が消えた。 猿飛佐助はベッドの上で寝ころびながら、見たかった映画に出ていた俳優が昔出ていた映画を見ている。 恋 に な る ま で 3 遠足帰りのバスの中は静かだ。 行きはけたたましい園児たちも、遊び疲れてみんな眠りこけている。がたんがたん、という振動音だけがバスの中に響いて、思わず 佐助も眠りの世界に足を突っ込みかけた。が、すかさず通路を挟んで隣に座っている片倉小十郎に頭をはたかれる。 「いだ」 「寝るな、阿呆」 小十郎の手にはパンフレットが握られている。 丸められたそれの端っこにプリントされているお化け屋敷の画像に、佐助は眉を寄せる。おかしな顔をする同僚に、小十郎はちらり と不思議そうな顔をしたが、自分の持っているパンフレットをあらためて眺めてああ、と呟いた。 佐助はますます嫌そうに顔を歪める。 「・・・それ、しまって」 「で」 「なによ」 「ベルトは見つかったのか」 「見つかったよ!うるせえなあ、人の生傷に紅ショウガ塗り込むような発言は慎んでもらえる!」 さっきまで居た遊園地で、佐助は真田幸村にズボンを下ろされた。 お化け屋敷にさくらんぼ組の引率で入った佐助に、りんご組のくせになぜかひっついて入ってきてしまった幸村が泣きついた。それ だけならほほえましいアクシデントのひとつで済まされるのだが、幸村の馬鹿力によって佐助のズボンはずるりと落ちて、暗闇のな かベルトだけ持って走り回る幸村を捕まえるのに十分おいかけっこをするというのは、もはや単なる悪夢でしかない。 幸村がお化け屋敷に入り込んでいると知りつつ、一切助けを試みなかった同僚に恨めしげな視線を向けつつ佐助は息を吐く。 「どうしてくれんだよ、あんな姿晒したら御婿に行けねーよ」 「真田に責任を取って、もらってもらえ」 「・・・あそこ金持ちだよね」 「旧家だからな」 「げ。いやだなそーゆうの・・・あいつ長男じゃん」 「精々頑張れ」 小十郎は興味などかけらも持っていない、というのを隠さずに窓を見ながら話している。 佐助はずるずるとバスのシートの背もたれに体を埋めて、また息を吐いた。小十郎を見る。窓から差し込んでくる橙の日のひかりが 同僚の顔をオレンジ色に染めていた。疲れているだろうに、まるで物差しでも背中に突き刺さったかのような姿勢のよさだった。 それを見上げながら、佐助はぽつりと呟く。 「片倉さん」 「あァ?」 「幸村にもらってもらえなかったらさあ」 「諦めろ」 「じゃなくて」 「なんだ」 「あんたのところにもらわれてあげてもいーよ」 ぐるん、と小十郎の首が回って佐助のほうを向いた。 ぱちくり、と二三度目がまばたく。それからその目はひどく嫌そうに細められ、佐助目がけてまた手が飛んできた。佐助はそれを今 度は両手で受け止める。おおきなてのひらが目の前にあって、小十郎の顔は見えない。 小十郎は無感情に言った。阿呆。 「てめェで言ったことの責任は、取れ」 佐助はすこしそのことばの意味を考えた。 要するに別れたのだから、そういうことを匂わせる発言は慎めということか。成る程、生真面目な小十郎らしいことばだと思った。 佐助は小十郎のてのひらに額を押しつけて、そうですね、とすこし笑う。 てのひらが離れていく。 もう小十郎は佐助を見ていない。 冬の夕日は気づいたら紫色に染まっていた。 (べつに引きずっちゃいないけどさ) 小十郎は佐助の好みの六千三百七十八キロメートルほど離れた場所に居る。 佐助の好みはわかりやすい。かわいくてふわふわしていて、スタイルはもちろんいい方がいいし、一途で一生懸命な子がすきだ。佐 助の一挙一動に機敏に反応してくれる子がいい。それから佐助は身長が低いとまではいかないが高くもない。だから出来るなら背は 低い子のほうがいい、と思う。見上げてくる大きい目とか、そういうのがすきだ。 小十郎はでかくて無表情で佐助のことばにものすごく短い単語で返事をする。 すきになる要素がない。 同僚としてーーー友人ではないだろうーーー面白いな、とは思う。でもそれだけだ。小十郎は固くてごつごつして乾いてそうだ。一 回やってしまったというセックス、幸か不幸か佐助はかけらも覚えていないが、それもどうやったら可能だったのか謎である。よく あんなのに突っ込む気になれたな、というのが一ヶ月半経っての佐助の正直な感想だった。 引きずる理由がない。 (振られたのがはじめてだから、ちょっとへこんでるだけだなこれは) あれを振る振られるで判断するのも難しいけれど。 お昼の職員室で、職員机にほおをひっつけていた佐助の耳に有線の音楽が入ってくる。あ、と思った。見たかったけど見れなかった 映画の、それは主題歌だった。たしか上映期間は来週までで、結局映画館でそれを佐助が見ることはないだろう。見たかったなあ、 とぼんやり佐助が思っていると、斜め前の小十郎がふと、 「聞いたことがあるな」 と言った。 横の席に座っている女性保育士が、映画の名前を言う。 小十郎はああ、と頷いて、 「先週見ました、そういえば」 「あ、そうなんですか。どうでした?私も見に行こうかと思ってたんですよ」 「いや・・・騒々しいのは苦手でしてね。あまり俺はすきじゃなかったな」 苦笑いをする小十郎を佐助はじいと見る。 知っている。小十郎はアクションが嫌いだ。佐助にしてみれば笑ってしまうようなお涙頂戴映画がすきなのだ。でも恋愛映画はだめ らしい。体が痒くなると言っていた。小十郎に合わせると、見れる映画の範囲がものすごく縮小される。 どう考えてもその映画のチョイスは、小十郎のそれではない。 (誰と行ったのかねえ) 佐助と別れて、それは二日後のはずだ。 二日後にすでに新しい恋人が出来ていたのだとしたら、佐助は小十郎に拍手を送りたい。もしくは佐助と「おつきあい」をしている 間にすでに居たのだろうか。しかしだったら大事な日曜日、女の恋人より男の恋人を優先させるということもあるまい。 有線から流れていた映画の主題歌が終わる。 次には名前も知らないアイドルの新曲が流れ出した。 園児たちのお昼寝タイムの終わりが近づいている。温くなったコーヒーを飲み干して、佐助は立ち上がった。一度伸びをしてから廊 下に出ようとしたら、入ってこようとする小十郎とぶつかる。 「あ、ごめん」 「いや」 職員室に忘れ物をしたらしい。 引き出しから楽譜を取り出して戻ってくる小十郎を見ながら、佐助は聞いてみた。 「片倉さんさあ」 「ん」 「誰と行ったの、映画」 「映画?」 「さっき言ってたやつ。あんたの趣味じゃないでしょ」 「ああ」 楽譜をぱらぱらと捲りながら小十郎が頷く。 「ひとりだ」 「へ」 「・・・つーか、な」 苦く笑う。 捲られていたページがぴたりと止まる。 ちらりと目をやると、今度の演奏会でりんご組が演奏することになっている童謡だった。いろいろなところに書き込みのされている その楽譜をじい、と佐助が見ていると、上のほうからすこし笑いを含んだ小十郎の声が降ってくる。佐助は顔をあげた。 「行っちまったんだよ」 「はあ?」 「忘れてた。もう行かなくてもよかったんだが」 「・・・・・あぁ」 佐助は納得したように頷いた。 毎週の習慣で映画に行くのはおきまりだったから、小十郎は先週の日曜日も行ってしまったのだろう。佐助はちらりと笑う。それで おもしろくもない映画を見たのだとしたら、ずいぶん間抜けた休日だ。すこし気分を害したらしい小十郎は、笑っている佐助のほお を楽譜でつついた。あんまり痛くなかった。 りんご組に向かう小十郎を見送って、佐助もさくらんぼ組に向かう。次の時間は外で遊ぶ時間だ。前田慶次とかとサッカーしようか なあと思いながら佐助がさくらんぼ組までの廊下を歩いていると、先ほど小十郎に話しかけていた女性保育士が後ろから追いかけて きた。おずおずと迷うように視線をさまよわせ、意を決したように口を開く。 「・・・あの」 「うん?どしたの?」 「さっき、佐助君、片倉先生に映画の話聞いてた?」 「へ。ああ、うん」 「・・・・誰と行ったって言ってた?」 佐助はぱちくりと目を瞬かせる。 それからへらりと笑った。ああ、と頷く。目の前の佐助よりすこしちいさい同僚は、顔を真っ赤にして佐助の答えを待っている。か わいいなあと佐助は和んだ。小十郎がすきなのだ、このひとは。奇特だなあと思った。あんな無表情で無反応で煮ても焼いても食え なそうな男のどこがいいんだろう。謎だ。 ひとりで行ったってさ、と言うと同僚は顔をぱあと輝かせて、 「ありがとう」 と言って去っていた。 べつに礼を言われるようなことはしていない。が、恋する乙女が感謝しているというのだから有り難く頂いておこう。この間の飲み 会でもさっきの同僚は小十郎にアピールするようなことはしていなかった。純情なのだ。勿体ないなあ、俺をすきになってくれたな らその日のうちに彼女にしてやるのになあと佐助は天井を仰ぐ。 ふと、思った。 (あのひとって誰かをすきになったりすんのかな) 小十郎が誰かに恋をするということが想像できなかった。 あの男の鉄仮面が剥がれるということは果たしてあるのだろうか。あの男も誰かにほほえみかけたり、その誰かの行動で一喜一憂し たり、それこそ誰かを抱きたいと思ったりすることはあるのだろうか。まあ。佐助は思う。あったとしてもそれは少なくとも佐助で はないことは確定している。今後小十郎が恋をして自分の隣におくのは、佐助ではありえない。 それは佐助以外の、誰かの話だ。 園児達を幼稚園バスに押し込んで、佐助は息をついた。 もう橙に染まった幼稚園を見上げながら、園舎に向かう。園児が帰ってしまった幼稚園はがらんと空洞がひろがっていて、特になに が変わったわけでもないのにどことなく不気味だ。佐助はそういう雰囲気がきらいではなかった。静かですうすうと風がいろいろな ところから吹き抜けている。広い園内に自分ひとりになったような気がして、佐助は大きく伸びをする。 昇降口に向かって歩いていると、うさぎ小屋の後ろあたりからひくひくという泣き声が聞こえてきて佐助は足を止める。まさかバス に乗り損ねた園児でも居たかとすこし小走りにうさぎ小屋に歩み寄ると、ぼそぼそとなにか話している声がした。 (ひとりじゃない?) す、と身を隠すように佐助は小屋に寄った。 ちらりと顔をのぞかせると、そこには泣きじゃくっている伊達政宗とそれをなだめる小十郎が居る。ああ、と佐助は思い当たる。政 宗はいつも送り迎えを自宅の乗用車でしているので、まだ園に残っているのだ。小十郎は困ったような顔をして、政宗の頭をくしゃ くしゃと撫でている。それでも一向に政宗の涙は止まらないようだった。佐助からは政宗の顔は見えないが、小刻みに体が震えてい るので泣いているのが解った。 かすかに声が聞こえる。 「・・・おきなわ、は、とおい」 「政宗様」 「おれのことなんかわすれちまうだろっ」 「そんなことはありませんよ。忘れたりするものですか」 小十郎は政宗のほおにハンカチをやって、涙を拭く。 それをぶるぶると首を振って振り払うと、政宗は叫んだ。 「わすれる!それで、もうかえってこねぇんだ!」 静かな幼稚園にその声は大きくこだました。 政宗の目線に合わせてしゃがみこんでいる小十郎は、すこし黙る。それからまだかすかに震える政宗をぐい、と引き寄せて抱き締め た。ぽんぽん、と政宗の頭を撫でながら、聞いたこともないようなやさしい声で、 「そんなことは、絶対にない」 と笑う。 「誰より政宗様が大切なんです。いくら遠くに行ったとしても、それは変わることは有り得ません。 沖縄どころか宇宙に行ったとて、必ずあなたのもとに帰ってきますよ。絶対です」 「・・・・ほんとか」 「ほんとです」 「ちかうか」 「誓います」 「うそついたらはりせんぼんだぞ」 「千本どころか一万本だって飲みましょう」 「・・・・じゃあ」 しんじる、とちいさく政宗は言った。 小十郎はそれでこそ政宗様だ、と笑いながら政宗を抱き上げる。政宗は泣きはらした顔を隠すようにぎゅう、と小十郎の肩に顔を押 しつけている。それをかすかに笑いながら、小十郎は園の門の方へと歩き出す。佐助はあわてて小十郎たちが来るのとは別方向に体 を隠した。すう、と横を小十郎がなにも気づかずに歩いていく。 見つからないようにうさぎ小屋のかげに座り込んだ佐助は、背中を向けた小十郎を見る。 「・・・おきなわ?」 先ほど政宗の言っていたことばがゆっくりと佐助に染み渡ってきた。 沖縄。それは遠い。なにしろ海を挟んでしまっている。一応日本だがあれはある意味海外だ。飛行機でないと行けない。東京からだ とどれくらいかかるのだろう。学生の頃一度行ったきりだから忘れてしまった。 沖縄。 (片倉さん、が) 小十郎が、沖縄へ行く。 なんでだろう、とか仕事はどうすんだ、とかいろいろ頭に浮かんだ。政宗が知っているということは父親関係だろうか。それともつ いに表の社会から裏の社会へと移ることにしたのだろうか。だとしたら沖縄はあまりイメージにそぐわないが、佐助のような一般人 には解らない裏のいろいろがあるのかもしれない。沖縄支部のなんかを任されて、何年か経ったら東京の方で幹部になれるとかそう いう・・・と、佐助はドラマで見た情報でぐるぐる考える。小十郎は子どもたちの真ん中に居るよりは黒スーツのお兄さんたちに囲 まれて、「兄貴」とか言われてるほうが確かにしっくりくる顔をしていた。 いろいろ考えていたらとっぷりと日が暮れてもうあたりが暗い。 佐助はあわてて立ち上がる。おそらく職員室では小十郎がひとりで雑用をして、さぼっている佐助に恨みの炎を燃やしているに違い ない。やべーやべーと昇降口で靴を履き替えながら、佐助は最後にちらりと思った。 小十郎が沖縄に行く。 それでもあの男は政宗のことは忘れないだろう。 (でも) かたん、と靴箱を閉める。 職員室へ伸びている廊下にぺたり、と一歩踏み出して佐助は足を止めた。 そして、俺のことは忘れちゃうんだろうな、とちいさく呟いた。 次 |