佐助と“佐助”が帰ってきたので、互いの置かれた状況を整理することにした。 “佐助”と“小十郎”は昨夜ふたりして縁側で酒を飲み交わしていたのだという。久方ぶりの宴席 だったらしい。“小十郎”のほうが伊達家の行事で忙しかった。それは小十郎にも解る。男であれ 女であれ、伊達家の年明けからの行事に忙殺されるのは常に家老なのである。小十郎とて昨夜佐助 が来るまではおんなじ立場だった。 ともかく“小十郎”は大層疲れていたので、縁側で酒を飲みながら眠ってしまったのだった。 “佐助”は女の細腕でははるかに大きな“小十郎”を部屋に引き入れることもできず、かといって 放っておくこともできずに、掻い巻きだけ被せて自分もおんなじように横で眠った。朝がきたので 軽く体を動かしてから戻ると、そこに居たのは“小十郎”ではなく小十郎だった。朝起きて、外へ 行くまで横に居たのが“小十郎”であったか小十郎であったかは定かではない、ということだ。 「箪笥にあったのは俺の服だったから、まァ、おまえさんたちがこっちに来たということだろう」 「そうみたいだねえ」 “佐助”はあっけらかんと頷いた。 最初に顔を合わせたときの印象から、情緒の不安定な女らしい女なのだと思っていたらそうでもな い。女でも猿飛佐助なのだろう。取り乱しても不思議ではないような奇天烈な状況の中、すずしげ な顔をしている。“小十郎”のほうは、矢張りというか案の定というか、先から小憎たらしいほど 一切表情を動かさない。我ながらかわいげのねェことだと小十郎は思った。 佐助が“佐助”に「そういえば」と話しかける。 「真田の旦那は、男なの、女なの?」 小十郎は舌打ちをした。 この期に及んで関係のないことに話を及ぼすこの馬鹿はどうしたものだろう。小十郎の舌打ちの音 に佐助は唇を尖らせ、気になるじゃない、と抗議する。 だって真田の旦那が女だったら大変だよ? 「あんなおぼこくて世間知らずが女だったら、あっという間にどっかの悪い独眼龍とかに騙されて かどわかされちまうかもしれねえじゃない」 「地獄が見てェか?」 「できれば遠慮したい。で、どうなの、佐助ちゃん」 臆面もなく自らの女の姿に「佐助ちゃん」と問いかける佐助の面の皮の厚さに感心しつつ呆れてい たら、“佐助”はけらけらと笑い声を立てて、男だよ、と答えた。 小十郎も“小十郎”をちらりと見た。まさか、と思ったのだ。 「男だ。当たり前だろう」 “小十郎”は矢張り鉄仮面のまま答える。 「政宗様がおひいさまであらせられたら、誰が天下を取るんだ」 「―――そう聞いて安心した。そちらの政宗様は、御立派に領地を治めてらっしゃるのか」 「無論だ。もっとも元気過ぎるきらいはあるが、それも含めて天下人としての萌芽はありありとお 示しになっている。あとは太郎様の生誕を望むだけだが、こればっかりは授り物だからなんとも 言えねェな」 「ふむ、雪解け後の戦備はどうなってる」 「今年は最上をいい加減にどうにかする時期だからな―――まァ、夏先までは様子見ということに なるだろうな。ちと戦を構えるにゃァ、去年の不作が厳しい」 小十郎は頷いてから、顎を撫でた。 その辺りの情勢も特にこちらと“あちら”での変わりはないようだ。佐助が目を細め、畳の上に寝 転んで「つまんねえ話」と手を振っているのが目に入ったがそれには構わず、更に問いを重ねよう と口を開いたところで、ふと、じいと此方を凝視している“佐助”のちんまりとした座り姿が目に 飛び込んできた。 「どうかしたか」 佐助とおんなじ色素の薄い赤い目がこちらを見据えている。 なんとなく居心地が悪くなり、小十郎は視線を“佐助”へ移した。“佐助”の目が瞬かれる。え、 と言う。見ていたろうと問うと、ちいさな頭が左にかくんと傾げられた。 それからひょこりと右に戻る。 「ああ、ごめんごめん、つい」 髪を掻きながらへらりと笑う。 笑い方も、当然ではあるのだろうが佐助とまったくおんなじ笑い方だった。“佐助”は手を振りな がらごめんごめんとまた言った。 「べつになんか意味があるわけじゃないよ。お気になさらず」 「そう言われてもな」 「ほんとになんもないンだって」 「右目の旦那、あんまり虐めちゃ駄目だよ。佐助ちゃんがかわいそうじゃない」 佐助が“佐助”の肩を抱いて目を細める。 「あんたはもう些っとてめぇの顔の破壊力に自覚的になるべきじゃない?かわいらしいお嬢ちゃん にゃ、季節外れの奥州のナマハゲはちときつすぎるでしょ」 「おまえは本当に死んでいいぞ。大体かわいらしいってェなァなんだ。それもおまえじゃねェか」 「でも実際のところ、かわいいじゃん。あんたもそう思わない?」 佐助は“佐助”の髪を撫でながら問う。小十郎は黙った。 “佐助”はやたらに大きくて丸い目を瞬かせていてる。それを見ていると同意するのも癪だが否定 することもためらわれた。佐助はにんまりと笑みを浮かべている。“佐助”に張り付いていなけれ ば殴り倒してやるところである。 “佐助”はすこし困ったように眉を寄せた。 「うん、ああっと、話してもいいんだけど、たいしたことじゃないから」 ちらりと視線を“小十郎”へやって口ごもる。 “小十郎”は不思議そうにすこし眉を上げただけだった。それを見て、“佐助”は視線を小十郎へ と移した。小十郎はすこし考えてから膝を進め、“佐助”の身の丈に合うように身を屈める。 “佐助”は身を乗り出して、小十郎の耳元にささやいた。 「―――右目の旦那は男でも女でも、かっこいいなあって」 つい見ちゃった、と言う。 小十郎は身を引いてから、しげしげと眼下のちいさな女を見下ろした。それからその横に座ってい る男へ視線をやる。不思議そうに佐助は目をくるりと回した。小十郎は目を細める。 このふたりが性は違えども同一人物だという。 やれやれ、冗談だろう? 「おい」 “小十郎”へ小十郎は声をかけた。 “小十郎”はなんだ、と女にしてはあんまり低い声で返事をする。 「それと、うちのあれを交換するつもりはねェか?」 「おいこら、ちょっと待て」 “小十郎”の答えが返ってくる前に、指さした人差し指を佐助につかまれた。 「なあにを言っちゃってンのかなぁ、右目の旦那ってば。いくら寛容な俺様だってつまンない冗談 を聞くと時と場合によっちゃ怒っちゃうよ」 「冗談じゃねェ。取引の話だ。おい、こいつは煩い上にちいさくもねェしかわいらしさの欠片もあ りゃしねェが、まァ折に触れて役に立つこともねェこともねェから、」 「こんなにかわいい情人をつかまえて何言ってンだ。大体役に立たないわけないでしょ。昨夜だっ てあんなにきもちよくさせてやったっていうのに、もう忘れちゃったの?」 「あァ、もう交換じゃなくてもいい。もってけ。タダでくれてやる」 「随分なこと仰いますがね、言っとくけどね、あんたみたいに面倒くせえおひとに付き合ってられ る奴なんて俺くらいなんですよ。もう些っとその価値をあんたはきちんと認識するべきだろ」 「面倒くせェだァ?おまえのほうが余ッ程面倒くせェだろうが。大体きもちいいだのなんだの言う んならおまえだっておんなじじゃねェか。それともなにか、おまえは些ッともなんにも好くねェ のに御厚意でなすってるとでもぬかしやがるのか」 「すくなくとも昨夜は疲れ果ててまるきりマグロ状態だったあんたにそんなことを言う資格はねえ ンじゃありませんかね。どっかの童かなにかみたいに脱がせるとこから後処理までなんもかんも 俺様にさせたくせに、「おんなじ」だなんて、些っとばかし厚かましいンじゃないの」 佐助は人差し指をへし折らんばかりに握りしめつつ、薄い笑顔を浮かべて小十郎を睨み付けている。 小十郎もおんなじように睨み返してやった。 ほんとうにまるでかわいげがない。 しばらくそうしていたら、まったく間の抜けたことに、今更のように“小十郎”が口を開いた。 「猿飛は、俺のものじゃねェからくれてやることはできんが」 “小十郎”はすいと左手を差し出した。 「その猿飛を貰えるんだったら、貰っておこうか」 その左手は真っ直ぐ佐助の元に伸びている。 小十郎は目を丸めた。佐助も固まっている。“佐助”だけが「なんでッ」と高い悲鳴を上げた。 「いや、くれると言うから」 “小十郎”は天気の話をするように答える。 それから佐助のほうを見て、首を傾げた。 「それに、その猿飛はどうも何か出来るらしいじゃあねェか」 「―――な、なにか?」 佐助がおそるおそる首を傾げる。 うん、と“小十郎”は頷いた。できるんだろう、と今度は小十郎へ視線を寄越す。 「きもちよくしてもらっているんだろう?」 按摩か何かか。 いいな、俺もどうも最近肩が凝ってたまらねェんだ。 “小十郎”は肩を鳴らしながら首を回し、すこし笑みを浮かべて、俺も是非きもちよくしてもら いてェものだな、と言葉を結んだ。 しばらく座敷のなかに沈黙が落ちた。 「―――え、っと」 最初に口を開いたのは佐助だった。 迷うようにしながら、それでも笑みを浮かべて首を傾げ、“小十郎”が差し出した手に自分の右 手をゆっくりと重ねる。 「じゃあ遠慮なく、きもちよくさせて頂き―――ッて、ぐえ」 言い終わる前に小十郎は佐助の腹を思い切り握り拳で殴りつけた。 崩れ落ちた佐助の背中の上を踏み付け、“佐助”が慌てて“小十郎”の元へ駆け寄ってわっと抱 き付く。 「駄目駄目、駄目だって右目の旦那ッ。そういうこと言っちゃ駄目っていつも言ってンじゃんッ」 「そういうこと?」 “小十郎”は目を瞬かせて不思議そうに“佐助”を見ている。 小十郎は立ち上がって潰れている佐助を更に上から踏み付けながら、思い切り顔をしかめた。最 初に感じたことは矢張り間違っていなかったのだ。 この女は馬鹿だ。 とんでもなく。 “佐助”がほとんど泣きながら“小十郎“に縋り付いている。 「按摩ならいくらでも俺様がするからあ」 「だっておまえ軽いじゃねェか。按摩にならんだろう」 拗ねたように反論している。 嗚呼、なんてことだ。どうしようもない。 再び顔をもたげようとしている佐助の頭を踏みにじりつつ、性が異なるだけでどうしてこうもひ とが変わるもんだろうかと小十郎はうんざりと障子の向こう、花を付け始めた庭先の梅を眺めな がら深く嘆息した。 次 |