やはり段階が大切かと思いまして、と古泉が言ったのはもう十二月も半ばを過ぎた頃だった。
キョンはコンビニで買った肉まんで赤い指先を温めながら首を傾げる。何も聞いてないのに一体この男は何を言い始める
のだろうか。

「なんの話だ」
「僕の話です」
「わかっとる。おまえの何についての話だっつてんだよ」

ぺり、と肉まんの底の紙を剥がしてゴミ箱に捨てる。
古泉はホットのミルクティの蓋を捻って、口を付ける前に以前メモ帳についてご質問を受けたことがあったと思いまして
と笑う。キョンはしばらく視線を宙に浮かせて、ああ、と頷く。

「あの怪しげなアレか」
「それです」
「なんか勿体ぶってたじゃねえかよ」

はっきり言って気になったが、待ちかまえて居たように食いつくのも癪なので、代わりに肉まんに食いつきながらキョン
は視線を逸らした。ふわふわと湯気がたちのぼるペットボトルを揺らしながら、古泉は笑顔のままに、ええもう時期が来
ましたから―――と、言う。
時期。

「なんだそりゃ」

キョンは顔をしかめた。
古泉はすたすたと歩いていたが、くるりと振り返ってちいさく笑った。段階の話ですよと言う。
段階。
聞いた覚えがあった。

「段階だか時期だか知らんが、何についてのことなんだかとっとと言いやがれ。
 おまえの話を聞いてると、俺は気付いたら老人になってるんじゃないかとたまに思う」
「それではあなたが年老いて老衰する前に、話を進めるといたしましょうか」
「そうしてくれ」

指に付いた肉のかけらを舐めとりながら、キョンは古泉を促す。
古泉はごそごそと学生鞄のジッパーを開いて、中から見覚えのあるメモ帳を取りだした。ぱらりとそれが開かれる。
覗き込んで、キョンはやはり顔を思い切り歪めた。記憶通り、そこには意味の分からない項目が並んでいる。

「こりゃなんなんだ」
「あなたとお近づきになる為の段階をピックアップしてみたんです。やはり恋愛でも友情でも性急過ぎることは失敗を招
 きますからね。急いては事をし損じるとはよく言ったものだと思いますが、なかなか意識をしていないとつい人という
 ものは焦ってしまいがちな生き物ですので」

きちんとメモをしておけば間違えることはないと思いまして。
淡々とそう言って笑う古泉を、キョンはなにか異様な―――例えば宇宙人だとか未来人だとかだ、と思ったところでそう
いやこいつは超能力者なんだじゃねえかよと思い出して頭を抱えたくなった―――ものを見るような目で凝視した。古泉
はメモ帳をしまって、どうしましたかと首を傾げている。
それはおまえ本気で言ってるのかとキョンは聞いた。
至って本気ですがなにかと古泉が返す。

「なんでそんなことする必要があるんだ」
「ふと、ね。九月頃でしょうか、思い当たったんです」

あなたは僕を友人として見ていない。
古泉が静かな声でそう言うのに、キョンは言葉に詰まって視線を逸らした。古泉は困ったように笑って、無理もありませ
んよと言う。

「僕は自分で言うのもなんですが、あまり高校生らしくありませんからね、親しみにくいと思われる要因はこちらにある」
「自分で言ってりゃ世話ねえよ」
「そうですね」
「そうだよ」

声が段々ちいさくなるのが自分でもわかった。
古泉の顔を見ることができない。自分でもいやだなと思っていた胸のうちの、あまりきれいではない部分がよりによって
当の本人にばれていたのかと思うと喉の辺りが詰まったようになって、息がしづらかった。

「―――わる、かったな」

絞り出すようにようやくそれを声にした。
古泉はいいえ、と言ったが、そのあと黙ってしまったので夕焼けで照らされたアスファルトの上が、痛いほどの沈黙で埋
まる。キョンは奥歯を噛んで、今は、と言った。
いまは、ちがうぞ。

「おまえとは一番、よく話すし」
「はい」
「ハルヒの暴走を止めるには、長門は喋らんし朝比奈さんはそういうのに向いてるひとじゃないだろ」
「ええ」

古泉は短く返事をする。
何だか随分と恥ずかしいことを口にさせられている気がする。が、今更止めることはできないので、夕日だけでなく染ま
っているだろう自分の顔を意識しながら、キョンはそれなりにおまえは役に立ってるぞと蚊の鳴くような声で言った。
恐る恐る顔を上げてみる。
古泉はすこし驚いたような顔をしていた。

「なん、だよ」
「いえ」
「おかしな顔すんじゃねえよ。ああっ、畜生どんどん恥ずかしくなってきたじゃねえか、どうしてくれんだっ」

がしがしと髪を掻きながらキョンは古泉の横をすり抜けて大股で歩き出した。
後ろからすいません少々驚いてしまいましてという声がかかる。

「ここまで進むとは予想していませんでした」
「ここまでってなんだ」
「今日は、『秘密を打ち明ける』ところまでの予定でしたので」
「よてい」

足を止める。
振り返ると、古泉も立ち止まっていた。

「予定ってなんの話だ」
「ああ―――『秘密を打ち明けてもらう』のは四つも後の項目ですね」
「だから何の話をしてんだ」
「ほら、見てください」

再びメモ帳が取り出される。
ぺらぺらと四ページ目まで捲られると、そこには『秘密を打ち明ける』という項目があって、それには既にチェックがし
てあった。そしてその四つ下にたしかに『秘密を打ち明けてもらう』という項目がある。
そのうえには『ペットボトルの回し飲み』とかいう意味の分からない項目があったので、この最終段階は一体なんなんだ
ろうとキョンは十二月の北風と相まってぶるりと体を震わせた。
まあ予定は予定であって決定ではありませんからねと古泉は言う。
キョンは呆れて、おまえはひとと親しくなる為にいちいちこんなことやってんのかよと聞いた。

「まさか」

苦く笑って古泉が答える。

「流石に僕もいちいちこんなことをする程、人付き合いに不得手ではありませんよ。あなたは、特別なんです」
「特別なあ」
「涼宮さんのことがありますから」

もしものことがあったときに、僕があなたと疎遠だと色々不都合があるでしょう。
古泉はそう言った。
キョンはしばらく黙って、それからふうんと鼻を鳴らす。

「おまえ」
「はい」
「大変だね」

素直にそう思った。
機関ってのはそんなことまで注文してくんのか、と聞くと、古泉はいいえこれは僕の一存でしていることですからと返す。
それでは古泉はまるで日がな一日ハルヒのことだけ考えて生活しているかのようだ。
そのようなものですよと古泉は笑う。

「言うなれば、涼宮さんは僕のアイディンティティの根源に関わるひとですので」

そんなものかとキョンは空を仰いだ。
もうとっくに夕日は沈んでいる。冷たい空気のなかで空はひどく澄んでいて、星がちらちらと瞬いていた。
























順調に古泉のメモ帳は赤いチェックマークで埋まっているらしい。

この間はもう六ページ目ですとどことなく自慢げに報告された。激しくどうでもいい。ペットボトルの回し飲みは結局ど
うなったのだろう。そう聞いてみたら、ああそれはこの間お渡ししたペットボトルで事足りましたと爽やかに笑われた。
なんてことだろう。
いつの間にか古泉と間接キスをしていたという恐ろしい事実に、キョンは頭を抱えてついでに手元の碁石ケースを思い切
りうりゃあっとひっくり返してやった。













苛つくと思い始めたのはどこからだっただろう。

それは正確ではない。もうすこし適当な表現を探してみる。なかなか見つからない。ただ今の段階で言えることは、赤い
チェックでびっしりと埋まったメモ帳を想像すると、時々胃のあたりで渦が巻いてるように理由もなくかなしいきもちに
なるということだけだ。


























振り返ると古泉は座り込んで律儀に靴を揃えていた。
その横に無造作にキョンの靴が転がっている。ついでにそっちも揃えてくれないかと思ったけれど、古泉はきっちり無視
して自分の分だけ揃えると立ち上がった。
存外割り切っている男だと舌打ちをする。

「とりあえず、部屋でいいか」

二階をくい、と顎で指して言う。
古泉は構いませんよと答える。じゃあ上がってろ、とキョンはリビングに向かった。とたとたと階段を上る音がする。
キッチンでインスタントの紅茶を適当に作りながら、キョンはふとこれもあのメモ帳のチェック項目に入ってるんだろう
なあと思って眉をひそめた。
足で自分の部屋のドアを叩く。
古泉ががちゃりとドアを開けて、キョンの両手をふさいでいるお盆をひょいと持ち上げた。

「そんなに気を使わなくても結構ですよ」
「まぁ、宿題教えてもらうんだから一応もてなしてやらんと、俺の心にストレスがかかる」

冬休みはとっくに終わっているが、冬休みの宿題はでんと机の上に陣取ったまま年を越し、ついでに新学期を迎えてしま
った。埃を被ってますねと古泉は言う。キョンはベッドに腰掛けて、そうだったかなあととぼけた。
提出日は来週の月曜日だ。
あと三日しかない。

「てきぱき終わらせてやってくれ」
「僕が全部やるんですか」
「俺がやったら効率が悪くなる。お互いにそれはマイナスだぜ。俺ははやく宿題を終わらせて心安らかに日々を過ごした
 いし、おまえはとっととこれを終わらせて家に帰りたい。そうだろ」
「そうとも限りませんよ」

古泉は机の上のキョンの宿題のうえに降り積もった埃を払いながらにこりと笑う。
僕にも友人と過ごす時間を楽しむ心の余裕はありますからと言う。
キョンはしばらく黙って、ぽすんと体をベッドに沈めた。

「友人、ね」

どこからどこまでを古泉の言葉だと受け取っていいのかキョンにはもう随分前から、よくわからない。
全部が全部、古泉の言葉ではあるのだろうと思う。純度百パーセントの自分の言葉なんてものはこの世に存在しない。口
から出る前に脳みそを通っている限り、今まで生きてきた分の不純物が言葉にコーティングされる。そういうものだ。
ただ古泉のそれは、特別ある一定の人間の為のなにかでコーティングされていることをキョンはあんまり知ってしまって
いて、なにもかもがそれ前提のような気がして時々うんざりする。
面倒な人間関係は苦手だ。

しかも一番面倒なのは、ほんとうは面倒でなくてもいいそれを面倒にしているのが、どうやら自分らしいという事実だ。

そろそろ始めませんかと古泉が言うので、しょうがなくのろのろと起き上がった。
英語の宿題ワークが開かれる。キョンはうげ、と顔をしかめた。ひたすらに英文の書き取りが義務づけられていると思し
き真っ白いページを古泉は三秒ほど眺めてから、これはあなたにお任せしましょうと言った。
僕は数学のほうを担当します。

「なんでだ」
「書き取りに頭は使いませんから」
「―――嫌味な言い方しやがりますこと」
「数学のほうがお好みならお代わりいたしますが」
「遠慮しとく」

キョンは腰を浮かせて、古泉の正面に座り込んだ。
シャープペンの先を噛んで、真っ白いワークを睨み付ける。いくら睨み付けてもそれは真っ白なままで、火であぶっても
文字は浮き出てきそうになかった。十秒睨めっこを続けてから、キョンは息を吐いてかちかちとシャープペンから芯を出
した。古泉はもう一ページ目の問題を終わらせていた。
仕事の早い男だ。
のろのろと例文を書き写していると、ご不満ですかと古泉が視線をワークから動かさずに聞いてきた。
キョンは眉を寄せて、俺は頭が使えませんのでこれで結構ですよと答える。
しつこいなと思った。

「いえ、そうではなくて」

顔を上げてみると、古泉はすこし困ったように笑っていた。

「そのすこし前の話に遡るのですが」
「すこし、まえ」
「ええ」
「――――あぁ」

キョンはかたんとシャープペンを置いた。

「『友人』のあたりか」

古泉がちらりと目を見開く。
それからしばらくして、そうですねという言葉がこぼれた。珍しく笑っていない。キョンは気付かれないように、ゆるゆ
ると息を吐いた。べつに不満じゃねえよ、と言う。

「ただ、ダチなんてのはわざわざ宣言するようなもんでもねえだろうと思うだけだよ。
 おまえの言い方は逐一時代がかってるというか大仰というかさ、こっぱずかしくてしょうがないんですがね」
「では友人であることは認めてくださるんですね」
「おまえもわからん野郎だなぁ」

認める認めないじゃあないだろうとキョンは言う。
古泉は笑って、ええわかってます、と返す。ひどく嬉しそうだった。キョンは元々細い目を細めて、うれしそうだな、と
つぶやく。ティーパックで入れられた美味くもない筈の紅茶を笑顔で飲みながら、古泉はええもちろんですよと言う。

「あなたに友人として認められたということは、他人のそれとは全くちがう意味を持ってきますから」
「ちがわねえよ。俺とだろうが、谷口とだろうが、ダチになることがダチになること以上の意味なんて持つわけねえだろ」
「普通はね」

細い指が長い前髪をするりと揺らす。

「あなたは、特別なんです」

古泉は以前言った言葉をまた繰り返した。
キョンは目を細めたまま、涼宮さんのことがありますからだろうと古泉の言葉を先取って言った。ええそうです、と返っ
てくる。目の前のこの秀才は日本語を間違えている、とキョンは思った。
外から見れば勿論一目瞭然だろう。

特別なのはキョンではない。

まだ熱いマグカップをがしりと掴んだ。
紅茶を一気に喉に流し込んで、だん、とお盆に置く。ぱちくりと目を瞬かせている端正な顔を見ないようにして、おかわ
り持ってくる、とドアを開けて部屋の外に出た。フローリングの床と空のマグカップを見ながら、キョンはぽつりとつぶ
やいた。


「べつに―――」


ふつうでよかったんだがな。
熱い紅茶を一気飲みしたせいで喉やら舌やらがひりひりと痛んでいたので、その声はひどく掠れてちいさかった。










ドア越しに耳でも引っ付けていなければたぶん聞こえない程度の音量だったので、勿論古泉には聞こえていない。
















       
 






空天
2007/06/30

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