タイトルなどない。


     















朝起きると、夜寝たときとは別の場所に居た。
片倉小十郎は手を持ち上げ、ふむ、と顎を撫でた。目の前には庭がある。片倉屋敷の外庭である。問題は
なにゆえに起きたその瞬間から目の前にそれが在るかということで、小十郎はつまるところ、障子に背を
預け、庭に面した縁側に座り込んでいる。朝である。まだ日は完璧には頭を出していない。小十郎は顎に
置いた手をするりと下ろし、首をてのひらで覆った。露出した肌に冬が無遠慮に突き刺さってくる。寒い。
しばらくぼんやりと庭を眺めていたけれども、そうしていても仕様がないので小十郎は立ち上がり、庭に
降りた。取り敢えず顔を洗うべきだというのが小十郎の結論だった。
井戸に寄り、釣瓶で水をくみ上げる。井戸の水は冬にはぬるく、夏にはつめたい。それでも小十郎には些
か釣瓶にひたひたと満ちた水はつめたかった。申し訳程度に顔を濡らし、首をもたげる。まだ日は出てい
ない。しかし空は澄んでいる。今日は晴れだ。あれの言った通りだ、と小十郎は思った。
そういえば、と小十郎は首を傾げる。
あれが、
昨夜来たのではなかったか。
うん、と小十郎はまた顎を撫でた。確かそのはずだ。昨夜常のように気紛れにふらりとあれは現われて、
確かに久々ではあったし、丁度酒の良い物が入っていたので、邪険にするのも早々にふたりで杯を幾度か
交わして、
小十郎は首を反対に傾げた。
それとおんなじに、「嗚呼」という高い声が肩越しに飛んできた。

「そんなとこでぼけっとして、風邪引いちまうよ」

振り返ると、赤い髪が視界の端に移り込んだ。あれか、と小十郎は思ったけれども、直後に思い直す。
はて、あれはこんなにちいさかっただろうか。
視線を下ろすと、生白い顔がこちらを見上げているのとぶつかった。

「え」

間抜けた声は同時にふたつの口からこぼれた。
小十郎は言葉を失い、同じく体の動作も止めてしまった。相手はそれよりは落ち着いていたのか、それよ
り更に戸惑っていたのか、言葉は失ったのは小十郎とおんなじだったけれども、黙ったまま徐に腕を伸ば
して小十郎の胸を鷲掴むという暴挙に出た。もちろんそこには、鷲掴むべき何かはない。固い胸板は指を
つるりと滑らすのみで、細くしろい指はどこにも引っかからずに、襦袢の襟にむなしく留まった。
ない、と高い声がこぼれる。

「右目の旦那に胸がない」

その声は小十郎が今まで聞いたことのある声のうちでも、いっとう哀れがましい声だった。
小十郎はそれで思わず「すまん」と謝ってしまった。謝る必要は一切ないのだが、それにしても目の前の
女の声は切なげに過ぎた。
女。
女?

「おまえ、猿飛か」

小十郎の胸を鷲掴み―――損ねたけれども―――その後土の上に絶望的にしゃがみこんでいた赤い髪の女
はゆるゆると顔を持ち上げた。目も赤い。まっしろい顔には見慣れた草色の染料が塗ってある。矢張りあ
れだ、と小十郎は確認する。
それは女だが、あきらかに猿飛佐助であるように見えた。

「あんた―――も、片倉小十郎、だよね」
「あァ」
「男、だけど」

確認するように“佐助”は言う。
口ぶりでは女の小十郎も居るようだ。
とりあえず小十郎はそれを納得することにした。術という事もちらと浮かんだけれども、それにしては目
の前の女の佐助は―――“佐助”はうろたえ過ぎている。赤い目には涙すら浮かんでいる。なんだかひど
く悪い事をしたような気がしてしまう。“佐助”はなにもかもがちいさく出来ていて、女というよりはこ
どものようだった。顔立ちもそう変わらない。線は細いが、化粧気がないので中性的に見えた。
あの男ならもそっと豊満な女に化けるだろう、と小十郎は思った。敢えて化けるにしては目の前の女はい
ろいろと足りない部分がある。すくなくとも胸は見ているだけでは水平線の如く真っ平らだった。女に化
けるならばもっと女に見えるものに化けるだろう。小十郎にはいろいろと触ってみないと“佐助”が女か
男かは判断しかねるように思えた。声で辛うじて解るかどうか、というところである。
“佐助”はまだ戸惑っているようで、顔をしかめたり眉を下げたりして忙しない。そういうところは男で
も女でも変わらないらしい。昨日縁側で飲んでたときまでは、と口走っているところを見ると、今朝起き
たときに小十郎がその場所に居たことの理屈が一応は付く。あくまで自分が異様な状況に置かれていると
いう事を疑いなく前提にした上でなら、一応は。
そもそも昨夜は佐助と小十郎は床を共にしている。朝あんなところに居るはずがない。
とすると、もしやすると女の自分は―――と、小十郎が思いついたところで、屋敷のほうから聞き慣れた
声で、間抜けた悲鳴が響き渡った。











































目を覚ますと、珍しく目の前に情人の背中があったので猿飛佐助は寝惚け眼ながらにんまりと目を細めて
しまった。手を伸ばし、固い肩に指を這わせてぐいと引き寄せる。

「珍しいね。あんたが未だ寝てるなんてさ」

昨夜無理しすぎちゃったかしら、と佐助は喉に笑いを籠めながら言ってやる。反応はない。未だ眠ってい
るらしい。ほんとうに珍しいな、と佐助は思った。常ならそろそろ拳のひとつふたつ飛んできても良い頃
合いだけれども、いっかなその気配がない。手を更に伸ばし、襦袢越しにするすると腕を撫でる。固い筋
の感触が朝から心地良い。こちらも固い黒髪に鼻を埋めながら、佐助はしばらくうっとりとその感触を愉
しんだ。佐助の情人の体はあらゆる弛緩も許さないと断固として決めているように、隙間無くぴったりと
固い。触っていて何処にも引っかからない。たまらないなあ、と佐助は眠っているのをいいことに更に手
を動かし、襦袢の襟を割って胸元を探ろうとして、

「うわあ」

飛び退いた。
口から悲鳴まで出た。
掻い巻きを吹っ飛ばし、板間を摺って襖まで後ずさる。胸が煩い。目を見開いて、掻い巻きを無くしてた
だ布団の上で丸まっているものを眺める。固い体、黒い髪。背中は広い。要素だけならそれは、見慣れた
情人のものであるに違いなかった。
けれども佐助は目を細め、それから顔を歪める。
肩は確かに広く、そこから続く背中も矢張り広い。しかしそれはあきらかに、昨夜までは無かった曲線を
描いているようだった。腰が締まり、そこから足へと続く部分が幾らか矢張りなだらかに隆起している。
佐助は手をのろのろと持ち上げ、てのひらをじいと眺めた。曲線。
そしてこの手の感触。

「―――まさか」

喉を鳴らし、四つん這いになって再び布団に戻る。
布団の上に寝転んでいる片倉小十郎―――らしきもの―――は覆うものがなくて寒いらしく、先刻見たと
きより更に丸まっている。佐助は傍まで寄って、こっそりと寝顔を覗き込んだ。
眉間に皺の寄った、常とおんなじ仏頂面にはきちんと左ほおの傷も付いている。佐助は眉を寄せた。幾ら
か線が細い―――だろうか。顎の線がなだらかになっているような気がしないでもない。しかしそこには
確固と断定できるほどの要素はないようだった。男と言われれば、矢張り男に見える。
しかしそれは、確実に昨夜まで佐助が見知っていた片倉小十郎ではないものだった。
佐助は手を持ち上げ、肩を通り越して胸元を探るべきか否か一瞬迷った。確認しようと思えばそれはすぐ
にでも出来るのだけれども、果たして目の前のものが小十郎であるかどうかというのも確かではないわけ
で、そんなことをしていいのかどうか解らない。まったく見知らぬ女であればどうだろう。屋敷でそんな
ことをしたと家主に知られれば、もう二度と迎入れてもらえないかもしれない。
迷っている間に、体の下に居る小十郎らしきものが目を覚ましてくるりと此方に視線を向けた。

「猿飛」

切れ長の黒い眼が佐助を見上げ、薄い唇が開く。
佐助は目を見開いて、それからぎこちなく笑った。おはよう、と言うと小十郎らしきもの―――佐助の名
を知っているということはそれは確かに小十郎であるはずだったけれども、しかしあきらかに小十郎とは
質の違うもの―――“小十郎”はぼんやりと頷き、それから佐助へと手を伸ばした。

「え」
「寒い」

ぐい、と引き寄せられる。
佐助はなんの用心もしていなかったので、そのまま“小十郎”の上に崩れ落ちた。胸元に顔が押しつけら
れる。“小十郎”は寒い、とまたつぶやいて佐助の体にしがみついてきた。

「―――なんだおまえ、いつもより固ェな」

寝惚けた声で“小十郎”はそう言う。
でもまァいいか、ぬくいな、相変わらず。そしてそのまま眠ってしまう。寝息が上から聞こえてくる。佐
助はそれをずっと“小十郎”の胸元に顔を突っ伏したまま固まって聞いていた。
“小十郎”の胸元には、胸があった。
あるいはそれは日本語として間違っているのやもしれなかったけれども、しかしこの状況では佐助にはそ
う考えることしかできなかった。片倉小十郎という、あの石がそのまま人間になったかのような、隠喩的
にも換喩的にも隅から隅まで余すところ無くただただ固い生命体が、―――やわらかい。なんだこりゃ、
と佐助は混乱した頭で思った。
右目の旦那がやわらかい?
そんなのはあり得ない。刀がやわらかいと言われたほうがまだ信じられる。もしくは槍でも、種子島でも、
牛の角でも、なんでもいい。そういうことも、あるいはあるかもしれないからだ。
小十郎がやわらかいよりは。
佐助はそう思った。
しかし、とも思った。

しかしとりあえずやわらかいのって、いいことじゃないだろうか。

もちろん佐助は片倉小十郎と寝ているので、そこにやわらかさを求めたことは一度もない。むしろ彼はあ
の断固とした、融通の利かない固さがあるからこそ、良いのだとも思っている。けれどもあくまで佐助は
女色を元から好む男であるので、一般的にいって固いよりやわらかいほうが好ましい。
“小十郎”のやわらかい胸は、様々な理屈や取り敢えずの異様性をすべて放り投げたところで、単純に言
ってとても佐助にとって好ましいやわらかさだった。
佐助は考える事を一旦放棄することにして、好ましいそのやわらかさを堪能することにした。なんにせよ
これは小十郎であるようだし、自ら佐助を抱き締めているのだし、ならば佐助がそれをどういった方向で
捉えたとしてもなんの問題もないはずである。まだ朝は早く、昨夜の小十郎の話では今日は仕事も特にな
いらしい。佐助も二日くらいなら滞在できる。つまり朝からこのやわらかさを心ゆくまで堪能したところ
で、誰に何を遠慮することもないということではないだろうか。
佐助はそう判断し、体を起こして“小十郎”の腕を首から下ろした。体に空いた隙間に潜り込んだ冬に、
“小十郎”が身動ぐ。襦袢はすっかりはだけていて、豊満な、佐助に取ってこの上なく好ましい大きさの
胸がそこから無防備に見えている。他の部分が女をほとんど感じさせないので、豊かな胸だけが不釣り合
いなほど女で、その対比のあざやかさが益々佐助を良い心地にさせた。

「右目の旦那、起きて」

ちいさく声をかける。
“小十郎”が薄く目を開く。

「―――寒い」
「そうだねえ」
「おい、おまえ、離れるなよ。寒いじゃねェか」

声は掠れている。まだ半ば眠っている為だろう。常よりは高いような気もしたけれども、女というにはそ
の声はあくまで低い。佐助はにんまりと笑みを浮かべて、“小十郎”の顔の横にてのひらを突いて、じゃ
あこれから俺様が腕によりを掛けてあっためてあげるよ、と言ってやる。“小十郎”はそれをぼんやりと
聞いている。まるで意味が解らない、というふうに。
佐助は笑みを濃くして、はだけた胸元にてのひらをゆっくりと這わせた。


そこですぱんと障子が開いた。













なんも考えずにつらつらとテスト前に。なにしとんねん。
百合カプとホモカプのクロスオーバーです。繰り返しますが何も考えていません。


空天

2009/01/25


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